先日、いただいたメールに、私の意見を「おもしろい」と表現して、返信してくださった方がいらっしゃいました。

その時、一瞬、「ん?!」と思ってしまいました。

私も、皆さんのご意見を「おもしろい」と表現させていただいているのですが、この「おもしろい」という表現、意外と落とし穴なのかもしれません。

もちろん、メールをくださった方も、私自身も、この「おもしろい」という表現は、「興味深い」という意味で使っています。

しかし、「おもしろい」という言葉には、「可笑しい」という意味もあるわけで、まじめなことを書いたのに、「可笑しい」と表現されるとショックですよね?

私も一瞬そう感じてしまいました。これは、別に誰が悪いとかそういう話ではないのですが、これこそ日本語のおもしろいところです。

ちなみに、「おかしい」という言葉は、「笑える」という意味もありますが。「変」という意味もありますよね?
予定では、しばらく小ネタ集をお送りしようかと考えています。

と言うことで今日の話題。

アメリカ産牛肉の輸入再会?

私的に思うことは、アメリカは、アメリカの牛肉は安全だとか言っていますが、そういう問題ではないと思うんです。

安全だろうが、危険だろうが、そんなことは関係ないのです。

約束は守るべきだと思うのです。

日本が定める危険部位は輸出しないと約束したのだから、安全だろうが、危険だろうが、輸出してはいけないのですよ。

その約束を破ったら、輸入を停止すると約束したんだから、日本はその約束を守っているだけ。

国と国の関係と言ったって、それは、人間と人間の関係なんです。

約束を破ったのなら、それは悪いこと。謝って謝って許してもらうしかないのではないでしょうか?
言い訳ばかりして、さらには、自分の正当性を主張するなんて、もってのほか。

その正当性は、約束をする前に主張するべきです。あるいは、約束の内容を変えて欲しいと訴えるときに主張する内容です。

例え、約束が間違っていても、約束したのなら、相手の合意もなしに破ってはいけないと思うのです。

それとも、アメリカは、約束なんて守る必要はないと思っているんでしょうかね?

違憲であったり、違法であったりする約束は無効になるそうですけど。

でもね、そう思うのですよ。
と、昨日、TVを見ていて思いました。
以前、説明責任について書いたこともありました。

しかし、どうしても言いたくないこともあると思います。

一昨日の私のように。

また、伝わらないことに価値を置くこともあると思います。

全てを伝えることが、本当に吉なんでしょうか?

それもそれで違うと思います。

逆に、伝わり過ぎて、困ることもあったり。

あえて、誤解を与えることにより、意味が出てくる言葉もあると思います。

難しいところだと思います。

しかし、その評価は、読み手が決めることではなく、表現する側が決めることだと思います。

上手くいったのか、いかなかったのか。

ところで、何人かの方に、「こころさんどうしちゃったの?らしくないよ」みたいなコメントを頂きました。
そうなんでしょうか?
私は私で、特にどうもしていません。

確かに、ここ数日、表現技法を変えてみたことは事実です。
その結果、想像以上に言いたいことが伝わってしまい、動揺していたことは事実です。

また、その伝えたいことに対して、予想以上の温かいコメント及び、(自主規制)なコメントを頂いてしまい、上手に対応できなかったことも事実です。
ここまで反響があるとは思っていませんでしたので。

しかし、私の考え方や、本当に伝えたい内容に大きな変化があったつもりはありません。

ですので、安心してください。

と言うことで、伝えるという行為の難しさと、伝えるという行為そのもの、その表現技法について、考えさせられました。
また、自分の与える影響についても、驚きました。気がつかないうちに、自分の意識している数よりも多くの方がいらしてくれるようになってしまっていたようです。
ここは「こころ王国」です。
そして、私は一番偉い王様です。

相互リンクさせて頂いている方々は、友好国の国王です。
その他、よく来てくださっている方はリピーターの観光客。
一見さんは、一般の観光客。

どうですか?こういう例え話。

国王は、自分の国を運営していくわけですが、それは、あくまでも、自分の考えで運営していきます。
もちろん、より良い国を目指して、観光客の方や、友好国の皆さんのご意見も参考にしなければいけません。
しかし、最終決定を下すのは、国王です。

国の運営方法としても、観光客を広く集めるために、観光しやすい国づくりをするも良し、観光客を集めるよりも、自分の暮らしやすい国づくりをするも良し、友好国の方のご機嫌をとり、自国を有利な立場にもって行くも良し、はたまた、一度来た観光客をリピーターにするために、観光客のご機嫌をとるも良し。

それは、自由だー!!

ちなみに、私は、観光客のご機嫌をとるつもりはありません。
友好国の方のご機嫌もとるつもりはありません。

私の国にもう一度来る価値があるのかないのかは、接待で判断して欲しくありません。その国の観光資源で判断してもらいたいのです。

ですから、観光客の方を神様だとは思っていません。
観光客あっての国だとは思っていませんから。

私は、私の暮らしやすい国を目指しています。
しかし、私の暮らしやすい国を、私1人で考えてつくったところで、限界があります。
ですから、来てくださった方はもちろん、何かご意見を下さった方も、とても感謝しています。

また、私の暮らしやすい国が、観光客、友好国の国王の方にも訪れやすい国であれば、それが一番です。

だからこそ、皆さんのご意見を楽しみにしています。

しかし、私は、この国の国王です。
たとえ中身がなかったとしても、私には、この国では一番偉いのです。ですから、この国では威厳を保たなければなりません。
それが、この国の治安を守ると共に、価値を見出してくれたリピーターさんへの責任になると思っています。

