今日は特にテーマはありません。さていきましょう。

hazzi-さん
すごく素敵なお父さんです。自称駄目親と謙遜しているところがまた素敵です。
hazzi-さんのようなお父さんばかりだと、日本の教育事情はもうちょっとまともになるのではないかと思います。
小さい子がいる方は、一度目を通してみると良いかもしれません。

sayaさん
楽しいお友達に囲まれているようで、そのネタが好きです。
秋の夜にTシャツでウロウロして寒かったとか。
楽しいですね。

ジャスミンさん
お酒が大好きなのだそうです。
お酒の話を書くとコメントを下さいます。
それに、色々と気を使ってくださいます。
内容は、直感的に好きです。

ショコラさん
白衣の天使さんだそうです。
女の子という感じがして、勉強になります。

なべさん
オタクではないそうです。
全体的に面白い感じなのですが、ガンダムと女子高生の考察が面白かったです。

みみさん
記事の総数は2000以上。とにかく、とんでもない更新量です。しょこたんブログを目指しているのでしょうか?
絶対に、なにかの商品の写真があるのも注目です。なにか拘りがあるのでしょう。
内容も、すごく考えさせられる内容のことが多いです。
突然、謎のコメントを頂いたことがありました。

城崎 レイさん
とても、広い見識をもたれているようです。
だれもレイさんの悪口を書きません。
と言うことで、悪口を書いてみましょう。

・・・・

無理です。
あぁ、ちょっと、読みにくい構成になっているのが、残念です。
宝探しをしている感じがあります。
だからこそ、宝を見つけたときの価値が上がっているのですけれども。

颯子さん
すごく興味深い内容です。
独特の視点と文章表現力を持っているようです。
若干、読みにくいところがあるのですが、ついつい読みいってしまいます。
そういった面白みを持っているようです。
一読の価値はあると思います。

CUCKOO ROBINさん
只今、お引越し中でお休みされていますが、なかなか興味深い内容です。
素朴な感じがします。飾るのは良くないです。素朴が一番。
おそらく、人の心を読み取る力に長けているのではないかと思います。
驚いたことがあります。

カウンセラー

2006年11月28日 その他
もちろん、人によると思いますが、カウンセラーは、カウンセリングの時、無機質に質問をしてきます。

その質問の答えから、これまた無機質にその人のこころを分析します。
そして、その分析があっているかを、これまた無機質に確認してきます。

こういった作業を繰り返し、カウンセラーは、その人を知っていきます。
そして、その答えから、今後の方針を考えます。

で、こういった作業は、かなり機械的に行われているようです。
と言うことは、機械にもできるということです。

もちろん、人間が行えば、その人の表情やしゃべり方、その他もろもろを加味して判断ができるので、より、的確な分析をすることができます。

しかし、作業はきわめて機械的に行われます。
従って、低レベルなこころの解析は、1度プログラムを組んでしまえば、コンピューターにだってできてしまいます。

と言うことで、簡単な心理テストは、このような作業に基づき、考えられ、公開されているのだと思います。もちろん、簡略化されているので、例外が多々あることは否めません。
しかし、ある程度当たるのは、当たり前なのです。

そうでなければ、今までの心理学の歴史をぶち壊すことになってしまいまうと思います。
自分でも、意識していなかったのですが、このブログの対象年齢
それは、高校生〜大学生くらいです。

もちろん、対象年齢以外の人でも読めるようなものを書いているつもりですが、それでも、やはり対象年齢は、その程度でしょうね。

まぁ、少し考えればわかることです。
今までもところどころに、そう書いてきました。

どこにでもいる駄目学生の戯言を偉そうに書いているのですから、
私よりも年下の方に対して、あなたの人生、こんな選択肢はいかがですか?と書いているのです。

講談社の「たのしい幼稚園」を読んで、「幼稚だ」と批判する人はいないでしょう。そんなのただのバカです。

超音波

2006年11月2日 その他
ガラスを引掻くと、とても気分が悪いです。
なぜでしょう?

