なぜ私が不倫に対して否定的なのかを考えてみました。

やはり、1番の理由は、違法行為であるということです。
悪法もまた法なり。違法は違法です。

でも、これでは面白くないですし、自分でも納得できません。
と言うことで、さらに考えました。

不倫は生産的ではありません。
そこからは、何も生み出さないと思うのです。

ただ時間だけが過ぎていく偽りの状態だと思います。

浮気ですから、そこに愛は無いわけで、なんとも宙ぶらりんな状態だと思います。

仮に既婚の男性と未婚の若い女性という設定で考えてみると(これが一番ポピュラーな気がします)、男性は、自業自得で、この後修羅場が待っているわけですので、詳しいことは考えませんが、女性の場合は…

まず、考えるに、十中八九捨てられます。相手には家庭があるわけですから、若い女性の方に来る可能性は高くありません。
それに、一度は選んだ女性ですから、そう簡単に奥さんを完全に捨てるとは思えません。

仮に、若い女性のところに来たとしても、それは、1人の女性を捨てた結果であって、その人を不幸にしてまで選ばれる価値はあるのだろうかと思います。
さらに仮に、選ばれる価値があり、選ばれたとしても、その男は1度奥さんを捨てた男です。そんな男とその先一緒に添い遂げることができるのでしょうか?
私は怪しいと思います。

次に、ルールはルールであり、不倫は違法です。
それは、制裁の対象になります。

形ある姿としての制裁は、慰謝料です。
不倫とわかっていて、不貞行為を数回にわたり行うと、奥さんから男も女もたんまりと持っていかれます。
それは、給料や財産の差し押さえにまで発展するかもしれません。

そして、不倫に関しては、社会的制裁の方が大きいです。

「お前のとーちゃん、昔奥さんを捨てて、かーちゃんと逃げたんだってな」なんて、子どもがいじめられるかもしれません。
近所の奥さん方は、ヒソヒソ噂話をするかもしれません。

この話に、恋愛結婚だろうが、お見合結婚だろうが、政略結婚だろうが、奥さんとの仲が冷めているかどうかなどは、関係ないと思います。

そこまでのリスクを犯してまで、不倫するメリットは?

ない気がします。さっさとあきらめるべきだと私は思うのです。

それだけの時間とエネルギーがあるのならば、もっと生産的なことをすれば良いのにと思います。

不倫は違法行為であり、法では守ってもらえないのです。
守ってもらえないことが、どういうことか?
それは、私にはわかりません。しかし、それは、茨の道であることは間違いないと思います。

以下、関係の深い記事
「人はなぜ生きていけるのか?」http://diarynote.jp/d/77110/20060427.html
「悪法もまた法なり 」http://diarynote.jp/d/77110/20060604.html
「略奪愛」http://diarynote.jp/d/77110/20060623.html
「子どもと不倫」http://diarynote.jp/d/77110/20060624.html
最近、このような題名のブログが多いです。
見ると、バトンで、前書きは、
□■ルール■□
タイトルには「彼氏or彼女ができました」と書くこと。

▼見たらすぐやるバトン←これ重要。
※見た人は必ずやること。今すぐやること。(颯子さんのところから引用)
と言うことらしいです。

でもしかし、不思議と「彼女ができました」というのはほとんど見ません。
続きましてよく見かけるのが、「不覚にもオッキした」です。
前置きは、
※これは強制バトンです。これを観てしまった男性のブロガーは、
 タイトルに「不覚にもオッキした」とつけてこのバトンをやらなければいけません。
 もしやらなかった場合は貴方のジョンソンがオッキしなくなる恐れがありますのでご注意下さい。(ヴァルハートさんのところから引用)
こちらは、読んだとおり男性限定になっています。が、この題名の数も尋常ではないようです。

以上から何が言えるか?
流行のバトンですら、女性は恋話が好きで、男は下ネタが好きという傾向が手に取るようにわかります。
バトンって面白いですね。

ネタ切れのこころさんは今日はこの辺で。
ポッキーを買いに行きますので。
では。
こんなドラマがまかり通るのだから、現代社会はどうかしてしまったのではないかと思ってしまいます。
でも、志田未来が可愛いので、見ます。

今週の生瀬パパのセリフに、ちょっと、感動しました。

7月31日からの「恋愛、結婚、セックス」シリーズで私が声を大にして言いたかった事を、間接的に肯定してくれていました。

私が、「恋愛、結婚、セックス」シリーズで言いたかったことの1つは、「本当に大切な人を男は簡単には抱けない」と思うということです。
ですから、簡単にそんなことになるような男は、たいしてその女性のことを好きではないということ。

