書くことがなくなった時は、素敵なリンク先紹介でごまかしましょう。

今日のテーマは「高校生」です。
高校生の皆様をご紹介します。最近の高校生事情を知りたい方は、ぜひ、一度見に行ってみて下さい。
もし、漏れてしまった方いらっしゃいましたら、ごめんなさい。第4回以降にご紹介しますので、気長に待ってやってください。

アシタカ君
普段の生活を垣間見れるようなそんな日記です。
キリ番ゲッターを常に募集していますので、一度、キリ番とってみたいと思っている方は、歳々訪れてみるのも良いかもしれません。

えすざく君
いかにも男子高生といった感じの日記です。
最近の男子高生の頭の中を見たい人は、読んでみると、面白いかもしれません。
こちらもキリ番ゲッターさんをよく募集しています。

ほわいとさん
いかにも女子高生という雰囲気の方です。
今時の女子高生に興味のある方はぜひ。
不純な動機で見ても、面白くないと思います。
ガンダムの絵が非常に上手な方です。

昴さん
ほわいとさんとはまた違ったタイプの女子高生です。
でもやっぱり今時の女子高生が文章から染み出してきています。
ほわいとさんとの違いを読み比べてみると、面白いかもしれません。
かなり優秀なようで、末は博士か大臣か?と。(古いです…)

司穏さん
題名の「はいえんつむじかぜ」の語呂が非常に好きです。
高校生も残すところ後わずかな司穏さんですが、ほわいとさん、昴さんと比べると、やはり、文章から大人な雰囲気が伝わってきます。
バラ色の学生生活のためにも、今の調子で残りの高校生活を頑張っていただきたいものです。

今回は、男女がわかるように、敬称を「君」、「さん」とさせていただきました。ご了承ください。

第1回http://diarynote.jp/d/77110/20060626.html
第2回http://diarynote.jp/d/77110/20061007.html
誠に勝手ながら、リンクを減らしたり増やしたりさせて頂きました。
更新が止まっている方など、外させていただきました。

また、コメントいただければ、またリンクさせていただこうと思います。

また、 以前から興味深く拝見させていただいていた、ゲルタ改さん、くみこさん、籐四郎さん、ペンギンさん、勝手ながらリンクさせていただきました。
あくまでも私のお気に入りですので、相互を求めるものではありません。よろしくお願いします。

スカイハイ

2006年11月12日 人間
スカイハイという漫画出身の釈由美子主演のドラマがあります。

不慮の事故や殺人によって命を落とした者が訪れる『怨みの門』。ここの番人であるイズコ(釈由美子)は、死者の現世の記憶や残された者達の様子を見せて、最後に死者に3つの選択を出す。
「死を受け入れて、天国で再生を待つか。」
「死を受け入れず、現世で彷徨い続けるか。」
「現世の人間を1人呪い殺し、地獄へ逝くか。」
果たして死者は、何を選ぶのか?
(Wikipediaより引用)


さらに、釈曰く、殺人を犯した人は地獄へ落ちるそうです。

これらから何が言えるかと言いますと、スカイハイの世界だと、人を殺すと地獄へ落ちるということです。

それが、現世においての殺しであろうが、死後に呪い殺したのであろうがです。
まぁ、物語としては、ありがちな設定です。問題ないでしょうし、皆さん納得いくでしょう。

しかし、釈はさらにこうも言ったそうです。自殺した人も地獄へ落ちる。

つまり、自殺も人を殺したことになるということです。自分という人を殺した殺人という解釈です。

人を殺したので、地獄へ落ちる。

なるほど。

最近、自殺している人をメディアがよく取り上げていますが、自殺も殺人罪として、何らかの罰則の対象にすれば良いのにと思います。

もちろん、容疑者死亡になってしまいますけど。

殺しは殺しですから。
最近、このような題名のブログが多いです。
見ると、バトンで、前書きは、
□■ルール■□
タイトルには「彼氏or彼女ができました」と書くこと。

