単位不足の問題(4)

2006年10月31日 学校
去り行く秋に、悲しさを覚えます。

さて、第3回で止めようと思っていたのですが、マスコミについて、話が聞きたい人がいるようなので、そのことも踏まえて、もう少しだけお話を。

まず、この問題で、唯一的をえているコメントは、安部総理(のはず)の「決まりは決まりだから」というコメントだけです。悪法もまた法なりと。
ほかのコメントは、どう言い訳しようが、どう批判しようが、水掛け論になってしまい、収集がつきません。それだけ厄介な話なのです。

次に、公立高校の約7%の学校に、今回の履修漏れがあったそうです。
かなりの数の高校が逃げ切ったようです。拍手!!
でも、この数字は「必修漏れ」ということなので、選択教科で、履修していないのに、履修したことにしている学校は、含まれていないのでしょう。これを含めると、もっと増えるでしょう。

最後、マスコミの話ですが、この話が、なぜ、今、この次期に話題になったのかと言うことなんですが、ちょっと考えたことは、いじめ問題から話をシフトするためではないのか?と言うことです。

いじめによる自殺が、後を絶ちません。このひとつの原因として、後追いとか、連鎖といったものが上げられると思います。
1人やってしまうと、次々と。模造犯と同じ原理だと思います。

自分が死ねば、世間が騒いでくれる。だから自分もと。

だから、世間の目を、「いじめによる自殺」から引き離す必要があったのではないかと。
それはそれで、成功していまして、いじめ問題はどこへ行ったのか?と言えるくらい、この単位履修の問題にニュースがシフトしていました。

でも、実際は、その後も自殺していますし、報道お量も戻ってしまいました。

どうなのでしょう?よくわかりません。

単位不足の問題(3)

2006年10月28日 学校
皆さん、高校を選ぶ時は、何を基準に選びますか?

高専や、実業科を選ぶ場合は、特色や内容を加味すると思いますが、同じ普通科から選ぶ場合は、選びようが無いのが現状ではないでしょうか?

やはり、親は、少しでも良い学校にと言うでしょうし、受験する身としても、それなりの学校には行きたいと思うものだと思います。
で、良い学校とは、どういうものかと考えますと、やはり、入学偏差値の高い、進学率が高い、国立大学の合格者が多いなどがあげられると思います。

と言うことは、国立大学の合格者数が減れば、高校の価値が下がると言うことです。

勉強しない生徒は放っておけば良いと言うわけにはいきません。
ヘリコプターペアレントも多いです。

国立大学の受験に、理科あるいは社会が2教科になったという話を1回目に書きました。

理科に限定して話しますと、教育指導要領によりますと、理科の必修は、理科総合AまたはBから1教科と物理、化学、生物、地学のなかから1教科の計2教科です。
理科総合と言うのは、内容的には、中学校の理科だと考えてください。

以前は、物理、化学、生物、地学の中から2教科でした。

一方で、現在の国立大学の受験では、物理、生物から1教科、化学、地学から1教科の計2教科となります。と言うことは、理科総合は勉強しても受験には使えないと言うことです。
もし、指導要領どおりの授業展開をしますと、理系の国立大学の受験は不可能になります。
と言うことは、理科総合を捨てるか、あるいは、社会を捨てるかと言う話になります。

どうしましょう?

高校の価値が下がった場合、受験者数が減ります。公立高校も定員割れを起こす時代。定員を割ってしまうと、来年の定員が減らされてしまいます。

定員が減り続けると、そのうち学校自体がなくなってしまいます。

通った高校がなくなるというのは、何とも言い難いものがあります。
経験者ですから、わかります。

生徒の事を考えると言うよりは、生徒の通った学校を守るために、先生達は、どのような行動をとるべきなのでしょうか?

注)この教育指導要領の解釈は、重要な部分が抜けています。そのまま信じないで下さい。
こんな話は、珍しい話ではありません。
私の高校でも日常的でしたし、他の学校でもよく耳にしていました。

まだ、社会科のなかで調整しているのは可愛いものです。

体育の時間に数学をやっていたなんて話もよく聞きます。

ですから、今回の問題は、なんで、こんな問題がこんなに話題になっているのだろう?と言うのが、感想です。

みんな在学中から知っていることだし、しょうがない事だと割り切っていました。

と言うか、マスコミが非常識に見えてきます。
今まで、みんな知っていて、知らないふりをしていただけなのに、まるで新発見かのような報道。

どれだけ、世間を見ていないのか?

と言うか、若い世代であれば、自分の置かれていた状態に疑問を感じなかったのか?
ちょっと年取った人なら、自分の子どもの事にもうちょっと、気にかけておけば、誰もが気がつく内容です。

何も、隠していた事ではありません。書類上の話と、実際の話が違うことなんかは、日常茶飯事です。
違いますか?