あれは、超音波が原因なのです。

超音波とは、人が聞き取れない20kHz以上の周波数の音波のことを言います。
ガラスを引掻く音は、とても高いですよね?
その高い音の中に、人を不快にさせる周波数帯の音波が混じっているとのことです。

一方、宇多田ヒカルの歌が売れるのはなぜでしょう?
まぁ、皆さん、色々思うところのものがあるでしょうが、一説には、超音波が原因というものがあるそうです。

宇多田ヒカルのような高音域の声には、人を心地よくする周波数の超音波が含まれているそうです。
心地よくなれる音楽として、聞くことによりヒーリング効果があるそうです。

そういう歌は、やはり必然的に売れます。

同じ超音波でも、全く違う側面を持つ超音波。

2種の超音波は、全く違ったものです。でも、同じくくりされているもの。

不思議で面白い存在です。
わら人形とか、呪いとか、あまりにも非科学的すぎて、論ずることすらバカらしいと言う方も多いと思いますが、ところがどっこい、わら人形は、意外と効果的らしいです。昔TVでやっていました。

と言いましても、呪える人と、呪えない人がいるそうです。

効果が現れるのは、わら人形を信じている人。
全く信じていない人には効果ないそうです。

まず、呪いたい相手に、自分が呪われていることを自覚させます。
具体的には、名前を書かれたわら人形が、木に打ち付けられているところを目撃させるとか。

さらに、故意でも偶然でも良いので、何か不吉なことを体験させます。
上司に怒られるでも良いですし、こけるでも良いと思います。そして、さりげなく、わら人形の呪いのせいだと思わせます。

どんな些細なことでも良いので、次々に不幸を与えてください。

そのうち、わら人形の呪いによって、不幸が訪れると思い込み、精神的にまいってきます。

ハイ、呪いは完了しました。

と言うことで、具体的なシナリオについて考察してみたいと思います。

まず、神社でわら人形をご神木に打ち付けます。
次の日の朝、その神社で、呪いたい人と待ち合わせます。

そこで、偶然、その呪いのわら人形を発見します。

「キャー!!!!」という叫び声が!

その日、呪われた人を、色々とハメていきます。

1.水溜りでこかす。
2.上からタライが落ちてくる。
3.上司に怒られる。
4.仕事でミスを誘う。
5.昼食に下剤を盛る。
6.酔っ払いに絡ませる。

そして、「散々だね。もしかして、わら人形の呪い?」と深刻そうにボソッと言う。

次の日も同様に、ハメていきます。

数日頑張れば、相手は、精神的にボロボロになります。

以上。

柳さん、呪いたい時は、こうすると良いそうですよ。次回の参考にしてみてください(笑)

注)良い子は、絶対に参考にしないでください。また、ご神木に釘を打ち付けて、バチが当たっても、私は一切の責任を負いません。

こころの占い

2006年10月24日 その他
今日は、非常に暑かったです。あの日差しは、夏の日差しですね。目の前のおじ様は、汗だくになって仕事されてました。

さて、本題です。
まず、占いに神秘性を持たせておきたい人は、この先を読まないで下さい。

それから、皆さん、今1人ですか?
1人の人のみ進んでください。
2人以上の人といる人は、あまりお勧めしません。


それでは、

まず、異性を1人思い浮かべてください。


……


思い浮かべましたか?


……


その人はあなたにとって特別な人です。

それは、当たり前ですよね?
この地球には約60億人の人間がいます。そのうちのおよそ半分の約30億人は異性です。その中の1人を思い浮かべたのですから、1/30億の確立です。
これは特別以外のなにものでもないでしょう。

こういった、「特別な人」のことを「好きな人」とか、「愛している人」とか「気にかけている人」とか表現するのだと思います。

これは、Fruitsさんのところで紹介されていた「こころの占い」(別に私が考えたわけではありません)のお話。

ある程度当たるのは当たり前なのです。

1番最初に思い浮かべるのは、やはりその時一番気になっている人だと思います。
そして、次々に気になっている人が思い浮かぶと思います。この「気になる」は何も好きかどうかだけではなく、「単純に心配している」とか、「気にかけている」とかという意味で、「気になる人」が思い浮かぶと思います。

気になっているのですから、ふと思い浮かぶのは当たり前。

しかし、こういう占いをする時、その思い浮かんだ人を整理するのに、悩んでしまいます。ここで、悩むと、直感ではなくなるので、深層心理は読み取れません。
また、その整理にも個人差が出ます。誰を何番にするかは、個人の裁量になってしまいます。