なんの威厳もなく、観光客にヘコヘコしている人が国王である国に、私は、魅力を感じません。ですから、それが、私の国に来てくれる観光客への責任だと考えています。

もし、この国に攻撃を仕掛けてくる人や、挑戦状を叩きつけてくる人がいれば、それは、国王として、きっちりと威厳をもって、対応するべきだと思います。
たとえ、それが泥沼と化してしまっても、引いてはいけないのです。それが、威厳だと考えています。

せっかく、観光資源に魅力を感じ訪れてくださっている人への責任だと感じます。

ここは、私の国で、私が一番偉いのですから。私が行うしかありません。
私は、見ていなかったので、コメントをする権利はないのかもしれませんが、皆さんのコメントを見ていたら、何かを書きたくなったので、書いてみます。

初めの頃は、批判的ブログが多かったのですが、次第に肯定的な意見も見られるようになりました。

ようは、賛否両論なんですが、いずれにしても、哀れみを感じるコメントが少なくないです。

私は、亀田が嫌いです。ですから、早くブラウン管から消えて欲しいと思っています。

何故嫌いかと言いますと、別に亀田に限ったことではなく、バカが嫌いなんです。バカが。

私のバカの定義は、何もと言うか、深いことを考えていない、先見性の無いの人間。あるいは、物を知らない人間のこと。

そういう人は、7月24日の「うさんくさい顔」に書いたように、顔を見ただけで簡単にわかります。

バカな人は、モノを考えてないので、何を言っても伝わらないんです。伝わらないと言うことは、コミュニケーションがとれないということですから、コミュニケーションを大事にしたい私としては、未知なる存在というか、何をどうしたら良いかわかりません。
まだ、私の言っていることが伝わらなくても、知ろうと努力してくれれば、それはそれで、考えているということですので、問題は無いのですが、バカはそれすらしない。
と言うか、言葉でかなわないとなると、簡単に力で解決しようとするところもあります。

悲しいですね。哀れに感じます。

で、亀田はと言うと、あれはバカでしょう。
6月8日の「やっぱり勉強はするべきだ」で書きましたが、TVに出るのですから、もっと常識をわきまえておくべきだと思いますし、それより何より、知という字が欠片も感じられない。
しゃべり方も、バカ丸出し。

それに、K1やプロレスは、ショーだと思っていますので、記者会見からショーは始まっていると思っていたのですが、ボクシングはもっときちんとしたスポーツだと思っていました。高校の部活にあるくらいですから。
しかし、奴のしている事は、ただのショーです。しかも、台本があるという疑惑のおまけつき。

記者会見で、肉を食うか?ショーだったら、ありだと思います。しかし、ボクシングはスポーツ。スポーツマンシップにのっとり、不正なく、正々堂々と戦うべきでは?
相手を挑発して、怒らせることが、正々堂々なんでしょうかね?

その辺りが理解できていない。

先人達が築き上げてきた、ボクシングというスポーツの価値を下げているだけです。

野球選手やサッカー選手が、記者会見であんなことしたらどうなるか?

言いたい奴には言わせておけば良いとか言っている時点で、周りが見えていない証拠です。

自分の行動が周りに与える影響というものが理解できていない。

バカな証拠です。自分のスポーツに対するこだわりが無い証拠です。そして、先見性がない証拠です。

でも、周りの人間が何を言ったところで、何も伝わらないんだろうな…バカだから。

あぁ、哀れです。

トミーズ雅や赤井英和はどう思っているのだろう?

とは言っても、私自身、たいした人間ではないのですけれども。

と、今日は悪口ばかり書いてしまいました。ご了承ください。
以下の点を改正しようと思います。

運営方針1.リンクに関して。

今までは、リンクしてくださった方全ての方を対象に相互リンクにさせていただいていましたが、今後は、リンクしてくださり、さらにコメントをくださった方を対象に、お礼の意味を込めて、相互リンクにさせていただこうと思います。

運営方針4.テーマに関して。

人間というテーマを追加して、増えすぎたその他から移動させようと考えています。

「人間」 「男、女、友情、恋」に分類できない人間的な話を書いています。

以上。ご了承ください。
最後に、恋愛と結婚についての私的考えについて。

城崎レイさんのご意見
恋愛は基礎工事、結婚は建物といったところでしょうか。


私的には、恋愛の延長線上に結婚があると思うのです。

それは、恋愛の二文字目が「愛」であるから。

7月20日の「好き好き LOVE! LOVE! 愛してる」に書いたように、私には、愛という言葉は、未知なる不思議な存在です。
しかし、その時、みみさんが、コソッと書いてくださったことは、「私が愛したのは、2人だ」と。
えっ?!2人なの?そんなに少ないの?と思ってしまいました。

しかし、私がそれで感じたことは、愛とはそれだけ、安いものではなく、簡単に抱ける感情ではないということです。

したがって、恋愛だって、そんな安っぽいものではないと思うのです。なんたって、2文字目は「愛」なんですから。

さらに、本当に好きな人となんて、セックスできるものではないと思うんです。

私は、そういった状態が恋愛で、その時初めて、延長線上に結婚という言葉が出てくると思うのです。

私は、延長線上に結婚という言葉が見えない恋愛は、恋愛ではなく、ただのセフレか、恋愛ゲームだと思うのです。

だから、セックスにフォーカスを合わせてみると、見えてくると表現したのです。

実際、近年の離婚率の増加は、恋愛ゲームの延長線上に結婚という言葉があると勘違いしているから、結婚生活が破綻してしまうのだと思います。

ここまでで、私が表現したいのは、セックスを我慢できない相手と結婚しても、破綻するんじゃないの?と言いたいのです。

さて、回り道をして、紹介が遅れましたが、るんさんのコメント紹介でしめたいと思います。

恋愛は本能、結婚は単なる社会ルール。社会でうまく生きる(もしくは社会を成り立たせる)ための人間関係の決まりごとの一個。
セックスは恋愛と一緒で本能。
とすれば結婚は本能をうまく使ったルールとして使用すればとても快適でしょうね。つまりルールの使用法は各自の意思によるものでしょうから、恋愛と結婚が別であっても同じでも、べつに言い訳で。個人的にはなるべく恋愛の延長上に結婚というルールを置いてみたいです。だけど、本能は自由なのにルールというのは融通が利かないのでふとしたことが不倫などと称され、ルール違反だと責められてしまう厄介なものだと思う。(一部訂正 原文はコメントを見てください)