成績表と実際の授業に差があるのですから、疑問に思わない方がおかしいです。

そんなことに、今まで気がつかなかったフリをしているマスコミに私は呆れてしまいます。

まだまだ出てきますよ。おそらく、普通科の9割くらいは、悪いことしていると思います。
もうすぐ2万ヒットです。
踏まれた方は、是非コメントを下さい。

私のお世話になった先生で、非常に素晴らしい先生がいました。
その先生は、授業で毎回課題を出し、しっかりと採点をして、返却してくださいました。
さらに、レポートが存在し、数回提出するのですが、提出する度に、真赤に訂正して返却してくれていました。

これを実行するには、学生もかなりの負担になりますが、先生だって、並大抵の負担ではありません。

もちろん、こんな先生ですので、最後までたどり着く学生は、非常に少ないのです。

しかし、ここまでしていただける先生なんて、そうはいません。自分のスキルアップを図る上では、必要不可欠なハードルです。

しかし、最近の学生さんは、そういう先生を嫌います。
ただ文句を言うのではなく、本気で嫌い恨みます。

ただ、自分の努力が足らず、単位を落としただけなのに、先生のせいだと本気で言っている。

そういう人を見て、非常に残念に思います。

そこまで、しっかり面倒を見てくださる先生に対して、文句を言うだけでなく、本気で恨むなんて…
悲しいことです。

さて、そういうことになってくると、今の学生は黙っていません。あの手この手を使って、先生を追い込んでいきます。
馬鹿な親も文句を学校の方に言ってきます。こういう親をヘリコプターパレントと言うそうです。(学生が追い込むよりも、こっちの方が効果は大きいです)

そうなると、先生も言うことを聞かざるをえなくなってしまいます。

残念です。こうやって、真剣に学生のことを思って、講義を展開されている先生が、淘汰されていくのです。
8月26日の「一生懸命に」の続きです。

昔TVで、これからの時代、オタクが勝つとTVで言っていたことを思い出しました。

オタクってすごいのです。並大抵の好奇心とモチベーションではありません。
恐ろしいくらいにすごいのです。
あのエネルギーはどこから湧いてくるのか?

しかし、それがオタク。

この話、「一生懸命に」の話につながりませんか?

そう、高校生の皆さん、オタクになりましょう。

と言うと、多分、皆さん引くと思います。
私は、秋葉原に行けないとか思っているでしょう。

でも、オタクにも色々あって、古くは「鉄道オタク」と言うものからありますから。

それでも多分まだ引いているとは思います。

どうも、オタクとかマニアとか言うと、変なイメージがありますよね?
でも、違います。

「好きこそ物の上手なれ」って言いますよね?
「好きという感情は、相手のことを知りたいと思う感情である」と言っている人もいます。
それに、好奇心の1文字目は「好」です。

知りたい。もっと知りたい。と言う感情は、好きだからこそ抱ける感情。
何事も知らなければ始まりません。

例えば、明君が好きな雪ちゃんは、もう立派な明君オタクなはずです。

ところで、このオタクというのは、ビジネスチャンスにもつながります。
例えば、一昔前のパソコンオタクは、今のIT産業の波に乗れれば、誰かみたいに大金持ちになれたかもしれません。

自分の好きなことを好きなようにする。それは、将来のビジネスチャンスにもつながるかもしれません。

どうですか?これでもまだ引きますか?

オタクパワーが凄いことは、秋葉原で証明されています。

さぁ、皆さん。勇気を出してオタクになりましょう。

周りの目?気にしちゃいけません。あなたは、あなたです。

ところで、何オタクになりますか?

でも、秋葉原のオタクたち(男)は、何故あんなにベタッとして見えるのだろう?
鉄道オタクは、もっとさわやかに見えるのに…
不思議です。

こころは何オタク(マニア)かって?
何でしょう?
春都マニアなのかもしれません。
連日甲子園で素晴らしい試合が行われている最中且つ、リンクしてくださっている方々に、高校生の方も少なくないので、こんな話を書くのも少々気が引けますが、甲子園は例外として扱わせていただくことにし、且つ、高校生が見てくれていると思うからこそ、あえて書かせて頂きます。

先日、ローカルではありますが、とあるTV局の方とお話をする機会がありました。

その中で、何故か話題になったのが、「最近の高校生クイズって、面白くないでしょ?」という話。

確かに、昔は喜んで見ていましたが、最近は見ようとも思わないです。

それで、その方が仰られるには、「この原因は、視聴者が飽きてきたとか、企画力が落ちたとか、もちろんそういった理由もあるのだが、それ以上に、今の高校生に魅力がないからだ」と。

もちろん、こんな事を仰られるので、日本テレビ系列のTV局ではありません。ですから、自分達のことを棚に上げているわけではありません。

まぁ、言われてみれば、確かに、番組としてのスケールは大きくなっていっていますので、企画力に大きな問題があるわけでもないでしょうし、今の高校生に魅力がないと言うのも、若干うなずける部分はあります。

それは、私達の世代の頃から言えることではありますが、魅力がないと言われれば、そうなのかもしれないです。

原因は、わかってはいます。

今の高校生は、と言うか、高校生に限りませんが、一生懸命さが伝わってこないんです。

確かに、喜んで見ていた頃の高校生クイズに出ていた高校生は、何かに一生懸命で、その一生懸命さが伝わってきていました。

何も他人に伝わらなくても、本人が満足しているのならば、それはそれで良いのですが、どうもそうではない気がするのです。

7月30日の「のび太!勉強しなさい!!(4)」でも触れましたが、私は、一生懸命なことが必要だと思います。

何でも良いんです。それが、勉強だと言うのであれば、勉強でも良いですし、部活だと言うのならば、それで良いですし、高校生くらいだと、バンドと言う人も少なくないと思います。
何も自分が何かを生産しなくても、そのお手伝いでも良いのです。例えばマネージャーとか。何かの追っかけとか。
何でも良いから、一生懸命になっていることが、大切だと思います。