ここの占いの98%の残り2%は、そのためだと思います。

実は、この占いは、高校生の時、やったことがあるのですが、その時は集団で行いました。そうすると、思い浮かんだ人を整理するのに、どうしても雑念が入ります。そうなると、当たっているのか、外れているのかは、よくわかりません。

最初、1人ですか?と聞いたのは、そのためです。

と言うことで、星占いが当たる理由はわかりませんが、こういう占いは、ある程度当たるものだと思っています。
あくまでも、ある程度ですけれども。

こころの占い
http://www5d.biglobe.ne.jp/~baystars/uranai/uranai.htm
颯子さんが新聞に書いていまして、ちょっと思ったことを書きます。

新聞とTVは元は一緒だったりします。

読売新聞 読売テレビ
毎日新聞 毎日放送
朝日新聞 テレビ朝日

と言うように。(適当ですけど)

民放のTVはタダ見れます。しかし、同じところが作った新聞は、1部100円で販売されています。
一方、NHKには、受信料が必要です。

しかし、これらは、マスコミとして括りにされます。

NHKの情報を得るためには、お金が必要になります。
新聞から情報を得るのにもお金がいります。

しかし、民放から情報を得るにはお金がいりません。

民放にお金が必要ない理由は、CM等による広告収入によって、まかなっているからです。
一方、NHKに料金が発生するのは、その広告収入を拒否し、受信料でまかなっているからです。

NHKが受信料にこだわる理由は、広告収入を得ると、スポンサーの顔色を伺いながら放送をしなければならないため、真に平等さに欠ける放送になってしまうからと言うことらしいです。

じゃぁ、新聞は?と考えますと、元は民放と同じですし、折り込み広告をはじめ、記事の横、間にたくさんの広告が載っています。そこに真の平等における報道ができるのかと言えば、そんなことは可能なのでしょうか?

でも、料金が発生するんです。

そんなことに疑問を感じました。

主に広告のみのタウン誌などは、必要もないのに定期的にポストに入っています。

新聞もタダにすれば良いのに。

なんて無茶な話かもしれませんが、ちょっと、不思議な話でした。
昨日は、夕方からサーバーが落ちてたみたいです。
おかげで、今月もパーフェクト達成ならず…
午前中にアップしておけば良かった…

人を見下した言葉ってあると思います。
文章とか、表現法とかではなく、単語として、見下した言葉ってあると思います。

有名なのは、「かわいそう」です。
この言葉は完全に他人事を意味する言葉です。しかも、自分よりも下だと表現しています。

そして、少し前に政治家の間で流行っていた「遺憾」という言葉も、実はこれも見下した言葉なんだと昨日気がつきました。

遺憾
期待したようにならず、心残りであること。残念に思うこと。また、そのさま。(YAHOO!辞書より引用)


この言葉を他人に向けて使うということは、「あなた期待外れだよ。残念。そんな人だとは思わなかったよ」と、完全に見下してます。
今更にそんなことに気がつきました。

外国人が遺憾という言葉を使うわけがないので、それは、日本人、特にマスメディアが勝手にそう訳しているだけですから、その訳にニュアンスとしてどこまでの信憑性があるかなんかは、わかるはずもないのです。
マンボウは一回の産卵で、3億個の卵を産むそうです。

さて、そのうちのいくつの卵が、また卵を産むのでしょうか?

確実に言えることは、1個あるかないかと言うことです。

マンボウの生涯産卵回数を知らないので、何とも言えませんが、おそらく複数回でしょう。

マンボウにも♂と♀がいますので、約半分は卵を産みません。

そして、平均して2匹の親から2匹以上の子どもが繁殖すると、数が増え続けることになってしまい、生態系のバランスが崩れることになります。

以上のことを踏まえるならば、もし、仮にマンボウの生涯産卵数を1回だと仮定をしても、3億個の卵の中の将来卵を産むマンボウは、平均して1匹です。

もし、仮に生涯産卵数が2回ならば、0.5匹です。3回ならば0.33匹、4回なら0.25匹です。

マンボウは、どれだけ多くの命を失っているのでしょうか?