さて、生瀬パパが言った詳細なセリフを、いくら頑張っても思い出せないので、誰か詳細に記憶している方がいらしましたら、教えていただきたいのですが、要約すると、

14歳くらいで、本気で人を好きになるなんてことはない。もしあったとしても、それはまやかしだ。本当に好きだったら、こんなことができるはずがない。

みたいな感じでした。

正直な話、おそらく志田未来に迫れると、普通、男は受け入れると思います。断る理由がありませんから。あんな可愛い娘に、迫られて断る理由はありません。

しかし、もし、志田未来のことが大切な人であれば、「止めとこ」と言うでしょう。
でも、別にどうでも良い人なら、そのまま行くところま行くと思います。

こういう問題で、損するのは必ず女性です。劇中で産婦人科の先生も仰っていましたが、痛い思いをするのは女性です。
本当に大切な人に、そんな痛い思いをさせたいとは、普通は思わないと思うんです。

私は、男はそういう生物であると思うんです。

性欲に走ると言うのは、別に、その人が痛い思いをしようが、どうでも良いという事だと思います。
さて、3日にわたって、漫画とゲームから、男と女の違いについて考察してきましたが、では、なぜそのような違いが生まれたのかを、私の独断と偏見で考察してみたいと思います。

6月14日の「男と女の生物学的違い」に書いたように、原始時代、男は外に狩に、女性は家に残り子守を担当しました。

私は、その結果だと考えます。

男は、常に外に出かけ、狩りを行いました。狩りは、戦いです。狩る方も狩られ方も命をかけた戦いです。無事、狩ることができれば、奥さんと子どもに美味しいものを食べさせてあげられる。しかし、狩れなければ帰れない。
男は、本能から、戦いを求めるのです。そして、負けられません。

また、家にいたのでは、狩りはできません。常に、外に出かけ、より良い狩り場を捜し求めたことでしょう。それは、常に未知との遭遇をもたらしたことでしょう。冒険もまた、男が本能から求めるものなのです。

そして、あの洞窟の奥には何があるのだろう?あの草原の向こうには何があるのだろう?そんな夢のような話を仲間としていたに違いありません。
もし、洞窟に入り、生還した人がいれば、ヒーローとして皆に尊敬され、「次は自分も…」と思ったことでしょう。

しかし、女性は、常に家に残り、夫の帰りを待ちました。男が帰ってくるまで、食事はお預けです。
男は、外で、適当に狩ったモノや、木の皮などを食べていたことでしょうが、女性はそうはいきません。ただひたすら待つのみです。
そのため、脂肪がつきやすくし、代謝の良い筋肉をなるべく減らしたのでしょう。

また、男をひたすら待つのです。その間、女性は何をしていたのでしょう?
おそらく、暇で暇でしょうがなかったでしょう。することもない。食べるものもない。ただ待つだけ。
ですから、女性はしゃべりました。子どもと、友人と。その話も、きっと、話題らしい話題は、子どもと夫のことくらいしかないでしょう。外に行かないのですから。経験らしい経験もない。
すると、話題は恋愛の話しかありません。

外の世界を知らない女性は、今見える現実のみを話すのです。

ですから、女性は本能として、恋ばなを求めてしまうのです。

以上、漫画から紐解く男と女の生物学的(と言うか進化学的?)違いでした。
昨日、一昨日と、男は夢の世界を冒険する漫画が好きであると書きました。

さて、TVゲームの王道は、やはり、冒険と戦いです。

TVゲームの王道と言えば、マリオとドラクエでしょうか?
いずれも冒険するものです。

他には、ストリートファイター。戦いです。

と言った具合に、ほとんどのゲームは、冒険と戦いなのです。

ですから、王道のゲームの需要は、男にあるのです。
今でこそ、女性もやっていますが、元々、男がやっていることが多かったです。

それはそうなんです。わざわざ、コンピューターの中の不完全な擬似世界に現実を描くことに、全く意味がなかったのです。
と言いますか、現実を求める女性には、コンピューターの中の擬似世界に全く興味がないのではないでしょうか?

しかし、夢の世界は、どんなに不完全であっても良いのです。どうせ、誰も真の夢の世界を知らないのですから。
今まで、完全に受身でしかなかった夢の世界に、TVの画面を通して入り込み、その中を、自分の意思で動き回れることに価値があったのです。例え、それがコントロールされたものであっても。

そして、冒険し、戦う。それも、自分の意思で行える。
今まで漫画を読むことでしか体験できなかった世界を、実際に自分の意思で歩き回れるのです。
正に革命です。

たぶん、それが男のロマンなのです。

ちなみに、今、女性もTVゲームを行うようになった理由の1つは、技術が発達し、コンピュータの中の擬似世界が、女性にも納得できるくらい、現実世界に近くなったからだと考えています。

今日の話は、王道のゲームの話でした。
相互の柳大先生が、呼応して書いてくださいました。
http://diarynote.jp/d/59631/20060928.html(下の方、頑張ってスクロールしてください)
私とは違った見解を見ることができます。

さて、柳大先生とは全く違った展開で、以下昨日の続きを。

「りぼん」や「なかよし」を読んでいる女子高生や女子大生は、あまり見かけませんが、「ジャンプ」や「マガジン」を読んでいる男子高生や男子学生は、よく見かけます。

女性は、ある程度の年齢に達すると、少女漫画から卒業しますが、男は「コロコロコミック」からは卒業しても、王道の少年漫画からは卒業しません。(あくまで傾向です)