▼見たらすぐやるバトン←これ重要。
※見た人は必ずやること。今すぐやること。(颯子さんのところから引用)
と言うことらしいです。

でもしかし、不思議と「彼女ができました」というのはほとんど見ません。
続きましてよく見かけるのが、「不覚にもオッキした」です。
前置きは、
※これは強制バトンです。これを観てしまった男性のブロガーは、
 タイトルに「不覚にもオッキした」とつけてこのバトンをやらなければいけません。
 もしやらなかった場合は貴方のジョンソンがオッキしなくなる恐れがありますのでご注意下さい。(ヴァルハートさんのところから引用)
こちらは、読んだとおり男性限定になっています。が、この題名の数も尋常ではないようです。

以上から何が言えるか?
流行のバトンですら、女性は恋話が好きで、男は下ネタが好きという傾向が手に取るようにわかります。
バトンって面白いですね。

ネタ切れのこころさんは今日はこの辺で。
ポッキーを買いに行きますので。
では。
生き物は、自分の世界に他者が入り込むことを嫌います。生き物は同じ種類の生き物にはナワバリを渡そうとはしません。相手を追い出すまで戦い抜く、それが生き物だそうです。

そして、それは、必ずしも同じ種の生き物とも断定はできません。さらに、群で暮らす生き物には、群という単位で、ナワバリを渡そうとしません。

それは、少し考えればわかること。自分の部屋でゴキブリを発見したら殺しますよね?外に投げますよね?そうでなくても、視界から消すために追い払いますよね?

恋人と2人きりでまったりしているところに、宅配便屋さんが来ると、嫌ですよね?

自分(達)のテリトリーに、他者が近づくことを本能から、嫌っているのです。

自分には自分の世界があるということです。
自分の世界があれば、同じように他人の世界もある。

それは、自由とかそんなチャチなものではなく、もっと大きな、私には表現しきれない何かなのです。

その世界を壊される、奪われる。それを防ぐことは、生き物としてごく自然な当然の権利なのです。

自分の世界を守る。それはごく自然な生き物として行動なのかもしれません。
しかし、守る時、守るためには、多くの犠牲が生まれてしまいます。

その時、相手の世界を壊してしまうかもしれません。
自分の世界も壊してしまうかもしれません。

だからこそ、人の世界を奪ってはいけないのです。
私の世界は、この世にに1つしかありません。
同様に、あなたの世界もこの世に1つしかありません。

その世界は、多かれ少なかれ皆違います。そして、その世界を壊す権利は誰にもありません。
それは、本人にすらないのではないでしょうか?
そして、お互いのその世界を壊さずに生きる。

私の世界は、私の世界。あなたの世界は、あなたの世界。

意味わかりませんね。私も何を書いているのかよくわかりません。

よく、「私とあなたでは、住んでいる(生きている)世界が違うんだろうね?」なんて言います。
これは、ケースバイケースではありますが、基本的に褒め言葉です。

「私とあなたでは次元が違う。」これもよく聞く言葉。
物理的には同じ3次元の同じ世界に住んでいるのに、使う言葉。

この世界は、1つの世界です。しかし、私とあなたは、違う世界、違う次元に住んでいる。

あなたの見える世界と、私の見える世界は違う。
あなたの感じる世界と、私の感じる世界は違う。

これは、ごく自然で当たり前。しかし、理解しがたい事実です。
まずは、ご迷惑おかけしました。大変申し訳ありませんでした。

最初は、「引越し」という題名だったのですが、アップする直前に、まてよ?題名かえるとカウンター回るかな?と思い変えてみると、予想通りよく回りました。普段の1.5倍。
ご新規さんも若干多かった気がします。

ご迷惑おかけしました。

やめるとは一言も書いていないのに、やめないでと言って下さる方がいらっしゃるとは、思いもよりませんでした。
こんなしょうもないブログでも、楽しみにしてくださっている方がいらっしゃるということで、本当にありがたい限りです。
ありがとうございます。

移転については、全く考えておりませんので、ご安心ください。
最近、昔ほど引越屋さんのCMを見なくなりました。皆さんそう思いません?
まぁ、そんな話はどうでもいいですね。
最近、また気が緩んでいるこころです。

ブログを移転する人って結構いますよね?
移転しました。とか良く見ます。

例えばこのDiaryNoteだと、サーバーがよく落ちるとか、SNSに乗り換えるとか、自分の環境(進学、就職、恋人ができた等)の変化に伴って一新したいとか、そういった理由がある場合は、移転するのも一興だと思います。
しかし、ただ逃げ回っている人もいるみたいです。