結婚について考えるうえで、結婚について定義していないのは、痛いのですが、それは置いといて、結婚というものが、社会を上手く運営していく上でのただのルールであることに違いはありません。
ルールの使用方法が各自の意思によるもので、恋愛と結婚が別だと解釈するのもその通りだと思います。

本能は自由なのにルールというのは融通が利かないため、色々とギクシャクしてくるというのも事実だと思います。

正解などないのです。この話関しても。どう考えるか個人しだい。

しかし、私は、この数日にわたって書いてきたような考え方があっても良いと思うのです。
特に、若者の性に関する意識が低迷している昨今、ありがたいことに、ここには、たくさんの方がリンクしてくださり、その中には、司穏さん、東屋さん、ヴァルハートさんと高校生くらいの方がリンクしてくださっています。非リンクの方でも、多くの中高校生が足跡を残して下さっています。
そういった若年層の方々に、こういった考え方があっても良いんじゃないの?と伝えたいのです。
その恋愛、行くとこまで行って、本当に良いの?と。

その結果、どう考えるかは、彼(女)らしだいです。

そこを強制するつもりもありません。私はそんな立派な人間ではありませんから。

もちろん、皆さんの考えを否定するつもりもありません。

しかし、星姫先生が「恋人だからといってはけ口にしていいのか?と疑問にした点はこころさんに賛成。みんなこう思ってくれたら性教育が楽だ。生徒が退学して子供おろしたりすると悲しい。」と仰っていますが、その通りだと思います。

私もそこを期待しています。

もちろん、にゃップルパイさんの「あまりに理想論的過ぎて現実で実践できる人は少なくとも今の日本にはほとんどいないと思います。」というのも事実。

でも、理想がかなわないからと理想を持たないのは、おかしいと思います。努力目標って必要だと思います。

と言うことで、以上。
ジャスミンさんのコメントから、良い文章がかけそうです。

男性は、本気で好きになった女性を簡単には抱けないそうです。

好きな人を抱きたいと思う気持ちって、普通にあると思うよ。
好きな人がいたら、その人を知りたいと思うでしょ。
一緒にいたいと思うでしょ。そうした中で、自然とキスをしたいと思うのは当たり前なんじゃないかな?
女だって、好きな人に抱きしめられたいし、キスもしたいし。
健康的な男女なら、普通のことだよ。
好きな人に抱かれるって、とても素敵なことだよ。
それに女は、簡単に自分のすべてを晒せないものよ。
好きな人だからこそ、見せることが出来るのよ。

ただ、男性の性欲として、女性の場合と違うらしいので、単純にセックスをしたいと思う男性が多い(いわゆる欲望のはけ口)から、風俗っていうのがあるんでしょ。(一部削除 原文はコメントを見てください)


という話。
しかし、順番を変えるとこうなります。
好きな人を抱きたい、知りたいというのは、そうだと思います。
しかし、男性は、本気で好きになった女性を簡単には抱けないそうです。
ただ、男性の性欲として、単純にセックスをしたいと思う男性が多い(いわゆる欲望のはけ口)から、風俗っていうのがあるんでしょ。

しかし、全ての男性が、好きな人を抱けないから、風俗に行くでしょうか?
違います。風俗に行く代わりに、大して好きでもない女性とセックスをしようとするはずです。

女は、簡単に自分のすべてを晒せないもの。
好きな人だからこそ、見せることが出来る。

と言うことは、男は、女にそうさせるように、あの手この手を使って信用させるのです。

もちろん、女性は好きになったからこそ、セックスをするのかもしれませんが、男は違います。

男は、好きな女性を抱くことができないのですから、女性に誘われても、断るはずです。

簡単にセックスをするような男は、大して好きではないということでは?

それは、(恋)愛でしょうか?

違うと思います。これは、ただの恋愛ゲームです。

ここで、Fruitsさんのご意見「こころさんの考え方の根底に「男性」が凄く感じられました。女性には「捌け口」という言葉は、たぶん殆どの人が違和感があり理解できない言葉です。」という言葉が生きてくるのではないでしょうか?

男と女では、考え方が違う。ですので、唯一の男性であるにゃップルパイさんは、話自体の内容は肯定しています。

で、続いて、引用するのが非常に申し訳ないのですが、引用させていただきます。

雪見さんの(http://diarynote.jp/d/58507/20060718.html)です。
雪見さんは定期的に日記を削除されているので、要約しておきますと、
女は不良に惹かれるのは何故だ?という話で、雪見さん的回答は「恋愛とかセックスって、そもそも反社会的ですごく個人的なものだから、社会や家庭の雰囲気を漂わせる人には本能的に惹かれにくいのでは?」というものです。そして、これは、男女に関係ない話ではないだろうか?しかし、これは恋愛であって、結婚には結びつかない。というものです。
それに対して、私が「変な子を自分の思うようにコントロールできるようになれば、それはすごい達成感とかがあるのかもしれません。」というコメントを書き込むと、肯定していただけました。


で、この日記から、何が言いたいかと言いますと、「恋愛とは何ぞや?」と考えたとき、コントロールする快感や達成感なのかということです。これって、(恋)愛なんでしょうか?