それは、DiaryNoteを読んでいるだけでも納得できると思います。

これは、男が求めているものが夢の世界の冒険であり、女性が求めるものが現実だからです。

女性は、漫画に現実を求めます。ですから、漫画で起こることは、全て現実に起こりうることです。
人生を謳歌していくにつれ、女性は、漫画の出来事を同じように体験し、わざわざ漫画を読まなくても、自分で漫画の主人公を演じられるようになるのではないでしょうか?
あるいは、漫画の内容は、あくまで子ども向けに描かれているため、漫画の中の恋愛では満足できなくなるのではないでしょうか?
ですから、映画、ドラマ、小説と、もっと年相応のものを新規開拓していくのではないでしょうか?

一方、男は、夢の世界を求めます。
夢の世界に、大人も子どももありません。夢の世界では、例えば、非科学的な死者蘇生や魔法を使い、話が展開していきます。そこに、大人も子どもありません。
もちろん、ストーリー展開が難解であるか、あるいは、幼稚であるかなどの問題は出てきますが、基本原理は生涯変わりません。
そのため、子ども向けであっても、満足できるのです。
満足できれば、わざわざ新規開拓を行わなくとも、問題ないのです。

また、供給側も、そのことを理解し、子どもには難しすぎない、大人には幼稚すぎないストーリー展開をすることにより、どちらの読者も獲得しようとしているのです。

男は、非常に単純なのです。

以上、こころの考える「漫画から考える男と女の違い」でした。
今日は、少々マニアックな話になります。

少年マンガで、人気のあるアニメ化されたマンガ。

古くは、
・宇宙戦艦大和
・北斗の拳
・ドラゴンボール
・聖闘士星矢
・キン肉マン
・シティーハンター
・ガンダム

最近では、
・ONE PIECE
・遊戯王
・ブリーチ
・犬夜叉

などなど。

一方、少女漫画では、

・ベルサイユの薔薇
・セーラームーン
・怪盗 セイント・テール
・魔法騎士レイアース
・カードキャプター さくら
・こどものおもちゃ
・ママレード・ボーイ
・NANA
・花より男子

などなど。

こう書くと、ある種の特徴が見えてきます。

少年漫画では、戦い、冒険と言ったものが前面に押し出されています。(あるいは、エロ)

しかし、少女漫画では、LOVEを前面に押し出しています。そして、いくら戦い、冒険をメインストーリーにしても、LOVEがかなりのウェイトを占めていることがわかります。

それは、どんなに子ども向けの話でも同じで、少女漫画系列では、必ず好きだ嫌いだという話が必ず絡んできます。
一方、少年漫画系列では、一切、好きだ嫌いだという内容が出ないことが多く、出たとしても、あくまでギャグの範囲内であるか、あるいは、エロを前面に押し出したものなります。
つまり、純粋な好きだ嫌いだと言う話は、一切出てこないと言っても過言ではありません。

少年漫画と少女漫画では、そんな面白い傾向が出てきます。

また、単純に少年漫画誌と少女漫画誌をペラペラめくってみても、少年漫画雑誌では、冒険や戦いをしているものがほとんどですが、少女漫画雑誌では、普通の中学生、高校生が、好きだ嫌いだとやっているものがほとんどではないでしょうか?

もう1つ。少年漫画の主人公は、この地球にいないことが少なくない(つまり、違う次元で話が進む)ですが、少女漫画では、ほとんどの場合が普通の中高生、あるいは普通の中高生が何らかの理由で特別な状態に陥るというストーリーが多いです。

以上のことから、何が言えるかと言いますと、少年は、現実離れした夢の世界を旅する漫画を求め、少女は、現実とリンクした世界で、好きだ嫌いだとやる漫画を求めているのです。

面白いですね。
今日はある人へのメッセージです。

なるべく、一般化して書くつもりなので、皆さんも是非読んでみてください。

時間は流れてます。戻せなければ、早送りもできません。止めることもできません。

幸せは、しっかりと掴んでおかなければ、逃げていきます。
そして、いずれ壊れてしまうものです。

世の中には、幸せ量保存の法則と言うものがあります。
私は、それを信じています。

今が幸せならば、幸せなほど、その幸せは長く続きません。
それはしょうがないこと。

でも、だからこそ、その瞬間瞬間を大切にし、そして、しっかりと自分の手でその幸せをコントロールしてください。

まず、自分の気持ちに正直に。

何をどうしてどうしたいのか。そして、それが自分の幸せにつながるのか?それともつながらないのか?
それは、私はどちらでも良いと思います。でも、自分がどうしたいのか、それは考えなければいけないと思います。

たとえ、人を不幸にしてでも、そうしたいのであれば、少なくとも若いうちは、それは許されると思います。(もちろん法には触れてはいけません)

男と女の関係は複雑です。どちらかに恋愛感情が生まれてしまえば、今までの関係は、いとも簡単に崩れ去ります。

しかし、私は、男と女の友情は成り立つと信じています。

それには、男と女の考え方の違いを理解し、友情を育みたい方が、相手をコントロールしてみましょう。

とは言っても難しい話。
でも、異性の感情を理解するのは、意外と簡単かもしれません。このDiaryNoteがあれば。

コツは、信じられないことも、そうなんだと思い込むこと。

例えば、私の5月13日の「男と女の友情は成立するのか?」を思い込んでみるとか。

何をどうしたいのか?友達として過ごしたいのか?恋人になりたいのか?