で、最近の高校生、もちろん私の世代や小中学生をも含めて、何をしているのでしょうか?
部活を頑張っている人がいることは間違いないですが、何かが違って見えるのです。
一生懸命と言うよりかは、何か、ある種の義務のような、または、もっと他に何かを持っているような。何かを持っているのなら、それで良いのですが、だからと言って、その何かを一生懸命している雰囲気はないのです。

人生、損してるよなと思って見ている部分があります。(もちろん自分の事を第三者として見てみても)

一生懸命している人は、7月24日の「うさんくさい顔」につながってきますが、それなりに顔に出てきてわかるのです。

それに、何かを一生懸命している人は、結果的に、その他も一生懸命にやるはずなので、例えば成績に反映されてくるはずです。
しかし、学力低下が叫ばれる昨今、データとしてそれが反映されていないことがわかります。

どうなのでしょう?
皆様、何か一生懸命なものってありますか?あるいは、学生、生徒時代、何かありましたか?

私が思うに、これが一番大切だと思うのです。

何かに、一生懸命になる。そうなることによって、毎日を楽しめる。
私はそう思っています。

さらに、嫌いなことも頑張るためには、自分の好きなことを頑張っている必要もあると思います。

勉強以外に頑張っていることがある人は、かなりの確立で、勉強もそれなりに頑張れる人です。

それは、自分が好きなことを頑張っているため、頑張るということがどういうことなのか、わかっているからです。

また、自分の好きなことに関連していることを知っているからです。

好きなことが出来れば、「知りたい」、そして、「わかりたい」と思えるようになります。
好きなことを頑張るためには、好きなことだけやっていたのでは駄目なことも理解していきます。

与えられた課題を達成することも、また理解してきます。

もちろん、勉強することには、いろんな意味があります。
だからこそ、内容によっては、意味があるのかわからなくなることが多いのです。

勉強する理由は、人それぞれです。

しかし、勉強をしなければならない理由は?
なぜ、教育を受けさせる義務があるのか?

自分が、勉強をする理由が判った人。それは、多かれ少なかれ、自分の好きなことや、目標が見つかった人だと思います。

つまり、勉強をしなければならない理由は、自分が勉強する理由を見つけるため。
つまりは、好きなことを見つけるためではないでしょうか?

もちろん、我慢も学ばなければなりません。
すぐキレたり、電車のマナーが悪いのは、我慢が出来ないからです。
それは、理論がどうことか、そういう問題ではないのです。
皆さん、コメントありがとうございます。
皆さんのコメントを読ませていただいて、ちょっと思ったことは、勉強をする理由を書かれています。勉強をしなければならない理由ではないです。
もちろん、私の書き出しが、「何故勉強をするのか?」となっていますので、それの答えで十分なのですが。

さて、それを踏まえてか踏まえずか、今日のお話。

まれに勉強が好きな人もいますよね?
そういう人がいるからこそ、体育、音楽、図工(美術)、技術家庭科と言った一風変わった授業もあり、勉強が好きな人でも、手こずりそうな教科もあるわけです。

誰もがどこかで困るような仕組みになっているはずです。

逆に、誰もが、どこかで活躍できるような仕組みにもなっています。

学校で、運動会、合唱コンクール、学芸会、写生大会etcといったイベントあり、普段の授業で活躍できない人でも、活躍できるような仕組みになっています。

何も出来ない代名詞と言っても過言ではない「のび太くん」ですが、彼は、あやとりと射的が得意です。学校でそんなことが出来ても活躍できないと思うかもしれませんが、私は、生活科の授業で、あやとりを習いました。そこで、活躍できるでしょう。

誰でも、どこかで活躍できるはずです。

本当に、全てで活躍できないような人は、ちょっと、考えた方が良いと思います。
自分の生活と行動について。

さて、勉強するという行為は、知るという行為でもあります。

自分の好きなことを探すためには、自分が好きになることを知らなければなりません。

しかし、自分が何を好きになるかなど、始めから判っている人はいないと思います。
と言うことは、「下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる」の精神で、数で勝負していかなければいけません。

とりあえず、学校の勉強で、数をこなすというのも手だと思います。

そして、もし、好きな事が見つかれば、後はそれを一生懸命やれば良いのです。
下手な鉄砲が当たる確立なんて、そう高くありません。確率論から言って、すぐに1発目が当たる人もいれば、100発撃っても、1000発撃っても当たらない人もいると思います。
でも、それで良いのです。と言うか、そんなものです。

それが駄目であるわけでもなえれば、それに自信をなくす必要もないのです。
ゆっくり探していけば良いのです。

そして、あっさり好きな事を見つけてしまったら、他の事が疎かになってしまいます。
見つからずにもがいて、色々なことを学んで、体験している方が、有利かもしれません。
何のために勉強をするのか?