知られたくない人に知られたとか、見られたくない人に見られるなど。

私もその口ですから、あまり大きなことは言えませんが、1回2回くらいなら、逃げてみるのも良いとは思いますが、それ以上となると…

ココは、インターネットで、世界中から閲覧することができる場です。もちろん、日本語で書いていますので、日本語が読める人しか読めませんが、それでも、かなりの人間が見ることを想定して書くべきだと思います。もちろん、見られたくない人にも見られるでしょう。
しかし、それはしょうがないことです。
だって、インターネットですから。

それをコソコソ逃げ回ったとしても、どうにもなりません。1度見つけれれば、2回目は簡単です。永遠に逃げ回ることになります。

私のように、スタイルを一新するとか、個人情報につながることは極力廃するくらいのことはしなければ、すぐに見つかってしまうと思います。

それに、「もったいないおばけ」シリーズでも書きましたが、ブログもまた私達の財産です。大切にするべきだと考えます。

少なくとも、ココだと、秘密日記もあることですし、覚悟を決めて、腰をすえる方が良いのではないかと思います。
私個人の考えですけど。

「もったいないおばけ(4)」http://diarynote.jp/d/77110/20060817.html

勇気

2006年11月6日 人間 コメント (4)
疲れたときは、疲れたで良いじゃない。
きついときは、きついで良いじゃない。
悲しいときは、悲しいで良いじゃない。
虚しいときは、虚しいで良いじゃない。
寂しいときは、寂しいで良いじゃない。
痛いときは、痛いで良いじゃない。
辛いとき、辛いで良いじゃない。

それを認めることも勇気です。
自分の弱いところを認めるのも勇気です。

あなたは1人じゃありません。
親だっている。家族だっている。先生だっている。友達だっている。ブログ仲間だっている。警察も弁護士も医者もカウンセラーもいる。

1人で抱え込む必要はないんです。
きっと誰かが助けてくれる。
今は見つからなくても、きっといつか見つかる。

空元気なんて虚しいよ。
もっと吐き出そうよ。
全部吐き出して、芯から元気になろうよ。

あなたの本当の笑顔を待っている人は、絶対にいるんだから。

良い人

2006年11月5日 人間
良い人という表現は良くないかもしれません。
素敵な人という表現もおかしい気がします。
人に好かれる人というのも少し違和感があります。

とにかく、私のボキャブラリーでは良い表現が思いつかないような人なのですが、私は、とにかく、そのタイプの人が好きです。そして、皆から好かれています。

その人は、とても傷つきやすいみたいです。

私は、とても図太くできていますので、そんなに傷つくことは少ないので、よくわからない部分があるのですが、ただ、1つ言えることは、その人は、人のせいで傷ついているのではなく、人のために傷ついていると思うのです。

自分中心主義の人が多い、もちろん私もそうで、そんな中、おそらく、貴重な存在なのだと思います。
そんな方ですから、近くにいると、傷みを共有してくれますから、近くにいると居心地が良いです。
必然的に人が集まってきます。すると、また傷が増える。

ある意味で、自業自得なのかもしれませんが、それで片付けて良い問題ではないですよね?
そういう人は、いくら口で人を追い払うようなことを言っても、絶対に人を追い払うことはできません。

それがその人の良いところであり、悪いところです。
別に、直さなければいけないところではありません。

ですから、そんな素晴らしい人を、私達は傷つけてはいけないと思います。
そういう人を、自分の逃げ場所にしないで、自分で何とかしましょう。
逃げるのではなく、解決しましょう。

そうやって、その人を傷つければ傷つけるほど、私達の居心地のいい場所がなくなっていくわけでもありますから。
結局、自分の首を自分で絞めることにもなります。

私自身も色々やらかしていて、非常に難しいのですけれども。
日本語には、幸か不幸か、敬語と言うものが存在しています。
これは、世界的に見ても珍しい部類に入るらしく、日本の文化として、世界に誇れるものの1つではないかと思います。