それは、本人にしかわかりません。

でも、今に甘んじて何もしなければ、確実に幸せは逃げていきます。
それが、幸せ量保存の法則。

何かアクションが必要だと思います。

と私は感じています。
今日は、18禁のような気がします。自己責任で読んでください。

↑にメールアドレスを書いている人は少なくないですが、私もその1人です。
ここのリンク先の人は書いている人はあまりいませんが、皆さん、「日記読みました」とメールは来るんですかねぇ?
私は、未だ来たことがないのですが…

その代わりに色々と怪しげなスパムメールは届きます。美紀さんや田中さんなど。今くらいの量だと、まだ面白がっていられるので、問題ないですが。

ちょっと脱線しますが、スパムとは料理の名前だそうですね。

さて、それにしても、いわいる出会い系と呼ばれるサイトか、デリヘルの誘いばかりきます。
それも、女性が謝礼を払うそうです。

私は今まで、デリヘルと言うのは、女性の職業だと思っていたのですが、男でも働けるんですね。
新発見です。

普通は男がお金を払うと思うのですが。

そんなに、世の女性たちはセックスに飢えているのでしょうか?

男は、古くから飢えているものですが。

ただ、そういう文句で誘い込んでおいて、まったく別な詐欺サイトにたどり着くという可能性はありますけれども。

でも、こう、再々、こんなメールを見せらると、偏見ではありますが、世の女性達を見る目が変わってしまいます。

また、私も年頃の男ですので、色々と怪しげなサイトを見たりするんですが、数え切れない人数の女性がカメラの前で、平気でそんなことをしています。

プロではないんですから。あくまでも、素人orセミプロですから。

※この世は性欲のみでできているのかと思ってしまいます。

さて、偏見ですが、私は、見せられる価値があるのであれば、見せるのはOKだと思っています。
しかし、触らせるのはNGだと思っています。

博物館と同じです。見せるのはOKでも、触るのはNG。最近は、ハンズオン展示と言って、触らせることに価値を置くように移行してきていますが、それでも、1級品を触らせたりはしません。

それと同じです。簡単に触らせるような女は、二級品以下。

ですから、ストリップやヌードモデルはありだと思っていますが、風俗やAV女優はなしだと思っています。

私の需要は前者です。それに、前者は、ある種の芸術の域に達しています。

しかし、どうも、需要は後者にあるようです。

※繰り返し

ある友人が、VHSがここまで普及したのは、AVを見るためで、同じくDVDの普及もインターネットの普及も同じだと言うのです。

※繰り返し

これだけ性が安売りされていると、「恋愛、結婚、セックス」(7/31〜8/4)なんて話を書きたくもなります。

本当に、※繰り返し
最後に、恋愛と結婚についての私的考えについて。

城崎レイさんのご意見
恋愛は基礎工事、結婚は建物といったところでしょうか。


私的には、恋愛の延長線上に結婚があると思うのです。

それは、恋愛の二文字目が「愛」であるから。

7月20日の「好き好き LOVE! LOVE! 愛してる」に書いたように、私には、愛という言葉は、未知なる不思議な存在です。
しかし、その時、みみさんが、コソッと書いてくださったことは、「私が愛したのは、2人だ」と。
えっ?!2人なの?そんなに少ないの?と思ってしまいました。

しかし、私がそれで感じたことは、愛とはそれだけ、安いものではなく、簡単に抱ける感情ではないということです。

したがって、恋愛だって、そんな安っぽいものではないと思うのです。なんたって、2文字目は「愛」なんですから。

さらに、本当に好きな人となんて、セックスできるものではないと思うんです。

私は、そういった状態が恋愛で、その時初めて、延長線上に結婚という言葉が出てくると思うのです。

私は、延長線上に結婚という言葉が見えない恋愛は、恋愛ではなく、ただのセフレか、恋愛ゲームだと思うのです。

だから、セックスにフォーカスを合わせてみると、見えてくると表現したのです。

実際、近年の離婚率の増加は、恋愛ゲームの延長線上に結婚という言葉があると勘違いしているから、結婚生活が破綻してしまうのだと思います。

ここまでで、私が表現したいのは、セックスを我慢できない相手と結婚しても、破綻するんじゃないの?と言いたいのです。

さて、回り道をして、紹介が遅れましたが、るんさんのコメント紹介でしめたいと思います。

恋愛は本能、結婚は単なる社会ルール。社会でうまく生きる(もしくは社会を成り立たせる)ための人間関係の決まりごとの一個。
セックスは恋愛と一緒で本能。
とすれば結婚は本能をうまく使ったルールとして使用すればとても快適でしょうね。つまりルールの使用法は各自の意思によるものでしょうから、恋愛と結婚が別であっても同じでも、べつに言い訳で。個人的にはなるべく恋愛の延長上に結婚というルールを置いてみたいです。だけど、本能は自由なのにルールというのは融通が利かないのでふとしたことが不倫などと称され、ルール違反だと責められてしまう厄介なものだと思う。(一部訂正 原文はコメントを見てください)