難しい問題です。

城崎 レイさん、ジャスミンさん、コメントありがとうございます。皆さん、様々な考えを持っておられるようで。
でも、正直、しっくりしません。何故、難しい方程式を解かなければならないかと言う答えとしては、説得力に欠けます。
また、宇宙飛行士になりたくない人は、勉強しなくて良いのですか?

難しい問題ですが、私なりの解釈を書いてみたいと思います。

勉強が楽しいと思う人はほとんどいないと思います。

普通、自分の好きなことは、頑張れます。
しかし、自分の好きでないことは頑張れない。
人間そんなものだと思います。

しかし、人生において、自分の好きでないことを頑張らなくても良い世界はあるのでしょうか?

最低でも、与えられた課題を達成していく。これが出来なければ、生きて(生活して)いけないのではないでしょうか?

自分の嫌いな事を避けて、避けて、避け続けて生きていけるのでしょうか?

学校の勉強は、自分の嫌いなことを頑張るためのトレーニングをするためのものだと思います。

勉強することに意味があるのかないのかわからないような、ただ受身の勉強を頑張ると言うのは、非常に困難です。

昔、世の中は理不尽な事だらけと書かれている人がいましたが、それを学ぶことも重要です。
意味のない仕事をさせられたり、明らかに無駄だと思う仕事をさせられたり、嫌な仕事をさせられたり。
そんなことは、珍しい話ではないと思うのです。

その中で、勉強することに意味があるのかわからないことを、理不尽にも頑張って勉強しろと言われ、勉強させられるというのも、社会に出るために、必要不可欠な事ではないでしょうか?

だからこそ、逆に、意味不明な勉強をさせられることは大切なのです。好きな事をさせられたのでは意味がないですから。

宿題やテストといった形で、先生方は児童、生徒にノルマを課します。
もちろん、それが嬉しい人はいないでしょう。

頑張って嫌な課題を達成する。それは、もちろん最低ランクでも良いのです。
しかし、どうせやるならと、レベルの高いものを要求します。

どれだけ頑張れたのか、それが、テストの点数で評価されるのです。

もちろん、それが相対評価であっても、絶対評価であってもそれは関係ないのです。頑張ったことが大切なのです。本人と評価する人が、それをわかっていればそれで良いのです。
それでも、思うように評価されないこともあるでしょうし、予想外に良い評価を頂けることもあるでしょう。

しかし、そういった理不尽さを知り、それでも頑張れる人間になる事が大切なのではないでしょうか?

世の中の理不尽さを知ることと、嫌なことにも挑戦することの耐性をつけることが、学校での意味不明な勉強をさせられる答えだと思っています。

しかし、現在、「嫌なことにわざわざ挑戦しなくても良いよ」という風潮が見受けられます。
「興味を持てないことを学ぶよりも、興味の出ることを学ぼう」という風潮が見られます。

非常に残念です。

甘やかしすぎだと思います。
ある人には、「教科書みたいで残念だ」と言われ、ある人には、「教科書みたいだから良い」と言われ、いったい、どっちに傾ければ良いのかと葛藤している今日この頃です。
とりあえず、この話については、後日改めて。
それでは、今日のお話を。

英語撲滅運動賛成!!
現在行われている小難しい授業を止めて、もっと簡単な実践的な授業への切り替え賛成!!

とは言いません。

少し前の私なら、こう言っていたでしょう。しかし、今は違います。

以前、とある教育学の先生が教師志望者に向け、こんなことを仰られたそうです。

「君達が教団に立つまでに、生徒・児童に、なんで勉強するんですか?と聞かれた時、きちんと答えられるように、君達なりの答えで良いから、しっかり考えて、答えられるようになっておきなさい」と。

確かに、幼少の頃は、何で勉強するのだろうと思っていたものです。

これは、難しい質問です。

私は、教員志望ではないので、この質問に答える必要はないのですが、私の答えを書いてみます。

6月8日の「やっぱり勉強はするべきだ」に書いたような、上辺だけの答えは簡単です。

遠心力がわかっていないから、スピードを出しすぎ、カーブで曲がりきれずに事故を起こす。
中和反応がわかっていないから、酸性洗剤とアルカリ性洗剤を混ぜて使おうとする。
日本語以外の言葉を話せずに、外国人とコミュニケーションがとれますか?

等など。これらは、勉強することにより、解決します。

と言うことは、勉強しなければいけないんです。

次に、ありがちな答えは、中学生以下の場合、義務教育なんだから、君達は教育を受ける義務があるんだと、とんちんかんな事を言う人。

義務教育というのは、教育を受けさせる義務なので、大人(親とは限らない)は、子どもに、教育を受けさせる義務があるという意味です。
子どもには義務はありません。

つまり、義務教育を盾にするのならば、こう言わなければなりません。「私は、君達に教育を受けさせ義務があるので、どんな手を使っても君達に教育を受けさせます。ですから、お願いですから、言うことを聞いてください」と。

質問の答えになってないですね。

そして、もし、高校生以上の場合は、こう答えることもできます。
「君達は、自分の意思で、学校を選び入学してきた。学校とは、勉強するための場所で、それを理解して入学したはずだ。学校にいる以上は、勉強しなさい。それが、君達が自ら選んだ道だ。」