さて、敬語には、尊敬語、謙譲語、丁寧語の3つが存在します。

尊敬語は、相手を自分よりも上に位置させるもの。
謙譲語は、自分を相手よりも下に位置させるもの。
丁寧語は、丁寧に話す。立ち位置は、ほぼ同等。

と解釈しています。もし違っているようでしたら、ご教授ください。

数値的に表してみると、こんな感じです。

        相手    自分
尊敬語    150    100
謙譲語    100    50
丁寧語    100    95

私個人の感覚としては、ブログ運営に関してのみで言いますと、8月6日の「こころ王国」から考えるに、ここでは私が1番偉いわけですので、尊敬語を使うことには抵抗があります。

読み手を私よりも高い位置にもっていくのですから、私の威厳などどこかへ行ってしまいます。

しかし、読んでいただく以上は、読み手に敬意を払うことは事は、ごく自然な話。
ですから、相手を基準点に残したまま、自分を下にもっていく謙譲語、あるいは、ほぼ同等に位置させる丁寧語を使います。(もちろん、表現技法としての例外や、その時の感情により、適切な言葉が選べていないことは少なくないと考えます)

よく、皆様の文章を読ませていただいていると、インターネットの世界でのお互いの立ち位置はほぼ同等であるという考え方主流のようです。
私も、ほぼ同等であると考えています。

ですので、ケースバイケースで、若干の変動はあるものの(少なくとも、ここでは、若干私が上に位置すると考えています)、その立ち位置に大きな違いはないものだと考えています。

ですので、普通、ネット上でコミュニケーションをとる場合、
自分に向かって謙譲語を使われた場合は、自分も謙譲語を使い自分も相手の立ち位置まで下がる、あるいは、尊敬語を使い、相手を自分の位置まで持ち上げる。
逆に、尊敬語を使われた場合は、自分も尊敬語を使い、相手を自分の立ち位置まで持ち上げる、あるいは、謙譲語を使い自分を相手の位置まで下げる。
といったことを意識してか、意識せずか、行っていると思います。

その中で、ごくまれに、相手を見下してくる人がいます。
そうなると、相手と自分の立ち位置は同等であるわけですから、相手のその行為に甘んじていれば、位置関係に歪が生じてしまいます。

同等であるのに、相手が上に位置しようとした時、もう一度、同じ位置にするためには、自分も上に上がるしかありません。
つまり、自分も相手を見下す。

もし、討論を行うのであれば、同等の立ち位置というのは重要になってくると考えますので、そういった自分の立ち位置という部分は、意外と重要なのではないかと考えます。
以前、8月6日の「こころ王国」で書きましたが、ブログの執筆者は、そのブログでは王様です。
でも、一歩ここを出れば、私はただの観光客。

私は、いつもそういったことを念頭において皆様のブログを拝見させていただいています。

ですから、コメントを書く時も、なるべく書いた本人の考え方、意見、人物を尊重するようにしているつもりです。
実際に、できているかは、皆様の評価次第ではありますが、そういうつもりでいます。

しかし、それはここでは違います。自分のテリトリーですので、私自身を頂点に、意見をまとめあげます。その際に、皆さんのご意見を引用させていただくことも多々あります。
その時、肯定するときもあれば、否定することもあると思います。

しかし、人の意見を扱うのですから、引用先の人物は尊重すべきであると考えています。

人ですから、色んな人がいて、いろんな考え方がある。それは、ごく自然な話。

その考え自体を批判するつもりはありません。
その辺りも、評価は、皆様次第ではありますが。

「こころ王国」http://diarynote.jp/d/77110/20060806.html

超音波

2006年11月2日 その他
ガラスを引掻くと、とても気分が悪いです。
なぜでしょう?

あれは、超音波が原因なのです。

超音波とは、人が聞き取れない20kHz以上の周波数の音波のことを言います。
ガラスを引掻く音は、とても高いですよね?
その高い音の中に、人を不快にさせる周波数帯の音波が混じっているとのことです。

一方、宇多田ヒカルの歌が売れるのはなぜでしょう?
まぁ、皆さん、色々思うところのものがあるでしょうが、一説には、超音波が原因というものがあるそうです。

宇多田ヒカルのような高音域の声には、人を心地よくする周波数の超音波が含まれているそうです。
心地よくなれる音楽として、聞くことによりヒーリング効果があるそうです。

そういう歌は、やはり必然的に売れます。

同じ超音波でも、全く違う側面を持つ超音波。

2種の超音波は、全く違ったものです。でも、同じくくりされているもの。

不思議で面白い存在です。
VodafoneからSoftBankへ変わって1ヶ月。
番号ポータビリティーが導入されておよそ半月。

次の週末は3連休です。

いかにネタが不足しているかは、気にしないで下さい。

ところで、右にあるアンケートの結果は、

A203.ナンバーポータビリティ開始。あなたはどうする?