結婚について考えるうえで、結婚について定義していないのは、痛いのですが、それは置いといて、結婚というものが、社会を上手く運営していく上でのただのルールであることに違いはありません。
ルールの使用方法が各自の意思によるもので、恋愛と結婚が別だと解釈するのもその通りだと思います。

本能は自由なのにルールというのは融通が利かないため、色々とギクシャクしてくるというのも事実だと思います。

正解などないのです。この話関しても。どう考えるか個人しだい。

しかし、私は、この数日にわたって書いてきたような考え方があっても良いと思うのです。
特に、若者の性に関する意識が低迷している昨今、ありがたいことに、ここには、たくさんの方がリンクしてくださり、その中には、司穏さん、東屋さん、ヴァルハートさんと高校生くらいの方がリンクしてくださっています。非リンクの方でも、多くの中高校生が足跡を残して下さっています。
そういった若年層の方々に、こういった考え方があっても良いんじゃないの?と伝えたいのです。
その恋愛、行くとこまで行って、本当に良いの?と。

その結果、どう考えるかは、彼(女)らしだいです。

そこを強制するつもりもありません。私はそんな立派な人間ではありませんから。

もちろん、皆さんの考えを否定するつもりもありません。

しかし、星姫先生が「恋人だからといってはけ口にしていいのか?と疑問にした点はこころさんに賛成。みんなこう思ってくれたら性教育が楽だ。生徒が退学して子供おろしたりすると悲しい。」と仰っていますが、その通りだと思います。

私もそこを期待しています。

もちろん、にゃップルパイさんの「あまりに理想論的過ぎて現実で実践できる人は少なくとも今の日本にはほとんどいないと思います。」というのも事実。

でも、理想がかなわないからと理想を持たないのは、おかしいと思います。努力目標って必要だと思います。

と言うことで、以上。
ジャスミンさんのコメントから、良い文章がかけそうです。

男性は、本気で好きになった女性を簡単には抱けないそうです。

好きな人を抱きたいと思う気持ちって、普通にあると思うよ。
好きな人がいたら、その人を知りたいと思うでしょ。
一緒にいたいと思うでしょ。そうした中で、自然とキスをしたいと思うのは当たり前なんじゃないかな?
女だって、好きな人に抱きしめられたいし、キスもしたいし。
健康的な男女なら、普通のことだよ。
好きな人に抱かれるって、とても素敵なことだよ。
それに女は、簡単に自分のすべてを晒せないものよ。
好きな人だからこそ、見せることが出来るのよ。

ただ、男性の性欲として、女性の場合と違うらしいので、単純にセックスをしたいと思う男性が多い(いわゆる欲望のはけ口)から、風俗っていうのがあるんでしょ。(一部削除 原文はコメントを見てください)


という話。
しかし、順番を変えるとこうなります。
好きな人を抱きたい、知りたいというのは、そうだと思います。
しかし、男性は、本気で好きになった女性を簡単には抱けないそうです。
ただ、男性の性欲として、単純にセックスをしたいと思う男性が多い(いわゆる欲望のはけ口)から、風俗っていうのがあるんでしょ。

しかし、全ての男性が、好きな人を抱けないから、風俗に行くでしょうか?
違います。風俗に行く代わりに、大して好きでもない女性とセックスをしようとするはずです。

女は、簡単に自分のすべてを晒せないもの。
好きな人だからこそ、見せることが出来る。

と言うことは、男は、女にそうさせるように、あの手この手を使って信用させるのです。

もちろん、女性は好きになったからこそ、セックスをするのかもしれませんが、男は違います。

男は、好きな女性を抱くことができないのですから、女性に誘われても、断るはずです。

簡単にセックスをするような男は、大して好きではないということでは?

それは、(恋)愛でしょうか?

違うと思います。これは、ただの恋愛ゲームです。

ここで、Fruitsさんのご意見「こころさんの考え方の根底に「男性」が凄く感じられました。女性には「捌け口」という言葉は、たぶん殆どの人が違和感があり理解できない言葉です。」という言葉が生きてくるのではないでしょうか?