祝2万HIT

2006年10月10日 その他
皆様のおかげで、カウンターが2万も回ってしまいました。
こんなくだらないブログにお付き合いしていただいて、真にありがとうございます。

1万HITは、暇つぶしの達人さん
15000HITは、私。
そして、今回の2万HITは、不明です。
誰だったのでしょう?

PS.Fruitsさん、お気遣いありがとうございます。
「見る」を考えていると、新しくこんな事をを考え始めてしまいました。

いつだったか売れた歌で、
「見えないものを見ようとして、望遠鏡をまた覗いた」という感じの歌がありました。

これは、天体観測のことだったと思うのですが、「見えないものを見ようとして」様々なものが開発されています。
例えば、上の例の天体望遠鏡。

さらに、大気が邪魔で宇宙を覗けないのなら、宇宙に望遠鏡を浮かべちゃえと、ハッブル宇宙望遠鏡。

目で見えない小さなものを見たくなり、顕微鏡。

光学顕微鏡では限界があったので、電子顕微鏡。

海の中が見たいから、ソナー。

人間の中身が見たい人は、解剖までしてしまいました。

人間は、どこまで欲張りなのでしょう?
しかし、これらの行動があったからこそ、今の科学技術があるわけです。

科学者達の貪欲さが、今の科学技術の根底にあるのだと思います。

でも、どんなに見たくても、女子高生のスカートの中を見るのはいただけません。
望遠鏡で隣のお姉さんの部屋を覗くのもいただけません。
まさか、3日も「見る 見える 見せる」を続けて書くことになるとは思いませんでした。
面白いニュースを見つけてしまったのでしょうがないです。

本日YAHOO!ニュースで見つけた記事。

http://www.mainichi-msn.co.jp/kurashi/katei/news/20061005ddm013100062000c.html

言葉とは刻一刻と変化するものです。
このような変化が起こることもまた、ひとつの文化。

ギャル文字もまた、その1つ。

大文字のみで、英文を書くと、叫んでいるように見えるそうです。
と言うことは、逆に、小文字で文を書くと、可愛く見える?

そうではなく、不完全な文章が、子どもらしくて可愛く見えると私は思います。
まぁ、そんなことはどうでも良いです。

ブームとかそういうのではなく、その世代世代の言葉や文字があるというのは、悪いことではないと思います。
ギャル文字を使っていた人たちと、今、小文字を使っている人の世代は、違います。

子どもが子どもに向けて書いた文章は、子ども達にとっては、見せる文章であっても、大人達には見える文章でしかないのかもしれません。

それはそれで、ある種の暗号的表現として、ブログやメールで使うことは、ある意味で正解なのかもしれません。

例えば、機種依存文字。これらの文字を多用するならば、その文章は、その文字に対応した機器でしか読むことが困難です。
それは、書き手が行う読み手の選別ともとることができます。

同じ要領で、ギャル文字、小文字と、表現を変えることによって、読み手の世代をある程度選別することができます。

この選別という行為は、良いことなのか?悪いことなのか?

それは、決して悪いことではなく、ココの秘密日記や、mixi、はたまた、会員制のサイト等、世の中には、その選別であふれています。

万人に見えるものが、万人に宛てられたものであるわけではありません。

見えるものでも、誰に宛てたものなのか?

そんなことを考えていると、文字、言葉という意味でも、面白いなと思う今日のニュースでした。
昨日、すごく当たり前の話を考えたのですが、今日も引き続き講義中に考えていました。
すると、ある方からのアドバイスも重なり、あるとんでもない目から鱗の結論に至りました。

私は、今までブログは、見せるためのものだと思っていました。
インターネット上に書くわけですから、世界中から見られます。

この世界中から見られるという事実と、自分の文章を見せるという行動が、どうも混同していたようです。
あらためて考えてみると、どこがどう似ているのか、全くわかりません。

少なくとも、勘違いをしていた私は、今まで、見せるためのブログを書いていました。
しかし、先日、私はこの場を借りて、見せるためではない文章を書きました。
その文章は、ある方1名を除けば、ただ見える文章でしかないのです。

もちろん、見られる覚悟はした、誰にでも見ることができる文章です。しかし、見せるために書いた文章ではありません。
その文章を、煮ようが焼こうが、それは、書いた人間と宛てられた人間の自由です。
そこに、第三者の介入はお門違いです。スカートの中と同じです。

見える文章なのか、見せる文章なのか?