ドコモのまま 38.4%
au/KDDIのまま 29.4%
ソフトバンクモバイルに替えたい 17.2%
ドコモに切り替えたい 1.3%
au/KDDIに切り替えたい 4.8%
ソフトバンクモバイルに替えたい 4.6%
そのほか 4.3%


とのこと。

そして、先週末が終わった時点では、auの1人勝ちで、わずかにドコモがソフトバンクから顧客を奪ったという結果が出ているようです。

どうなるのでしょう?

以下、お蔵入りしていたストックです。

SoftBank。
ここにまた、M&Aの被害が…
いや、被害と書くのは、おかしいですね。何が善で何が悪かなどは見方によって変わってきますから。

ところで、こうやって、コロコロ社名やブランド名を変えるというのは、会社にとって良いのでしょうか?

例えば何でも良いのですが、グッチとかエルメスといったブランドが、名前変わっても、大きな影響はないのでしょうか?そんなことはないと思うのです。

数年前までは、J-PHONEというブランド名で、気がついたら、Vodafoneになり、そして今度はSoftBank…

ユーザーとしては、あまり良い印象を持ちません。

KDDとDDIが合併してKDDIとなります。とかだと、わかりやすいのですが…

特に、YAHOO! JAPANを知らない人は少ないでしょうが、SoftBankは、ホークスを買収するまでは、知っている人のほうが少なかったと思います。私は最初、ネット銀行だと思いましたから。

そんな社名になってしまうわけですから、良いのやら悪いのやら…

それでも、Vodafoneは、イギリスの大手電話会社ですから、納得できたのですが、今回は…

携帯は、あくまで、電話ですから…インターネットではありません。

その辺りをユーザーがどう判断するのかが見ものかもしれません。番号ポータビリティーが始まれば、会社を機種変更感覚で変えるようになるでしょうし、これから先は、色々とありそうな気がします。

ところで、最近、M&Aが流行っていますが、その結果、社名変更なんて話も少なくないですが、実際のところ、その結果はどうなっているのだろう?

業績はUPしているのでしょうか?

単位不足の問題(4)

2006年10月31日 学校
去り行く秋に、悲しさを覚えます。

さて、第3回で止めようと思っていたのですが、マスコミについて、話が聞きたい人がいるようなので、そのことも踏まえて、もう少しだけお話を。

まず、この問題で、唯一的をえているコメントは、安部総理(のはず)の「決まりは決まりだから」というコメントだけです。悪法もまた法なりと。
ほかのコメントは、どう言い訳しようが、どう批判しようが、水掛け論になってしまい、収集がつきません。それだけ厄介な話なのです。

次に、公立高校の約7%の学校に、今回の履修漏れがあったそうです。
かなりの数の高校が逃げ切ったようです。拍手!!
でも、この数字は「必修漏れ」ということなので、選択教科で、履修していないのに、履修したことにしている学校は、含まれていないのでしょう。これを含めると、もっと増えるでしょう。

最後、マスコミの話ですが、この話が、なぜ、今、この次期に話題になったのかと言うことなんですが、ちょっと考えたことは、いじめ問題から話をシフトするためではないのか?と言うことです。

いじめによる自殺が、後を絶ちません。このひとつの原因として、後追いとか、連鎖といったものが上げられると思います。
1人やってしまうと、次々と。模造犯と同じ原理だと思います。

自分が死ねば、世間が騒いでくれる。だから自分もと。

だから、世間の目を、「いじめによる自殺」から引き離す必要があったのではないかと。
それはそれで、成功していまして、いじめ問題はどこへ行ったのか?と言えるくらい、この単位履修の問題にニュースがシフトしていました。