男と女では、考え方が違う。ですので、唯一の男性であるにゃップルパイさんは、話自体の内容は肯定しています。

で、続いて、引用するのが非常に申し訳ないのですが、引用させていただきます。

雪見さんの(http://diarynote.jp/d/58507/20060718.html)です。
雪見さんは定期的に日記を削除されているので、要約しておきますと、
女は不良に惹かれるのは何故だ?という話で、雪見さん的回答は「恋愛とかセックスって、そもそも反社会的ですごく個人的なものだから、社会や家庭の雰囲気を漂わせる人には本能的に惹かれにくいのでは?」というものです。そして、これは、男女に関係ない話ではないだろうか?しかし、これは恋愛であって、結婚には結びつかない。というものです。
それに対して、私が「変な子を自分の思うようにコントロールできるようになれば、それはすごい達成感とかがあるのかもしれません。」というコメントを書き込むと、肯定していただけました。


で、この日記から、何が言いたいかと言いますと、「恋愛とは何ぞや?」と考えたとき、コントロールする快感や達成感なのかということです。これって、(恋)愛なんでしょうか?

セックスとは、繁殖するための行為です。繁殖するつもりも無いのに、欲望のままにセックスするというのは、理性が欠けているのではないかと考えられます。

でも、私、思うのです。別に理性が欠けているのではなく、愛なきセックスをするのが普通になっていて、恋愛ゲームの末のセックスがゲームクリアになっているのです。そして、エンディングは、別れ。
「恋愛とは駆け引きだ」とか言っている時点で、私は完全にゲームだと思います。

それを、「セフレ」と皮肉って表現したのです。(星姫さん、これで良いでしょうか?)

もちろん、ご結婚されて、お子様もいらっしゃるジャスミンさんの言いたいことも良くわかりますが、それは、ジャスミンさんが幸せな証拠だと思います。

本日最後にご紹介したいのが、サイダさんのコメント。「恋人とセックスというのは、必要条件ではないし、十分条件でもない」です。
数学が苦手な人は、意味不明だと思いますが、平たく言うと、「恋人とセックスには、なんの因果関係もない」と言うことです。恋人とセックスする必要もなければ、しなければならないわけでもないということです。
予想外のコメントの量に驚いております。
コメントが多すぎて、考えをまとめるのに手こずっています。
と言うことで、ちょっとづつ小出しにしていきたいと考えていますので、ご了承ください。

大変申し訳ありませんが、基本的に(1)に関しては、皆さん、様々なご意見を持たれているという事で、終わりにさせていただきます。後で触れさせていただきたいご意見もありますが。

さて、(2)に関してですが、まず、特筆しておきたいことは、以下の2点。

私は、キスはコミュニケーションとして、セーフだと思います。
キスで何かが起こる(例えば子どもができる)と言うことも、少ないでしょうし、なんたって、ある国では、挨拶代わりに日常的にキスをしていますから。

相手のことを更によく知るにはなくてはならないとは思えません。もちろん、セックスが相手を知る有効な手段の1つであることは間違いないでしょう。また、コミュニケーションの1つとしてセックスがあることも否定するつもりはあえいません。しかし、セックスでなければならないということはないはずです。違う方法で相手を知ることもできるはずです。

しかし、セックスをする理由に関しては、基本的には、皆さん、私の意見と同じであると理解させていただきます。本能または、それを示唆する言葉を使っておられる方が多いので。否定される方は、ご一報ください。
ところで、私の意見と、皆さんの意見の何が違うのかと言いますと、皆さんは、必死に綺麗な表現をしようとしているのに対して、私は、汚い表現をしているということです。

しかし、この言葉で、収められない意見があります。

ショコラさんのネタ部分。「相手が子孫を繁栄していくのにふさわしいか、知るため。」
これは、利にかなっているご意見です。(本人はネタのようですが)

これを否定するのは、難しいですが、セックスを試してみる必要はあるのでしょうか?
いったい何人子どもをつくるつもりなんですか?
ちょっとくらい我慢して子づくりをしても、バチは当たらないのでは?

さて、前回、私が結局、何が言いたかったのかと言いますと、俗に言う恋人とのセックスと、セフレとのセックスは、何が違うのですか?と言うことです。
セックスという行為は、結局のところ、欲望のはけ口であって、気持ちが有るとか無いとかと言う意見は、愚問ではないのか?と言うことです。

さらに、いくら相手が受け止めてくれると言ってくれたとしても、大好きな人に向けて、自分の欲望を発散してしまっても良いのかと問いたいのです。

城崎レイさんのご意見では、「昭和30〜40年代は、「結婚するまで清い関係であるべき」という教育を受けているので、恋人との性交はご法度だと考える」との事ですし、恋人のいない人は我慢していますし、さらには、先日の「新婚さんいらっしゃ〜い」では、「高校を卒業するまで我慢しました」という新婚さんが出ていました。
人間という理性の有る動物ですから、我慢できるはずです。(別に、恋人とではなくセフレとやるべきだと言っているわけではありません)

もちろん、好きだからこそ、そういう気持ちが湧いてくるのは当たり前です。しかし、そのまま、お互いが納得するからといって、欲望のままに行動に移してしまって良いのでしょうか?別に悪いと言っているわけではありません。

続く。
皆さん、予想以上の数のコメントをありがとうございました。
今更編集するのも大変ですので、今回は、ご期待にそえるような内容かどうかわかりませんが、とりあえず書いてあったものをそのままアップさせていただいて、後日、皆さんのご意見と自分の意見を合わせて、まとめてみたいと思っています。
まだ、昨日のコメントも受け付けていますので、何かありましたら、よろしくお願いします。

なぜセックスをするのか?