とまぁ、ありがちな答えを書いてみました。私も、ほんの1年ほど前までは、こんなことしか考えられませんでした。

本当の私の答えは、また次回。
少し前、ヴァルハートさんが素晴らしいことを書いていました。学生、生徒さんは是非、御一読ください。
http://diarynote.jp/d/51081/20060610.html

これを読んで、思い出したことを書きます。

私のお世話になっている教授のお言葉です。

「勉強こそが最高のバイトだ」

要約しますと、学生、生徒は、しっかり勉強することが、最高のバイトになるのです。

例えば、多くの私立大学には、特待生(スカラシップ)制度があります。

入試の段階で成績がよければ、在学中の学費が全て免除になります。
一部薬学部等では、年間の学費が一千万を超える大学もあるようです。
もし、この学費が免除になれば、年に一千万の所得を得たことと同等になります。

また、大学によれば、さらに、月に数万円の生活費の援助が受けられてしまう大学もあります。

在学中の成績で特待生を選出する大学もあります。

それだけ、私立大学では、優秀な人材を求めているのです。

日本学生機構(旧育英会)の第一種奨学金は無利子で貸与されます。これも、成績が優秀でなければなりません。
奨学金ですので、返還はしなければなりませんが、下手にバイトをするよりかは、良いと思います。

また、最近始まった制度では、第一種奨学金の貸与者は、在学中の成績により、返還を免除されます。

以上、勉強こそが、最高のバイトになると言う話でした。

もう、お金が無いのは言い訳にならないのです。
その他にも、スポーツ特待生もありますしね。
勉強を続けるのに経済的障害はほとんど無いのです。
亀田三兄弟が、またTVで試合をしていた…
こいつらを見て思うこと。
やっぱり勉強はしておくべきだ。

敬語を喋れない人を見て思うこと。
やっぱり勉強はしておくべきだ。

漫画家になりたいと、中卒でフリーターをしている人がいると聞いた時思ったこと。
しっかり勉強した方が良いんじゃない?

私自身、別に学校の勉強が全てだとは思いませんし、むしろ、学校の勉強ばかりしていると、どこぞの政治家のように、逆にバカになると思います。

でも、しっかり学校に行って、しっかり勉強もするべきだと思います。

常識があれば、記者会見の場で、肉なんか食べませんよ。態度が悪すぎます。バカなんでしょう。

別に、敬語が喋れなくても、生きていけます。
しかし、やはり、「親しき仲にも礼儀あり」です。やはり、初対面の人や、目上の人には、丁寧な言葉使いをするのは当然でしょう。

夢に向かって頑張ることは大切だとは思います。

でも、例えば、中卒で漫画家になったとして、ブラックジャックが描けますか?
高校をテーマにした漫画が描けますか?

私は、描けないと思います。

せめて、一般常識レベルの話は、知っておきましょう。
そして、いろんなことを体験しましょう。

学校は、意外と良いとこです。社会的な地位があって、勉強できて、遊べて、何かしてしまっても学校が何とかしてくれる。遠足、実技の授業、修学旅行、部活、本当に、格安で、色々なことが出来ます。

ちゃんと、勉強しましょうね。
すいません、まだ続きます。

さて、先日まで今のサークル活動の現状についてコメントしてきましたが、これを打破する方法はあるのでしょうか?

私は、まだ間に合うと思います。しかし、その道は、険しいものです。

まず、大学です。まず、大学がサークルを認め、評価することです。

大学にとっても、サークル活動が盛んであることは、メリットになるはずです。

学生の意見に耳を傾け、尊重する。いけないことはいけないですし、認められないことは認められないでしょうが、その時、きちんとした説明を行い、お互いに納得する。
そして、サークルを行っている人は、行っていない人よりも、頑張っている人が多いです。その頑張りを認め、評価する。

講義の最中に、褒めてあげるのも1つでしょうし、卒業式で表彰するのも、その1つでしょう。サークル活動で講義に参加できないこともあるでしょう。しかし、そういった人も温かい目で見守ってください。決して、特別扱いをしろと言っているわけではありません。しかし、その事情を考慮してあげることは必要です。

今の若者は、肯定されると喜ぶのです。間違っても、サークル活動を否定するような言動をしてはいけないのです。否定にすぐに屈してしまうのです。

次に、OB、OGの方。温かい目で見守ってください。決して、自分達の頃を押し付けてはいけません。今は今なのです。
その中で、人間として、日本人としての、温かい、思いやりのある指導をしてください。手紙の書き方、挨拶の仕方、その他、社会に出て必要なことは、学生のうちに学んでおいたほうが社会に出てからが楽なのではないかと思います。そういったことを、しっかり、指導してください。しかし、やさしく、思いやりをもって指導してください。
決して、頭ごなしに否定をしてはいけないのです。そして、本来の活動が疎かにならないように、指導してください。時と場合によっては、目をつぶることも思いやりです。