でも、実際は、その後も自殺していますし、報道お量も戻ってしまいました。

どうなのでしょう?よくわかりません。
非常に週末が楽しみになってきたこころさんです。こんにちは。

明日はハロウィンです。そして、秋祭りの季節です。
各地でお祭りを行っております。

つい先日、家の近所でも行っていました。

日本人は、とにかく、お祭りが好きです。

春はひな祭り。
初夏は豊作を祈願する祈願祭(?)
夏は夏祭り、七夕祭り
秋は秋祭り(収穫祭)

と季節ごとにイベントが盛り沢山。
あれでもか、これでもかと祭ります。

悪いことではないです。

しかし、冬の祭りが無いのです。
困った。騒げない。

そこで輸入したのが、クリスマスとバレンタイン。
祭りのない冬、特に、クリスマスは、年末の大イベントとして、ちょうど良かったのです。

皆さん、なぜ、クリスマスは輸入しているのに、ハロウィンは輸入しなかったのだろう?と疑問に思ったことは無いですか?
ハロウィンの時期、日本人は、秋祭りでお腹いっぱいだったのではないでしょうか?

そんなことを考えた秋の午後。もうすぐ冬が来ます。
わら人形とか、呪いとか、あまりにも非科学的すぎて、論ずることすらバカらしいと言う方も多いと思いますが、ところがどっこい、わら人形は、意外と効果的らしいです。昔TVでやっていました。

と言いましても、呪える人と、呪えない人がいるそうです。

効果が現れるのは、わら人形を信じている人。
全く信じていない人には効果ないそうです。

まず、呪いたい相手に、自分が呪われていることを自覚させます。
具体的には、名前を書かれたわら人形が、木に打ち付けられているところを目撃させるとか。

さらに、故意でも偶然でも良いので、何か不吉なことを体験させます。
上司に怒られるでも良いですし、こけるでも良いと思います。そして、さりげなく、わら人形の呪いのせいだと思わせます。

どんな些細なことでも良いので、次々に不幸を与えてください。

そのうち、わら人形の呪いによって、不幸が訪れると思い込み、精神的にまいってきます。

ハイ、呪いは完了しました。

と言うことで、具体的なシナリオについて考察してみたいと思います。

まず、神社でわら人形をご神木に打ち付けます。
次の日の朝、その神社で、呪いたい人と待ち合わせます。

そこで、偶然、その呪いのわら人形を発見します。

「キャー!!!!」という叫び声が!

その日、呪われた人を、色々とハメていきます。

1.水溜りでこかす。
2.上からタライが落ちてくる。
3.上司に怒られる。
4.仕事でミスを誘う。
5.昼食に下剤を盛る。
6.酔っ払いに絡ませる。

そして、「散々だね。もしかして、わら人形の呪い?」と深刻そうにボソッと言う。

次の日も同様に、ハメていきます。

数日頑張れば、相手は、精神的にボロボロになります。

以上。

柳さん、呪いたい時は、こうすると良いそうですよ。次回の参考にしてみてください(笑)

注)良い子は、絶対に参考にしないでください。また、ご神木に釘を打ち付けて、バチが当たっても、私は一切の責任を負いません。

単位不足の問題(3)

2006年10月28日 学校
皆さん、高校を選ぶ時は、何を基準に選びますか?

高専や、実業科を選ぶ場合は、特色や内容を加味すると思いますが、同じ普通科から選ぶ場合は、選びようが無いのが現状ではないでしょうか?

やはり、親は、少しでも良い学校にと言うでしょうし、受験する身としても、それなりの学校には行きたいと思うものだと思います。
で、良い学校とは、どういうものかと考えますと、やはり、入学偏差値の高い、進学率が高い、国立大学の合格者が多いなどがあげられると思います。

と言うことは、国立大学の合格者数が減れば、高校の価値が下がると言うことです。

勉強しない生徒は放っておけば良いと言うわけにはいきません。
ヘリコプターペアレントも多いです。

国立大学の受験に、理科あるいは社会が2教科になったという話を1回目に書きました。

理科に限定して話しますと、教育指導要領によりますと、理科の必修は、理科総合AまたはBから1教科と物理、化学、生物、地学のなかから1教科の計2教科です。
理科総合と言うのは、内容的には、中学校の理科だと考えてください。

以前は、物理、化学、生物、地学の中から2教科でした。

一方で、現在の国立大学の受験では、物理、生物から1教科、化学、地学から1教科の計2教科となります。と言うことは、理科総合は勉強しても受験には使えないと言うことです。
もし、指導要領どおりの授業展開をしますと、理系の国立大学の受験は不可能になります。
と言うことは、理科総合を捨てるか、あるいは、社会を捨てるかと言う話になります。

どうしましょう?