セックスとは、繁殖するための行為です。繁殖するつもりも無いのに、欲望のままにセックスするというのは、理性が欠けているのではないかと考えられます。

でも、私、思うのです。別に理性が欠けているのではなく、愛なきセックスをするのが普通になっていて、恋愛ゲームの末のセックスがゲームクリアになっているのです。そして、エンディングは、別れ。
「恋愛とは駆け引きだ」とか言っている時点で、私は完全にゲームだと思います。

それを、「セフレ」と皮肉って表現したのです。(星姫さん、これで良いでしょうか?)

もちろん、ご結婚されて、お子様もいらっしゃるジャスミンさんの言いたいことも良くわかりますが、それは、ジャスミンさんが幸せな証拠だと思います。

本日最後にご紹介したいのが、サイダさんのコメント。「恋人とセックスというのは、必要条件ではないし、十分条件でもない」です。
数学が苦手な人は、意味不明だと思いますが、平たく言うと、「恋人とセックスには、なんの因果関係もない」と言うことです。恋人とセックスする必要もなければ、しなければならないわけでもないということです。
予想外のコメントの量に驚いております。
コメントが多すぎて、考えをまとめるのに手こずっています。
と言うことで、ちょっとづつ小出しにしていきたいと考えていますので、ご了承ください。

大変申し訳ありませんが、基本的に(1)に関しては、皆さん、様々なご意見を持たれているという事で、終わりにさせていただきます。後で触れさせていただきたいご意見もありますが。

さて、(2)に関してですが、まず、特筆しておきたいことは、以下の2点。

私は、キスはコミュニケーションとして、セーフだと思います。
キスで何かが起こる(例えば子どもができる)と言うことも、少ないでしょうし、なんたって、ある国では、挨拶代わりに日常的にキスをしていますから。

相手のことを更によく知るにはなくてはならないとは思えません。もちろん、セックスが相手を知る有効な手段の1つであることは間違いないでしょう。また、コミュニケーションの1つとしてセックスがあることも否定するつもりはあえいません。しかし、セックスでなければならないということはないはずです。違う方法で相手を知ることもできるはずです。

しかし、セックスをする理由に関しては、基本的には、皆さん、私の意見と同じであると理解させていただきます。本能または、それを示唆する言葉を使っておられる方が多いので。否定される方は、ご一報ください。
ところで、私の意見と、皆さんの意見の何が違うのかと言いますと、皆さんは、必死に綺麗な表現をしようとしているのに対して、私は、汚い表現をしているということです。

しかし、この言葉で、収められない意見があります。

ショコラさんのネタ部分。「相手が子孫を繁栄していくのにふさわしいか、知るため。」
これは、利にかなっているご意見です。(本人はネタのようですが)

これを否定するのは、難しいですが、セックスを試してみる必要はあるのでしょうか?
いったい何人子どもをつくるつもりなんですか?
ちょっとくらい我慢して子づくりをしても、バチは当たらないのでは?

さて、前回、私が結局、何が言いたかったのかと言いますと、俗に言う恋人とのセックスと、セフレとのセックスは、何が違うのですか?と言うことです。
セックスという行為は、結局のところ、欲望のはけ口であって、気持ちが有るとか無いとかと言う意見は、愚問ではないのか?と言うことです。

さらに、いくら相手が受け止めてくれると言ってくれたとしても、大好きな人に向けて、自分の欲望を発散してしまっても良いのかと問いたいのです。

城崎レイさんのご意見では、「昭和30〜40年代は、「結婚するまで清い関係であるべき」という教育を受けているので、恋人との性交はご法度だと考える」との事ですし、恋人のいない人は我慢していますし、さらには、先日の「新婚さんいらっしゃ〜い」では、「高校を卒業するまで我慢しました」という新婚さんが出ていました。
人間という理性の有る動物ですから、我慢できるはずです。(別に、恋人とではなくセフレとやるべきだと言っているわけではありません)

もちろん、好きだからこそ、そういう気持ちが湧いてくるのは当たり前です。しかし、そのまま、お互いが納得するからといって、欲望のままに行動に移してしまって良いのでしょうか?別に悪いと言っているわけではありません。

続く。
皆さん、予想以上の数のコメントをありがとうございました。
今更編集するのも大変ですので、今回は、ご期待にそえるような内容かどうかわかりませんが、とりあえず書いてあったものをそのままアップさせていただいて、後日、皆さんのご意見と自分の意見を合わせて、まとめてみたいと思っています。
まだ、昨日のコメントも受け付けていますので、何かありましたら、よろしくお願いします。

なぜセックスをするのか?

セックスの本来の目的は、繁殖です。
ですから、基本的に避妊をしている現代日本のセックスは、その動議に反しています。

私が思うに、セックスをする理由、それは性欲の解消だと思います。

ヒトの三大欲求は「睡眠欲」、「食欲」、そして「性欲」です。
性欲は、睡眠や食に並ぶヒトの欲望なのです。

その欲望を満たすためだと思います。

ところで、なぜ人間には性欲があるのかと言いますと、それは、繁殖を行うためです。つまり、「子作り」です。
ヒトという種を絶やさないために、必然的に必要な欲望なのです。
と言うのが、性欲の私的生物学的解釈です。

ですが、ここは人間。自分の欲望を抑える理性を持ち合わせていると信じます。

さて、2日もかけてしまいましたが、ここまでが定義です。

本題です。

今のセックスは、本来の繁殖という一番の目的を果たせていません。
つまり、普通のセックスは、単純に、欲望を満たすためです。

私は、恋人とセックスをするという行為は、間違っていると思います。

恋人とセックスをするということは、ただ単純に恋人を欲望のはけ口にしていると言うことです。

とは言っても、おそらく、次のような感情が働いているとは思います。

1)どちらかが誘います。(この時、おそらく、普通は、好きな人に、この欲望を受け止めてもらいたいと思うとは思います。)
すると、もう1人は、相手のことが好きだからこそ、「この人の欲望のはけ口になっても良い」と思います。

2)私は欲望を満たしたい。私も欲望を満たしたい。とお互いの利害が合致する。

3)ただのイベントとして、こなす。

これらで、条件はそろいセックスを行うのではないかと思います。

しかし、もし、本当に好きで大切な人ならば、自分の欲望のはけ口になど出来るでしょうか?