そして、今、やる気がないのにサークルに所属している人。悪いことは言いません。辞めてください。迷惑です。あなた方が、はびこっているせいで、サークルが腐るのです。
別に、誰もあなたを必要としていません。必要としているのは、やる気がある、しっかりと活動をする人です。
あなたが辞めることによって、潰れるサークルなんて、サークル自体が、誰にも必要とされていません。

もし、そのサークルが潰れることによって、困る人がいるのなら、その困る人を中心にして、潰れたサークルの代替品がすぐに出来上がります。それが自然の摂理です。問題ありません。あなたが、中途半端にサークルを続けるほうが、逆に迷惑です。辞めてください。遠慮なく、つぶしてください。何も、あなたが人のために、やる気もないのに頑張る必要はありませんから。

次に、やる気をもって、サークル活動をされている方。このまま、やる気の無い人に負けることなく、今まで通り頑張ってください。
1人で、周りの人間に変化をもたらすことは、今の時代、不可能に近いです。今のサークルを辞めて、他のサークルを探したり、自分で、新しいサークルを作ることも視野に入れてみてください。きっと、何かが見えてくると思います。

そして、新入生の皆さん。しっかりとサークルを吟味してください。
本来、サークル活動をすることは、メリットだらけのはずです。しかし、このメリットが失われていることは、否定できません。しかし、その中で、しっかりした活動をしているサークルもまだ存在します。興味もある人もない人も、一度、しっかり吟味してみてください。きっと、何かが見えてくると思います。
さて、やる気がない人ですが、実は、外因的な要因もあります。

まず、以前、サラリーマンNEOで、「今時の若者には、すべて肯定で対処するのが効果的なんですね。」と言っていたという話題を書いたと思います。

実は、今の学生も「今時の若者」なのです。
今時の若者は、自分を否定されることを嫌がります。そして、肯定されれば嬉しく思います。

しかし、私は、別に、これは今時の若者に限ったものではないとは思います。
誰だって、自分を肯定されれば嬉しいでしょうし、否定されれば、ムッとするでしょうし、ショックも受けると思います。

最近の若者は、それが如実に現れているだけです。その1つの原因は、我慢を知らないからだとは思います。しかし、これは現実です。

そして、これは、先日書いた青少年健全育成の問題にもつながります。

さて、その中で、サークルで活動をしていると、意外と理由を告げられず、全否定をされることが多いのです。それも、内部からの否定ではなく、外部からの否定が多いのです。
内部からの否定ですと、簡単に理由を尋ねることもできますし、そうでなくても、一緒に活動をしている人の意見ですので、受け入れることができるとと思います。
しかし、外部からの否定ですと、理由も尋ねにくいですし、意見を受け入れることにも抵抗があります。

ところで、この外部からの否定はどこから来るのか?

大学からくることもあります。しかし、それ以上に、そのサークルのOB、OGからの否定が多いのです。

もう卒業してしまった、文字通り古い人間が、好き放題に今のサークル活動に文句を言ってきます。
もちろん、気持ちはわかります。
私自身、高校に遊びに行ったときは、色々言いたくなりますし、実際に言ってしまいます。

しかし、そのとき、必ず気をつけることは、絶対に彼らに強制しないことです。あくまで、私個人の考えであって、参考くらいにはして欲しいけど、決めるのは君達だからということを、前面に押し出すようにしています。

以前書いたように、現実問題、文句を言うOB、OGの方が活動をしていた当時のような活動はできません。
それは、もちろん、人数の問題もありますが、それ以上に、時代が変わってしまっているのです。
具体的に言えば、法律も変わっていますし、世間の目も変わっています。

その中で、はっきり言って、私は、その当時の活動を維持する意味もなければ、維持する必要もないと思います。

そして、こういった背景の中で、実際、やり方を変えようとする人もいるでしょう。しかし、そういった人は、内部の人間だけではなく、外のOBやOBからも妨害されます。

逆に、先日書いたように、体裁を保つために、活動をしている人も、そのままの体制を保てるわけがないので、やはり、OB、OGから叩かれます。

そして、面白いことに、このOB、OGの文句にきちんとした説明責任を果たせている人は、ほとんどいません。

私個人の考えとしては、いつまで経っても、大学のサークルに干渉してくるような人は、はっきり言って、成長できていない証拠です。
そんな人が、自分の頃とは時代が変わってしまっていることや、説明を上手くできる能力があるはずがありません。なんたって、なぜそうなのかを知らず、単純に、自分がやっていたから、やるべきだとしか思っていないからです。そのすべきことにどんな理由があるかなんてことは、考えたことがないのです。

逆に言うと、成長できていないから、大学のサークルなんてものに、いつまで経っても干渉するのです。はっきり言って、ガキなんです。

そうは言っても、本当に、そのサークルのことを思って、言ってくださっている方もおられるとは思います。
しかし、そういった方は、おそらく、きちんと成長できている方だと思うので、きちんと説明できる能力もあるでしょうし、説明できていると思います。

本当に、自分の所属していたサークルが好きな方は、その事情もよくわかっていると思います。その中で、頑張ればできることは求めてくると思います。それに、もし、無茶を言われても、それが、できないことを、今の学生が、きちんと説明できれば、わかってくださるはずです。
もちろん、学生のほうにも、説明責任があるのです。