セックスの本来の目的は、繁殖です。
ですから、基本的に避妊をしている現代日本のセックスは、その動議に反しています。

私が思うに、セックスをする理由、それは性欲の解消だと思います。

ヒトの三大欲求は「睡眠欲」、「食欲」、そして「性欲」です。
性欲は、睡眠や食に並ぶヒトの欲望なのです。

その欲望を満たすためだと思います。

ところで、なぜ人間には性欲があるのかと言いますと、それは、繁殖を行うためです。つまり、「子作り」です。
ヒトという種を絶やさないために、必然的に必要な欲望なのです。
と言うのが、性欲の私的生物学的解釈です。

ですが、ここは人間。自分の欲望を抑える理性を持ち合わせていると信じます。

さて、2日もかけてしまいましたが、ここまでが定義です。

本題です。

今のセックスは、本来の繁殖という一番の目的を果たせていません。
つまり、普通のセックスは、単純に、欲望を満たすためです。

私は、恋人とセックスをするという行為は、間違っていると思います。

恋人とセックスをするということは、ただ単純に恋人を欲望のはけ口にしていると言うことです。

とは言っても、おそらく、次のような感情が働いているとは思います。

1)どちらかが誘います。(この時、おそらく、普通は、好きな人に、この欲望を受け止めてもらいたいと思うとは思います。)
すると、もう1人は、相手のことが好きだからこそ、「この人の欲望のはけ口になっても良い」と思います。

2)私は欲望を満たしたい。私も欲望を満たしたい。とお互いの利害が合致する。

3)ただのイベントとして、こなす。

これらで、条件はそろいセックスを行うのではないかと思います。

しかし、もし、本当に好きで大切な人ならば、自分の欲望のはけ口になど出来るでしょうか?

例えば、自分に人を殴りたいという欲望があったとして、恋人には、殴られたいという欲望があったとして、あなたは、気持ちよく恋人を殴りますか?

もっと極端に言うと、自分に人を殺したいという欲望があったとして、恋人が、「疲れたから殺して」と本気で言ったら、殺すのですか?

ちょっと例えが悪いですかね?

でも、そういうことではないかと思います。

たとえ、相手が、自分の欲望を受け止めてくれると言ってくれても、相手のことが本当に好きなのであれば、それは、気持ちだけを受け取って、自分の欲望は別のところで解消すべきではないでしょうか?

で、結局、何が言いたいかと言いますと、セックスとは、本来、子どもをつくるための行為です。

この人と一緒に子どもをつくり育てたいと思った時のみに、セックスをするべきだと思います。これが本当のセックスだと思います。

ただ欲望を解消するためのセックスは、本来のセックスではないと思います。

と言うか、欲望を解消するためだけのセックスなんて、セックスフレンドとしておけば良いんです。

そのセックスに気持ちは、特に必要ないはずです。

「気持ちのないセックスなんて」とか言う人がいますが、その気持ちって何ですか?

その人との子どもをつくり、育てたいという気持ちですか?
違いますよね?

お互いがお互いの欲望を受け止めてあげる気持ちですよね?それはそれで、否定する必要のない感情だとは思います。
でも、それは、断るべきだと思います。欲望を抑えられる人間という生物ならば。

本当に好きな人を欲望のはけ口になどしてはいけないと思います。
人間なんですから、理性で抑えましょう。

セックスしなくても死にませんから。我慢している人は、世の中にたくさんいます。

その中で、気持ちのあるセックスって何ですか?

結局、気持ちのあるセックスなどないのです。
お互いの欲望を埋めあうだけの行為です。

恋人同士のセックスといっても、それは、セフレとのセックスとなんら変わりません。(好きだからこそ、密度は上がると思いますけど)

つまり、恋人と呼んだところで、それは、結局、セフレと一緒なんです。

セックスのために、恋人と恋愛をしているんです。

違いますか?

ここで、元に戻します。

結局、恋愛と結婚が別か否かという問題は、どういうことかと言いますと、

結婚とは、昔の人が考えぬいて、子どもを守るために発明したものだと思います。
もちろん、今現在、その限りではないですが、それでも、1つの目的は、子どもを守ることだと思います。

その中で、セックスは子どもをつくるための行為です。

その行為は、結婚する人としか本来してはいけないのです。そうでなければ、生まれてくる子どもが、不幸になります。

つまり、結婚をするつもりの無い人とセックスをすると言うことは、それは、ただのセフレでしかないと思うのです。

恋人ではないのです。恋愛ではないのです。

つまり、恋愛と結婚は別だと考える人は、「恋人」と思い込んでいる「セフレ」と「恋愛モドキ」をしているにすぎないと思います。

無茶苦茶な理論です。
今回のコメントは、この考えが、1つの考え方として、成り立つか否かのみを受け付けます。それ以外は、目は通させていただきますが、無視させていただきます。あらかじめご了承ください。