例えば、自分に人を殴りたいという欲望があったとして、恋人には、殴られたいという欲望があったとして、あなたは、気持ちよく恋人を殴りますか?

もっと極端に言うと、自分に人を殺したいという欲望があったとして、恋人が、「疲れたから殺して」と本気で言ったら、殺すのですか?

ちょっと例えが悪いですかね?

でも、そういうことではないかと思います。

たとえ、相手が、自分の欲望を受け止めてくれると言ってくれても、相手のことが本当に好きなのであれば、それは、気持ちだけを受け取って、自分の欲望は別のところで解消すべきではないでしょうか?

で、結局、何が言いたいかと言いますと、セックスとは、本来、子どもをつくるための行為です。

この人と一緒に子どもをつくり育てたいと思った時のみに、セックスをするべきだと思います。これが本当のセックスだと思います。

ただ欲望を解消するためのセックスは、本来のセックスではないと思います。

と言うか、欲望を解消するためだけのセックスなんて、セックスフレンドとしておけば良いんです。

そのセックスに気持ちは、特に必要ないはずです。

「気持ちのないセックスなんて」とか言う人がいますが、その気持ちって何ですか?

その人との子どもをつくり、育てたいという気持ちですか?
違いますよね?

お互いがお互いの欲望を受け止めてあげる気持ちですよね?それはそれで、否定する必要のない感情だとは思います。
でも、それは、断るべきだと思います。欲望を抑えられる人間という生物ならば。

本当に好きな人を欲望のはけ口になどしてはいけないと思います。
人間なんですから、理性で抑えましょう。

セックスしなくても死にませんから。我慢している人は、世の中にたくさんいます。

その中で、気持ちのあるセックスって何ですか?

結局、気持ちのあるセックスなどないのです。
お互いの欲望を埋めあうだけの行為です。

恋人同士のセックスといっても、それは、セフレとのセックスとなんら変わりません。(好きだからこそ、密度は上がると思いますけど)

つまり、恋人と呼んだところで、それは、結局、セフレと一緒なんです。

セックスのために、恋人と恋愛をしているんです。

違いますか?

ここで、元に戻します。

結局、恋愛と結婚が別か否かという問題は、どういうことかと言いますと、

結婚とは、昔の人が考えぬいて、子どもを守るために発明したものだと思います。
もちろん、今現在、その限りではないですが、それでも、1つの目的は、子どもを守ることだと思います。

その中で、セックスは子どもをつくるための行為です。

その行為は、結婚する人としか本来してはいけないのです。そうでなければ、生まれてくる子どもが、不幸になります。

つまり、結婚をするつもりの無い人とセックスをすると言うことは、それは、ただのセフレでしかないと思うのです。

恋人ではないのです。恋愛ではないのです。

つまり、恋愛と結婚は別だと考える人は、「恋人」と思い込んでいる「セフレ」と「恋愛モドキ」をしているにすぎないと思います。

無茶苦茶な理論です。
今回のコメントは、この考えが、1つの考え方として、成り立つか否かのみを受け付けます。それ以外は、目は通させていただきますが、無視させていただきます。あらかじめご了承ください。

PS.実は、この理論には、大きな欠点が存在します。それは、「恋愛」の定義をしていないことです。恋愛の2文字目は、あの「愛」という字です。この意味不明な字を使った言葉を定義することは不可能でした。
ただ、私が言いたいのは、俗に言う「セフレ」を「恋人」と呼びますか?ということです。もし、呼ぶと言うのであれば、この理論は破綻します。しかし、呼ばないというのであれば、それは、成り立つのではないかと思います。
気がつけば、今月は4日以外は全て更新していました。
こうなると、4日に惜しいことをしたなと思います。
4日は何故更新しなかったんだろう?

さて、今日の話題を私が書くには、私はまだ青すぎるかもしれません。
しかし、青いからこそ読んで欲しいと思います。

DiaryNoteの質問の中に、「恋愛と結婚は別?」という質問があります。

皆様、どのようにお考えですか?・・・(1)

この質問は、難しいと思います。

でも、私思うのです。この問題、本当は意外と簡単なのに、わざわざ難しくしていると。
ちょっと視点を変えれば、簡単かと。

その視点の変えどころ、それはセックスです。
この問題を考えるときに、セックスにフォーカス合わせるんです。

皆さん、恋人とセックスをすると思います。

なんで、恋人とセックスをするんですか?・・・(2)

私が思うに・・・

と言うところで、今日は終了です。

ネタ不足なので、ネタを2つに分けたいと言う事と、この時点での皆さんの(1)と(2)の質問の意見を聞いてみたいので、とりあえずここまでです。

皆さん、よければ、コメントか何かで答えていただけませんか?
お待ちしています。

ちなみに、すでに次回の原稿は出来ていますので、皆さんの意見で続きが大幅変更になることはありませんので、ご安心ください。

(1)だけとか、(2)だけとかでも良いので、お願いします。
皆様、何か一生懸命なものってありますか?あるいは、学生、生徒時代、何かありましたか?