しかし、成長しきれていない、駄目OBが、無茶なことを言っていることも事実です。

こういった、駄目OBに対しては、良識をわきまえたOBが、きちんと対応していただきたいものです。
そして、そういったしょうもないOBに対しても、自分の意見や考えを貫ける、確固たる意思が、今の学生にも必要なのです。

続く

最後に、暇つぶしの達人さん。リンクありがとうございます。
さて、引き続きサークル活動の危機(先輩方の不甲斐なさ)について考えていきたいと思います。

私の感覚では、まず、本当に頑張ってサークル活動を行っている人は、ほとんどいないように感じます。
それは、地域や大学によって多少は差があるでしょうが、私の目に付くところではほとんどいません。

そして、面白いのは、そういったやる気のない人が、本当に一生懸命やりたいと思っている人たちを駆逐しているということです。

理由は簡単です。世の中ほとんどのことが多数決で決まります。一生懸命やろうとしている人よりも、やる気のない人の方が、多いからです。

悲しい現実です。しかし、現実です。

もし、一生懸命やりたい人の方が多い場合は、サークルの流れは、一生懸命やりたい人間の方に傾きます。
しかし、やる気のない人間が多いと、必要最低限のことしかやらない方に傾くでしょう。

そうすると、一生懸命やりたい人は、絶対に満足できるものにはなりません。物足りないものになるでしょう。全く楽しくないと思います。

そうなると、おそらく、その人は「もっと頑張ろうよ」と皆をけしかけるでしょう。

しかし、そんな人の言うことに耳を傾ける人はいないでしょう。

なんたって、皆やる気ないんですから。

おそらく、駆逐されます。残念なことに。

私は、そうやって駆逐された人を何人も見てきました。本当は、私がそこで協力してあげられれば良かったのですが、その頃はまだ若かったので、駆逐されてしまうとは夢にも思いませんでした。今では、申し訳ない気持ちでいっぱいです。

さて、話を戻します。

そうして、駆逐された人がどうなっていくか?

ある人間は、サークルを去っていきました。そして、ある人間は、その中で腐っていきました。
自分の信念を持って、頑張り続けられる人間は、そうはいません。

そして、そんなやる気のない、活気のないサークルを見て、新入生はどう思うでしょう?

一緒にサークル活動をしたいと思うでしょうか?

もし、上手く騙し、入部させたところで、上述したような結果になり、去っていくでしょう。

それが現実です。

もう、どうすることもできない段階にきているサークルも少なくないはずです。

では、なぜ、やる気のない人間がサークルにはびこるのか?

まず、単純に、やる気のない人間の数が多すぎて、それが自然体になってしまっているのです。
自然体とは厄介です。その状態が自然な状態なので、簡単には変わりません。

しかし、なぜ、ここまでやる気のない人間がサークル内に増えてしまったのか?

この理由は、過去にさかのぼります。

それは、ちょうど、私達が入部した頃の話。

サークル人口が減り始め、サークル活動を維持するために、誰でも良いから入部させました。もちろんやる気のない人も。
そして、そのやる気のない人が、サークルを辞めてしまわないように、その人たちに合わせたサークル活動を展開したのです。
そうすることで、体裁を保ったのです。

その当時は、それで問題がなかったわけです。しかし、時が経つにつれ、その問題は、如実に表れ始めました。

それは、そのやる気のない人が、先輩になってしまったのです。

当然、真剣に活動をしていないので、サークルの運営方法がわからない。わからないからといって、自分なりに我武者羅になって運営しようともしない。
まぁ、当然の結果ですね。やる気がないんですから。

そして、サークル自体が腐っていく。その腐ったサークルが、また、体裁を保つために人を集める。最悪の中の最悪の悪循環です。

そして、体裁を気にするサークル運営を行っているため、様々な問題が生じます。

まず、つぶすわけには行かない。
次に、自分がつぶすわけにはいかない。
そして、対外的には、きちんとやっているフリをしなければならない。

私から言わせて貰えば、最低ですね。こんなサークル。相手にする気にもなりません。

別に、つぶしたって良いのです。中にいる人は、やる気がない。新入生も興味を持たない。存続する価値がありますか?

それに、本人は体裁を守るために必死になっているのでしょうが、外から見れば、一発でわかります。そんな活動。

新入生も馬鹿ではありません。そんなサークルに興味を持つはずがありません。

こういった傾向は、おそらく伝統のあるサークルの方が如実に現れていると思います。
歴史のないサークルは、体裁を保つ必要がないので、できる範囲の勧誘をし、できる活動をしているはずだからです。

さて、これを解決する手立てはあるのでしょうか?