それは書いている人間にしかわからないのかもしれません。
その辺りは、読み手が判断するしかないのかもしれません。
それでも、明らかなものもあります。

しかし、見える文章は、あくまで見える文章であり、見せる文章とは別物です。

そんなことに、やっと気がつきました。目から鱗です。そんなことに気がついた午後の講義。

秘密日記も使っていこうかな?
見せる文章ではなく、見えてしまう文章を書くために。
「園子姉ちゃん、パンツ丸見え!!」
これ、昨日のコナン君の名言。
これは、見える状態です。

先日、女子高生のパンツの中を手鏡に写して見た教授が話題になりましたが、これは、見えない状態。

見えるから見ることと、見えないのに見ることは、全く別物です。

次に、男が目のやり場に困る見せパンと呼ばれるもの。
これは、見せている状態です。しかし、見える状態でもあります。

見える状態でも、スカートがめくれてしまって、パンツを見ることと、見せパンを見ることも、全くの別問題。

ところで、昨日はパンツを見せていたけれども、今日は見せていないお姉さんに、「昨日は見せていたのに、なぜ今日は見せないんだ?」と問うと、それは、嫌がられるでしょう。と言うか、下手すると捕まるでしょう。

同じ対象でも、その時の状態によって、見える状態なのか、見せている状態なのかは、変化するものです。
そして、それを見ても良いかも別問題です。

見えるものは、見ても問題ないとは思いますが、それを見ても良いかは別問題。「問題ない」ことと、「良い」ことは違います。

元に戻しますが、昨日パンツを見せていたお姉さんに、「昨日俺見てないから、今日見せて」と頼むのはお門違い。さらに、「見せないなんておかしい」と批判するのもお門違い。

次に、駅の掲示板に、何でも良いのですが、例えば「xyz」とメッセージを残したとしましょう。
もちろん、駅の掲示板ですから、誰が見ても問題は無いわけです。

しかし、これは、万人に宛てたメッセージではなく、ある特定の人に向けられたメッセージですから、向けられた人にメッセージが伝われば、それで、このメッセージの役目は果たされたことになります。ですから、普通は、消します。

これは、その特定の人に見せるものであって、他の不特定多数の人々には、見えるものでしかありません。
もちろん、そこには、ある程度のプライバシーもあるでしょう。

めくれてしまったスカートと同じで、見えるだけです。もちろん、見えてしまうことは覚悟しているので、見られることは問題ありません。スカートをはいた女性も、何かしらの理由で、めくれてしまい見られることは、覚悟しているはずです。
しかし、覚悟しているからと言って、スカートの中を鏡に写して見ても良いということにはなりませんし、スカートの中を見せろとも言えません。
それは、当たり前。

「xyz」も誰が見ても問題ないのですが、用が済めば、消すのは当たり前。他の人に見せるものではないのですから。
そうでなければ、一度めくれてしまったスカートは、永遠にめくっておかなくてはいけないことになってしまいます。

なんだかしょうもない話です。なぜ、こんな当たり前の話を書いたのだろう?
今日は、言葉遊びです。

9月8日の「何のために働くの?」でも少し触れましたが、最近の人々は、ボランティアと言う言葉を履き違えている人が多い気がします。

ボランティアは、本人がやりたいと思い、そして、無償で奉仕することです。

決して、誰かに強制されることでもなければ、やらされることでもありません。

あくまでも、本人が、進んで行うものです。

そして、言語の意味から考えると、その対象は、社会事業に無償で参加することですから、何かを組織的に行われなければボランティアとは言えません。

個人で、老人ホームを訪問してもボランティアとは言えないのではないでしょうか?
また、例えば独居老人を訪問しても、それはボランティアとは言えないのではないでしょうか?

本来、社会事業ですので、オリンピックや国体など、そういったことへのスタッフとして、無償奉仕することが、本来のボランティアの姿ではないでしょうか?