高校の価値が下がった場合、受験者数が減ります。公立高校も定員割れを起こす時代。定員を割ってしまうと、来年の定員が減らされてしまいます。

定員が減り続けると、そのうち学校自体がなくなってしまいます。

通った高校がなくなるというのは、何とも言い難いものがあります。
経験者ですから、わかります。

生徒の事を考えると言うよりは、生徒の通った学校を守るために、先生達は、どのような行動をとるべきなのでしょうか?

注)この教育指導要領の解釈は、重要な部分が抜けています。そのまま信じないで下さい。
こんな話は、珍しい話ではありません。
私の高校でも日常的でしたし、他の学校でもよく耳にしていました。

まだ、社会科のなかで調整しているのは可愛いものです。

体育の時間に数学をやっていたなんて話もよく聞きます。

ですから、今回の問題は、なんで、こんな問題がこんなに話題になっているのだろう?と言うのが、感想です。

みんな在学中から知っていることだし、しょうがない事だと割り切っていました。

と言うか、マスコミが非常識に見えてきます。
今まで、みんな知っていて、知らないふりをしていただけなのに、まるで新発見かのような報道。

どれだけ、世間を見ていないのか?

と言うか、若い世代であれば、自分の置かれていた状態に疑問を感じなかったのか?
ちょっと年取った人なら、自分の子どもの事にもうちょっと、気にかけておけば、誰もが気がつく内容です。

何も、隠していた事ではありません。書類上の話と、実際の話が違うことなんかは、日常茶飯事です。
違いますか?

成績表と実際の授業に差があるのですから、疑問に思わない方がおかしいです。

そんなことに、今まで気がつかなかったフリをしているマスコミに私は呆れてしまいます。

まだまだ出てきますよ。おそらく、普通科の9割くらいは、悪いことしていると思います。
「朝ズバッ!」という番組は、呆れてものが言えないくらいこっけいな番組です。
まぁ、そのこっけいさが良くてついつい見てしまうんですが。

今朝のみのもんたの切れる対象は、高校の単位不足の話。

少し勉強すればわかるんですが、この日本に、高校の物理の先生は存在しません。物理を教えている先生はいます。
理学部を卒業すれば、高校の理科の免許を修得することができます。この理科の教員免許状を持っていいる先生が物理、化学、生物、地学を教えることができます。

ですから、物理を教えている先生はいますが、物理の先生は存在しません。

同じく、世界史の先生も存在しません。高校の社会科は、「地理・歴史」と「公民」の2つの免許があるだけです。
ですから、「地理・歴史」の免許を持った先生が、世界史、日本史、地理を教えることになります。

で、朝ズバッ!のしょうもない批判は、世界史の先生は何をやっていたんだ!!自分の教科をないがしろにされて黙っていられるとは!!みたいな事を言っていましたが、世界史の先生は存在しません。
日本史や地理も、その先生の教科ですから、どっちかを教えていれば問題ないわけです。

ここで理科に戻しますが、日本の高校で、地学の勉強をしている学校は、ほとんどありません。多分、数えられるくらいしかありません。
これは、理科の必修に地学が含まれていないからなのですが、地学を専門にしている理科の先生は、どんな気持ちでしょうか?
そんなことを考えると、世界史の専門の先生が口を出せると思いますか?

もう1つは、国立大学に関して言えば、去年から、必修科目が増えました。今まで、理科と社会は1教科で良かったのですが、文系なら社会が、理系なら理科が2教科必要になりました。

受験に必要な科目が増えたのです。朝ズバッ!では減っていると言っていましたが、本当ではありません。(私立は、必要教科が減少しているのは事実です)

と言う具合に、朝ズバッ!では、ウソばかり報道していますので、信じては駄目です。

今日は、この辺で。

1 2 3 4 5 6 7 8 >

 

最新の日記 一覧

<<  2025年6月  >>
1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728
293012345

お気に入り日記の更新

この日記について

日記内を検索