続く
学生なので、たまには学生らしい話を。

私自身もサークルに所属しているのでよくわかるのですが、近年の学生のサークル離れは、深刻になっています。

年々、サークル人口は減少し、もはや昔ながらのサークル活動は困難になっています。

特に、伝統のあるサークルでは、それは、かなり深刻な問題です。

まず、なぜ、サークル離れが深刻であるかを考えたいと思います。

最近の学生は、まず、群れるのを嫌います。
以前は、寮や下宿などが主流だったのが、今は、アパートを借りて1人暮らしが主流です。それも、風呂トイレ共同なんてものも、ほぼ絶滅しました。
5〜8年くらい前は、それでも、風呂トイレ共同の部屋は、まだ、そこまで珍しい話ではありませんでした。

そして、我慢することを嫌います。
自分さえ良ければ良い、自分中心なのです。

そして、不景気のためか、バイトし、サークルに参加する暇がないという学生が多いのも現状です。

などなど、様々な要因が上げられます。

しかし、これらは、一般論であり、そして、サークル人口減少の入り口でしかありません。

私が、サークルを始めたのは、こういったサークル人口が減少し始めた頃です。その中で思うこと。それは、中にいるからこそ思うことであり、そして、ちょっと違った切り口で話を進めてみたいと思います。

まず、サークルなんてものは、大学において、必要なものではありません。
もちろん、学生生活を有意義にするためには、必要でしょう。
しかし、大学は学校であり、勉強するところです。講義に出席し、単位を取得し、卒業し学位を取得する場です。

その中で、もちろん人間関係も磨けるでしょう。

講義の中で不十分な部分はバイトで学ぶこともできるでしょう。バイトなら、労働の対価として、お金を得ることもできます。

サークルは、対価ももらえませんし、単位も取得できません。
完全な学生生活におけるオプションでしかありません。
今の時代、サークルでなければ学べないことは全くないでしょう。

その中で、サークルで活動するメリットは?

この問いに答えられる人はそう多くないと思います。

「そんなことない、私は答えられる」と言う人もいると思いますが、それは、本当に、サークルでなければ無理なことなんでしょうか?
もう一度考えてみてください。多分、私は、その言葉を否定できると思います。

さて、話を戻します。

では、サークルのメリットは?

はっきり言って、現在、一般的なサークルにメリットは無いと思います。

本来のサークル活動は、まず、人間関係を学べる場です。
先輩方から、しっかりした厳しい道徳を学び、そして、それを後輩に伝える。

そして、もう1つは、趣味に関してスキルアップを図ること。
例えば、写真部ならカメラについて、現像について、アングル、カット、その他専門的なことを学べるでしょう。

これらは、金銭が絡まないサークルという場だからこそ、金銭の絡むバイトとは違った形で、学ぶことができるでしょう。本来は、それがメリットだったはずです。

しかし、これら2点は、残念なことに、先輩方の貧弱化に伴い、後輩達に伝えることが困難になっているのが現状です。

先輩に威厳がなくなってきています。
理由は簡単です。

なず、天性のカリスマ性を持った人が減少している。
そして、サークル活動に、真剣に取り組んでいる人がほとんどいません。

前者は、それなりにしょうがない部分があるとしても、後者は、いただけません。

特に、スキルアップに関しては、真剣に取り組めば、スキルなんてものは、ある程度なら後からついてきます。

近年のサークル人口の減少は、こう言った、先輩方の不甲斐なさが拍車をかけているのは間違いありません。

続く
私には少し不思議なことがあります。

それは、体罰について。

何年か前、体罰は駄目だとかなり問題になっていました。

先生が、児童、生徒を殴ったとか、蹴ったとか話題になっていました。

知り合いに、新人教師をしておられる方がいるのですが、やはり、今でも、かなり神経質になっているようです。
ドラマのようなPTAの抗議はさすがに無いようですが、それに近いものは、あるそうです。

しかし、私達が実際に学校に行っていた頃は、殴られるなんてことは、日常茶飯事でした。
男女問わず、殴られ、叩かれたものです。

さすがに蹴りはありませんでしたが…

でも、それが悪いことだとか、いけないことだとは思いませんし、私達の両親も先生方の教育方法に文句を言うなんてことも無かったです。

そして、私は今でも、その教育に方法について、疑問は感じませんし、将来、自分の子どもが学校に通ううことになっても、おそらくこの考えは変わらないでしょう。
私の友人達も、皆そう言います。(類は友を呼ぶといいますから、あまり意味のない話かもしれませんが)

私の心に残っているのは、小学校の先生のお言葉で、「叩かれてできるのは、サーカスの動物だ。言われてできるのも、人間としては幼稚だ。言われなくてもできるのが、人間だ。」です。
深い言葉だと思います。
その通りだと思います。サーカスやショーをする動物達は、餌で動いているか、鞭で動いているかです。
「飴と鞭」ですよ。

犬をはじめとする動物達ですら、飴と鞭で言うことを聞くわけです。

それなのに、人間ができないというのは、いかがなものか?
それも、確固たる意思を持って、反抗しているのならまだしも、おそらく、そんなたいそうな事は考えてないでしょう。

しかし、言ってできないものは、しょうがありません。鞭を与えるしかないと言うのも納得です。
できないものをそのままにしておいても、その人のためになりません。

さて、こういう親の考えは、多分、順を追って、グラデーションとしてちょっとづつ変化していくものだと思うわけです。
その中で、私達の親の世代は、げんこつを肯定し、私達の世代も、肯定する。
しかし、その中間の現在の子ども達の親は否定する。

これって、不思議ではありませんか?

グラデーションが成立してないわけです。私には、理解できない部分があります。
それとも、親の考え方が世代とともにグラデーションするという考えが間違いなのでしょうか?

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