どうも、最近の傾向として、老人ホームなど、所謂、福祉関係の仕事を無償で行うことをボランティアだと考えている人が多い気がします。
そこに、本人の意思は関係ありません。

政治家がボランティアを義務化するとか言っているのを見ると、どうなのだろうと思ってしまいます。

もう少し、言葉を選べば良いのに…

ボランティアの義務化など本末転倒です。

とは言いましても、言葉は常に変化していくものですので、そういうことなのでしょうか?

ボランティア
《志願者の意》自主的に社会事業などに参加し、無償の奉仕活動をする人。(YAHOO!辞書より引用)


「何のために働くの?」http://diarynote.jp/d/77110/20060908.html

PS.Kajさん、お気遣いありがとうございました。
役目を終えたようなので、削除しました。
DVD バンダイビジュアル 2002/11/25 ?3,990 臼井儀人原作のTVアニメの、2001年公開の劇場版第9作。 突如出現したテーマパーク「20世紀博」で、大人たちは現実の生活を投げ出し、童心にかえって楽しんでいた。だがその裏には、絶望の21世紀を捨て、希望に満ち溢れていた20世紀を永遠に存続させようとする、秘密結社イエスタデイ・ワンスモアの計画があった。このままずっと20世紀…

先日、TVでやっていたのを見ました。

舞台は20世紀博。

20世紀を懐かしむ大人たちが、洗脳され、20世紀を求めて姿を消していく…
そんな話です。

この話は、子どもよりも大人が見るように創られてしまった作品だそうで、子どもを連れてきた親が、子どもそっちのけでボロボロ泣いていたそうだ。
後日、もう一度うっとおしい子どもを家において、大人だけで見にきていたそうな。(NHK情報)

戦後の20世紀は、東京オリンピック、大阪万博と、大きなイベントがありまして、大人たちは、それらが共通言語となっていて、とりあえず、その話をしておけば、会話ができるというイメージがあります。

でも、実際、そのような傾向があるようで、私の両親などは、その話が大好きなようです。

で、そういう話を聞いていると、自分達の世代に、そんなお祭りはあったのだろうか?

長野オリンピックも、サッカーのワールドカップ、花博、地球博も、イマイチ記憶にない。私にあっても、周りにない。周りにあっても私にない。
う〜ん…私達の世代は、懐かしさによる洗脳は無理なのかもしれません。と考えたり。
寂しいような、悲しいような…

それも、最近の個性を大事にする傾向の副産物だとは思います。個性を大事にすることは、良いことではあるのですけれども。

ところで、三丁目の夕日でも感じるのですが、夕焼けの色が違うんです、今と。
あれが不思議で、あの夕日の色を見ると、なぜか懐かしくなる…
今と昔では、夕日の色が違っているのでしょうか?
昔の方が、夕焼けが赤かった?

科学的に考えますと、空気が汚いほど、夕焼けは赤くなりますので…高度経済成長のころの空気は、汚かった?ということ?でも、それなら納得できます。行動経済成長期よりは、フィルターや規制のおかげで空気が綺麗であるような気はします。

謎です。

輪廻転生

2006年9月26日 その他
輪廻転生とはよく言ったものだと思います。

生まれ変わりを信じるか否かは別として、1つの命が失われることにより、1つの命が生まれてくるのです。
地球にある炭素量は、有限ですので、必然的に有機物量も有限になります。(もちろん、全ての炭素が有機物になるわけではないのですが)

その有限の有機物で、生物は構成されていますので、命の数も有限です。
1つの命が生まれるということは、1つの命が失われたと言うことです。

人間が繁殖し、増えていくということは、違う種の生物の個体数が減っていっているということです。

我々は死ぬと土に返り、次の生物の構成要素となるのです。
日本人は火葬されますので、二酸化炭素として大気中に放出され、その二酸化炭素を植物等が光合成をし、有機物として大地に還元します。
それは、微生物から始まり、いずれ哺乳類を始めとする高等動物の構成要素となるでしょう。

前世があるかどうかわかりませんが、こういう風に考えると、輪廻転生という言葉は、あながち間違いではないのではないかと思います。
ジーパンは、古いほど味があると言いますよね?

TVなどでも、古めかしい、ボロボロのジーパンをファッションとして履いている人は珍しくありません。

ところで、なぜジーパンはボロボロの方が味があるのでしょうか?