私が思うに、これが一番大切だと思うのです。

何かに、一生懸命になる。そうなることによって、毎日を楽しめる。
私はそう思っています。

さらに、嫌いなことも頑張るためには、自分の好きなことを頑張っている必要もあると思います。

勉強以外に頑張っていることがある人は、かなりの確立で、勉強もそれなりに頑張れる人です。

それは、自分が好きなことを頑張っているため、頑張るということがどういうことなのか、わかっているからです。

また、自分の好きなことに関連していることを知っているからです。

好きなことが出来れば、「知りたい」、そして、「わかりたい」と思えるようになります。
好きなことを頑張るためには、好きなことだけやっていたのでは駄目なことも理解していきます。

与えられた課題を達成することも、また理解してきます。

もちろん、勉強することには、いろんな意味があります。
だからこそ、内容によっては、意味があるのかわからなくなることが多いのです。

勉強する理由は、人それぞれです。

しかし、勉強をしなければならない理由は?
なぜ、教育を受けさせる義務があるのか?

自分が、勉強をする理由が判った人。それは、多かれ少なかれ、自分の好きなことや、目標が見つかった人だと思います。

つまり、勉強をしなければならない理由は、自分が勉強する理由を見つけるため。
つまりは、好きなことを見つけるためではないでしょうか?

もちろん、我慢も学ばなければなりません。
すぐキレたり、電車のマナーが悪いのは、我慢が出来ないからです。
それは、理論がどうことか、そういう問題ではないのです。
皆さん、コメントありがとうございます。
皆さんのコメントを読ませていただいて、ちょっと思ったことは、勉強をする理由を書かれています。勉強をしなければならない理由ではないです。
もちろん、私の書き出しが、「何故勉強をするのか?」となっていますので、それの答えで十分なのですが。

さて、それを踏まえてか踏まえずか、今日のお話。

まれに勉強が好きな人もいますよね?
そういう人がいるからこそ、体育、音楽、図工(美術)、技術家庭科と言った一風変わった授業もあり、勉強が好きな人でも、手こずりそうな教科もあるわけです。

誰もがどこかで困るような仕組みになっているはずです。

逆に、誰もが、どこかで活躍できるような仕組みにもなっています。

学校で、運動会、合唱コンクール、学芸会、写生大会etcといったイベントあり、普段の授業で活躍できない人でも、活躍できるような仕組みになっています。

何も出来ない代名詞と言っても過言ではない「のび太くん」ですが、彼は、あやとりと射的が得意です。学校でそんなことが出来ても活躍できないと思うかもしれませんが、私は、生活科の授業で、あやとりを習いました。そこで、活躍できるでしょう。

誰でも、どこかで活躍できるはずです。

本当に、全てで活躍できないような人は、ちょっと、考えた方が良いと思います。
自分の生活と行動について。

さて、勉強するという行為は、知るという行為でもあります。

自分の好きなことを探すためには、自分が好きになることを知らなければなりません。

しかし、自分が何を好きになるかなど、始めから判っている人はいないと思います。
と言うことは、「下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる」の精神で、数で勝負していかなければいけません。

とりあえず、学校の勉強で、数をこなすというのも手だと思います。

そして、もし、好きな事が見つかれば、後はそれを一生懸命やれば良いのです。
下手な鉄砲が当たる確立なんて、そう高くありません。確率論から言って、すぐに1発目が当たる人もいれば、100発撃っても、1000発撃っても当たらない人もいると思います。
でも、それで良いのです。と言うか、そんなものです。

それが駄目であるわけでもなえれば、それに自信をなくす必要もないのです。
ゆっくり探していけば良いのです。

そして、あっさり好きな事を見つけてしまったら、他の事が疎かになってしまいます。
見つからずにもがいて、色々なことを学んで、体験している方が、有利かもしれません。
何のために勉強をするのか?

難しい問題です。

城崎 レイさん、ジャスミンさん、コメントありがとうございます。皆さん、様々な考えを持っておられるようで。
でも、正直、しっくりしません。何故、難しい方程式を解かなければならないかと言う答えとしては、説得力に欠けます。
また、宇宙飛行士になりたくない人は、勉強しなくて良いのですか?

難しい問題ですが、私なりの解釈を書いてみたいと思います。

勉強が楽しいと思う人はほとんどいないと思います。

普通、自分の好きなことは、頑張れます。
しかし、自分の好きでないことは頑張れない。
人間そんなものだと思います。

しかし、人生において、自分の好きでないことを頑張らなくても良い世界はあるのでしょうか?

最低でも、与えられた課題を達成していく。これが出来なければ、生きて(生活して)いけないのではないでしょうか?

自分の嫌いな事を避けて、避けて、避け続けて生きていけるのでしょうか?

学校の勉強は、自分の嫌いなことを頑張るためのトレーニングをするためのものだと思います。

勉強することに意味があるのかないのかわからないような、ただ受身の勉強を頑張ると言うのは、非常に困難です。

昔、世の中は理不尽な事だらけと書かれている人がいましたが、それを学ぶことも重要です。
意味のない仕事をさせられたり、明らかに無駄だと思う仕事をさせられたり、嫌な仕事をさせられたり。
そんなことは、珍しい話ではないと思うのです。

その中で、勉強することに意味があるのかわからないことを、理不尽にも頑張って勉強しろと言われ、勉強させられるというのも、社会に出るために、必要不可欠な事ではないでしょうか?

だからこそ、逆に、意味不明な勉強をさせられることは大切なのです。好きな事をさせられたのでは意味がないですから。

宿題やテストといった形で、先生方は児童、生徒にノルマを課します。
もちろん、それが嬉しい人はいないでしょう。

頑張って嫌な課題を達成する。それは、もちろん最低ランクでも良いのです。
しかし、どうせやるならと、レベルの高いものを要求します。

どれだけ頑張れたのか、それが、テストの点数で評価されるのです。

もちろん、それが相対評価であっても、絶対評価であってもそれは関係ないのです。頑張ったことが大切なのです。本人と評価する人が、それをわかっていればそれで良いのです。
それでも、思うように評価されないこともあるでしょうし、予想外に良い評価を頂けることもあるでしょう。

しかし、そういった理不尽さを知り、それでも頑張れる人間になる事が大切なのではないでしょうか?