そこで、私なりに考えてみることにしました。

まず、ジーパンは、元々ゴールドラッシュの時の開拓者が履くための作業着として登場しました。

開拓者用の作業着ですから、いくら丈夫な素材、製法を採用していたとしても、いとも簡単に汚れ、破れてしまったことでしょう。
そして、ゴールドラッシュの開拓者です。偏見かもしれませんが、汚れたり、破れたりしたからといって、簡単に買い換えることはできなかったでしょう。

つまり、汚れや傷みは、労働の期間や過酷さに比例していたのではないでしょうか?

ジーパンの汚れや傷みは、履いている人の労働の勲章。

以上を踏まえると、ジーパンが汚れ、破れることには理由があるのです。

つまり、汚れ、破れたジーパンには、その汚れ、破れの数だけ歴史があり、その歴史に対して、私達は味を感じているのではないでしょうか?

先日TVで、ジーパンを人工的に傷める加工をする業者の紹介をしていましたが、そんなのを見ると、何だか本末転倒だなと感じてしまいます。

結果論でしかないのではないでしょうか?
四次元と表現すると、8〜9割の人は、ドラえもんが思い浮かぶと思いますが、今回はドラえもんの話ではありません。

例えば、0次元とは点を表し、1次元は(数)直線を表し、2次元は普通のグラフ(平面)を表します。さらに、3次元とは立体を表します。

これらは、全ての次元に距離を置いています。そこで、さらにもう1次元距離を足すとどうなるでしょう?意味がわかりませんよね?想像できません。ですから、ドラえもんの四次元ポケットは、想像できない意味不明な存在として成り立つのです。

しかし、今回の話は、4次元目に時間という次元を足した、4次元を扱います。

はい、多くの人は意味が判らないと思います。それは、わかっています。

簡単に言うと、この今の世界ですね。3次元の空間として高さと幅と奥行きを持った3次元の世界に、私達は存在しています。
例えば、地球は、緯度と経度で、座標(位置)を表現します。これは、GPSで簡単に知ることが出来ます。これが2次元の世界です。
そして、さらに標高を取ることにより、自分の位置が3次元(立体)的に表現できるようになります。

これが、3次元です。

さらに、距離をもう1つ取るとどうなるか?
理解できませんよね?だから、SFなのです。

さて、最後の1次元に距離でなく、時間を取るとどうなるでしょう?
そう、正にこの世界です。

時間と共に物体が動く状態が4次元の世界です。3次元では物体が動きません。

しかし、この4次元目の時間という軸は、一部例外を除いて、人間の力で調節できるものではありません。
早く動かすこともできなければ、戻すこともできません。

今起こったことを、取り消すことも、やり直すこともできません。

だから、私達は、この時間軸を当然のものとしてあまり強く意識していません。

さて、前置きが長くなりましたが、本題です。
しかし、長くなったので、本題は次回にしましょう。

と言うことで、若干、分量的にも余裕があるので、時間軸を自由にできる例をだしておきます。

簡単に想像できるのは、ビデオやカセットテープでしょうか?
好きなときに、早送りと撒き戻しができ、一時停止もできます。

未来とは、本来、想像はできても、絶対にわからない存在です。しかし、ビデオならば、一度見ておけば、この先どうなるのかわかります。何回でも見ることができる。

時間を自由に扱っている証拠です。

時間軸と4次元の世界を理解していただけたでしょうか?

PS.この世界の表し方として、4次元という表現を使う人はあまりいないと思います。実は、この表現は、私が考えたのではなく、高校のときの先生が表現したものです。その話を聞いた後、友人達が私に言った言葉は、「ドラえもんのポケットと時間にどういう関係があるの?」と。この後、私は、上に書いてあるような話を延々として、納得してもらいました。
やな感じです。
せっかく書いたのが消え去りました。

しかも、ギリギリ昨日の日付に間に合っていたのですが、それが消え去り、昨日の日付で書けなくなりました。

8時頃、サーバーダウンしてましたよね?せっかく、早めに書こうと思っていたのに。

今月こそ、パーフェクトを目指していたのに、またもや月初めにその夢破れる…

今晩はもう書く気になりません。

それでは。

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