世の中の理不尽さを知ることと、嫌なことにも挑戦することの耐性をつけることが、学校での意味不明な勉強をさせられる答えだと思っています。

しかし、現在、「嫌なことにわざわざ挑戦しなくても良いよ」という風潮が見受けられます。
「興味を持てないことを学ぶよりも、興味の出ることを学ぼう」という風潮が見られます。

非常に残念です。

甘やかしすぎだと思います。
ある人には、「教科書みたいで残念だ」と言われ、ある人には、「教科書みたいだから良い」と言われ、いったい、どっちに傾ければ良いのかと葛藤している今日この頃です。
とりあえず、この話については、後日改めて。
それでは、今日のお話を。

英語撲滅運動賛成!!
現在行われている小難しい授業を止めて、もっと簡単な実践的な授業への切り替え賛成!!

とは言いません。

少し前の私なら、こう言っていたでしょう。しかし、今は違います。

以前、とある教育学の先生が教師志望者に向け、こんなことを仰られたそうです。

「君達が教団に立つまでに、生徒・児童に、なんで勉強するんですか?と聞かれた時、きちんと答えられるように、君達なりの答えで良いから、しっかり考えて、答えられるようになっておきなさい」と。

確かに、幼少の頃は、何で勉強するのだろうと思っていたものです。

これは、難しい質問です。

私は、教員志望ではないので、この質問に答える必要はないのですが、私の答えを書いてみます。

6月8日の「やっぱり勉強はするべきだ」に書いたような、上辺だけの答えは簡単です。

遠心力がわかっていないから、スピードを出しすぎ、カーブで曲がりきれずに事故を起こす。
中和反応がわかっていないから、酸性洗剤とアルカリ性洗剤を混ぜて使おうとする。
日本語以外の言葉を話せずに、外国人とコミュニケーションがとれますか?

等など。これらは、勉強することにより、解決します。

と言うことは、勉強しなければいけないんです。

次に、ありがちな答えは、中学生以下の場合、義務教育なんだから、君達は教育を受ける義務があるんだと、とんちんかんな事を言う人。

義務教育というのは、教育を受けさせる義務なので、大人(親とは限らない)は、子どもに、教育を受けさせる義務があるという意味です。
子どもには義務はありません。

つまり、義務教育を盾にするのならば、こう言わなければなりません。「私は、君達に教育を受けさせ義務があるので、どんな手を使っても君達に教育を受けさせます。ですから、お願いですから、言うことを聞いてください」と。

質問の答えになってないですね。

そして、もし、高校生以上の場合は、こう答えることもできます。
「君達は、自分の意思で、学校を選び入学してきた。学校とは、勉強するための場所で、それを理解して入学したはずだ。学校にいる以上は、勉強しなさい。それが、君達が自ら選んだ道だ。」

とまぁ、ありがちな答えを書いてみました。私も、ほんの1年ほど前までは、こんなことしか考えられませんでした。

本当の私の答えは、また次回。
私には、好きな人がいます。

それは・・・・

と、そんなことは告白しません。

実は、すでに2週間以上先までの原稿は出来上がっています。

意外と多忙なもので、暇なときや、ネタを思いつく時にまとめて書いておいて、メモ帳に保存してあるんです。

ですので、皆さんの日記の紹介が遅れたり、時事ニュースネタが遅いのは、そのためです。

蔵出しの順番は、気分なんですが、ある程度は予定があります。

その中で、急遽思いついたことを挿入したりもしたりします。

しかし、シリーズものを始めると、途中で止めるわけにもいかなくなったりと、問題も山積みです。

本文にて、皆さんのコメントに返事をするときも、遅くなりがちです。次の日に、原稿が間に合わないんです。

もっと、素早く対応できれば良いとは思ってはいるんですけども…

申し訳ありません。

ついでに、最近、普段使っているパソコンとは違うパソコンや、携帯電話からアクセスしていることが多いので、足跡が残っていない方が少なくないと思いますが、基本的には、読ませていただいていますので。

今日で、3ヶ月となります。
これからもよろしくお願いします。

PS.わかりにくいと指摘されてしまいました。
それは、致命的だと思います。
みなさん、もし良ければ、わかり難い部分やわからないところがあれば、指摘していただければ幸いです。
解説し、次回からの参考にさせていただきますので。

下流君

2006年7月25日 人間
波田陽区の下流君ははまり役だと感じるこころです。

フリーターとか、ニートとか、怪しげな言葉が世間を騒がせていますが、この人たちの
中には、以下のような考えを持っている人も少なくないかと思います。
そして、学生、生徒の中にも、少なくないと思います。

「頑張って、勉強して、大学を出て、良い会社に入ったところで、大したことがない。別に良いこともないし、フリーターやニートで十分だ。」

もちろん、実際問題として、そういうこともあるでしょうし、逆に、良い会社で挫折した結果、フリーターやニートになってしまった方々も少なくないでしょう。

苦労して、山の頂上まで綺麗な景色を見るために登っても、そこからの景色は、意外とたいしたことなかった。こんなことなら苦労して登る意味がなかったな。裾野の景色で十分だった。

しかし、私がそこで思うのは、山の頂上からの景色を知っているからこそ、裾野の景色と比べることが出来るのです。

人によって価値観が違うと言う話は「価値を置くもの」シリーズなどで以前書きました。

頂上からの景色を綺麗だと思うのか、そうでもないと思うのかということは、人によって感じ方が違うはずです。

頂上の景色を知っているからこそ、比べることができ、その結果、裾野の景色を素敵に思う。

人から聞いた話を鵜呑みにして、頂上まで行ってみないと言うのは、ただの逃げです。

すごく、最もな理由のように思っているかもしれませんが、頂上に行ったことがある人が初めて言うことを許される言葉であって、それ以外の人が言っても良い言葉だとは思えません。

頂上の住み心地が悪かったからこそ、裾野の暮らしが良いと思えるのです。

そして、頂上まで行ったからこそ、その途中で一番気に入った場所を探せるのです。

だからこそ、とりあえず上まで登り、登りきる。そのために頑張る。

そんなことを思いました。
北朝鮮がミサイルを発射したとき、友人と話したお話。

金正日は何がしたいんだろうね?
だいたい、何も考えていないんじゃい?
なんか顔もうさんくさいし。

とか話していました。

小泉首相も、ブッシュ大統領も、やること言うことメチャクチャですが、それでも、しっかりした顔をしています。

一国の代表として、酷い顔はしていません。

しかし、金正日は・・・

あれは酷いですよ。周りの高官たちの方が、よっぽどまともな顔をしてます。

知的でないというか、色々考えていたら、あんな顔はしないと思うんです。

どうなんでしょう?

ところで、私は人を見た目で判断します。

と言っても、顔が可愛いとか、スタイルが良いとかそんなことで判断はしません。

顔と言うか表情を見れば、なんとなく、その人の人となりが見えてきます。

もちろん、外れることも少なくないですけど。

でも、なんとなく判るんです。

ただの演技かもしれませんが、賢そうな顔、何かをたくらんでそうな顔、何も考えてない顔、馬鹿な人の顔、知的な人の顔、輝いている顔、無気力な顔etc・・・
だいたいわかります。

さらに、体全体からでているオーラみたいなものも感じます。

もちろん、ファッションとか化粧でもその人となりを判断することは出来ます。

これらを複合的に判断すると、その人が、どういう人なのか、あるいは、どういう人として生活しているのかがわかります。

と言うことで、人の見た目というのは、非常に気にしています。
もちろん、ファッションとか、髪型とか化粧とかだけではなく、その目つきや、口の形を見ているんですけど。

ですから、それらを複合的に見ているわけですね。
どこか忘れてしまったので、紹介できないのが残念なのですが、どんなブログに魅力があるのか書いているブログがありました。

羅戦龍さんのような方を増やさないためにも、ちょっと考えてみたいと思います。

その人が言うには、書いている人がその1日に何があり、何を思ったかということが書かれていると、面白いと書いてあった気がします。

ただ今日1日にあったことを書くのではなく、そこで、書く人がどう思ったかが重要だそうです。
確かに、そうですよね。私が、「ブログって面白い」と思うのは、「ブログの薦め(7月6日)」に書いたとおり、そういった人の心が見えるからです。
それも、私のように、なんの脈絡もなく言いたいことだけ言っているブログよりは、その日にあったことから、思ったことを書いてあるほうが、リアリティーがあるでしょうし、感情移入もしやすいでしょう。

実際、ここのリンク先であるヴァルハートさんやFruitsさん、みみさん、雪見さん他、皆さんご自分の体験から思ったことを書かれている人は、皆さん、カウンターが数万件回っています。特に、CUCKOO ROBINさんは桁数が違います。

私も、皆さんの更新が楽しみです。

あと、カウンターを回すのに重要なのは、定期的な更新です。これは、普通のHPでも言えることですが、更新されなければ、見る人は減っていってしまいます。

リピーターを増やすには、誰にでも理解できるような内容にすることも重要です。
意味のわからない文章を読んでくれるような暇人は、そうはいません。

ブログの場合は、コミュニケーションの取り方も大切でしょう。

最後に、とにかく、ブログには人間性がでるものです。
変に自分を作ったり、隠したりしたところで、必ずボロが出ます。
素直な気持ちで、心の中を出せば、自然とカウンターは回るのではないかと思います。

以上、昨日の今日でこんな話を書くのは、おかしいような気もしますが、まぁ、それも一興ということで。

とは言っても、なにもカウンターを回すことが全てではないですし、書き方も人それぞれ。
自分が書きたいこと書けばいいんです。

でも、せっかくだから、様々な人に見てもらいたいと言うのも事実。
その辺は、工夫だと思います。
mixiネタが多い気がしますが、そこは気にしないでください。
昨日はこんなニュースを見つけました。
http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0607/21/news061.html

これは、何もmixiに限った話ではないと思います。

DiaryNoteのユーザーさんでも、気持ちは十分にわかるはずだと思います。
私もわかります。

足跡機能やコメント、お気に入り機能に、秘密日記と、その要素は十二分にあります。

やはり、コメントを書いていただければ、嬉しいですし、アクセスカウンターが回れば嬉しいです。

皆さんがコメント書いてくださる日が多いので、コメントがない日は寂しかったり、不安になったりします。

これは、何も私に限った話ではないと思います。

でも、私が見た感じ、依存症になってしまっているDiaryNoteユーザーさんはいない気がします。

皆さん、それなりに割り切って利用されていると感じます。

それって、このDiaryNoteが、システム的にちょうど良い位置にあるからだと思います。
誰にでも見れる部分と、秘密に出来る部分と。

mixiのような、一般公開されていないようなシステムだと、どうしても閉鎖的になってしまいます。その閉鎖的な空間と言うのは、安全なようで意外と危険な場所なんです。

だからこそ、依存症になってしまう部分があると思います。

でも、DiaryNoteもそうなんですが、コミュニケーションツールとして、国民栄誉賞並の貢献をしているのも事実です。

上手く付き合っていかなければいけないということでしょうね。

ちなみに私は、先日、ある方にコメントを頂き、初めての方かな?とクリックしてみたら、なんと、相互の方でした。ということがありました。
その人が誰かは、パソコンが壊れても書けませんが…

申し訳ありません。そのくらい適当なことをやってます。

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