PS.実は、この理論には、大きな欠点が存在します。それは、「恋愛」の定義をしていないことです。恋愛の2文字目は、あの「愛」という字です。この意味不明な字を使った言葉を定義することは不可能でした。
ただ、私が言いたいのは、俗に言う「セフレ」を「恋人」と呼びますか?ということです。もし、呼ぶと言うのであれば、この理論は破綻します。しかし、呼ばないというのであれば、それは、成り立つのではないかと思います。
気がつけば、今月は4日以外は全て更新していました。
こうなると、4日に惜しいことをしたなと思います。
4日は何故更新しなかったんだろう?

さて、今日の話題を私が書くには、私はまだ青すぎるかもしれません。
しかし、青いからこそ読んで欲しいと思います。

DiaryNoteの質問の中に、「恋愛と結婚は別?」という質問があります。

皆様、どのようにお考えですか?・・・(1)

この質問は、難しいと思います。

でも、私思うのです。この問題、本当は意外と簡単なのに、わざわざ難しくしていると。
ちょっと視点を変えれば、簡単かと。

その視点の変えどころ、それはセックスです。
この問題を考えるときに、セックスにフォーカス合わせるんです。

皆さん、恋人とセックスをすると思います。

なんで、恋人とセックスをするんですか?・・・(2)

私が思うに・・・

と言うところで、今日は終了です。

ネタ不足なので、ネタを2つに分けたいと言う事と、この時点での皆さんの(1)と(2)の質問の意見を聞いてみたいので、とりあえずここまでです。

皆さん、よければ、コメントか何かで答えていただけませんか?
お待ちしています。

ちなみに、すでに次回の原稿は出来ていますので、皆さんの意見で続きが大幅変更になることはありませんので、ご安心ください。

(1)だけとか、(2)だけとかでも良いので、お願いします。
先日の「略奪愛」に、Fruitsさん、真夜中のナイチンゲールさん、コメントありがとうございました。

Fruitsさんの書かれていることが本当かどうかは別として、こういう事態は、十分に考えられることだと思います。

そして、一番考えるべきは、やはり子どもであるというのも、正解だと思います。

良い機会ですので、続けて考えていきたいと思います。

昔、私の恩師が、こんなことを言っていました。
「ペットを捨てるなんて、無責任すぎる。そして、保健所に連れて行くのもおかしい。保健所に連れて行かれたペットの末路は…(中略)…、それなら、自分で殺すべきだ。それが、飼い主の責任だ」と仰られていました。

当時、小学生の私は、なるほどなと感じて聞いていました。

その上で、これは、何もペットに限ることではないのです。

子どもにだって言えることです。

こんな書き方をすると、子どももペットと同じように見えてしまうかもしれませんが、そこまで大きくは違わない同じ命だと思いますので、あえて、こう書かせていただきます。

子どもだって、ペットだって、自分の意思でそこに来たわけではありません。

偶然が、運命を左右し、そこに来てしまったのです。
それも、どちらかと言うと、親の意思により。

親の意思により、子どもがいるにも関わらず、親の意思で、捨てたりするとは、何たることか?

どうにも、私には理解できません。

もちろん、育児ノイローゼになったりすることはあるでしょう。
もう、顔も見たくなることもあるでしょう。

でも、あなたの意思で生まれてきた子どもです。
あなたの責任で、どんな事をしてでも、最後まで面倒を見るべきではないのですか?

と思います。

もし、本当にどうしようもなければ、きっと、誰かが助けてくれます。
それが、人間の社会だと思っています。

国だって、地方公共団体だってあります。施設だってあります。

しかし、その分、自分も何かを背負ってください。
自分だけ幸せになろうなんて、ありえません。

世のだらしない親たちに、学生という、世間知らずの自立していない自分だからこそ、問いたい。

子どものことをどう思っているんですか?

そして、不倫をする独身の人に問いたい。

あなたの行為が、子どもにどういう影響を与えると思っているのですか?
自分の親が、男ないし女と出て行ったら、どう思ったと思うんですか?

本当に、自分さえ良ければ良いのですか?
Fruitsさんの日記「報道できない事件の裏側(http://diarynote.jp/d/63593/20060622.html下のほう)」に良いことが書いてありました。

略奪愛…

本人さえ良ければ、それで良いのか?

限りなく自分勝手な行動です。

私の知っている人にも、こういうことをした女性がいます。

こういう事を平気でするその人の心の中身がどうなっているのか知りたいです。
また、もっと良い人が現れたからと言って、奥さんと子どもを平気で捨てる男の心の中身も知りたいです。
私には、想像もつきません。

私が一番気に入らないと思うことは、Fruitsさんも書いていましたが、こういう内容が、メディアに取り上げられ、美化して描かれ、それを見た人々が、本来、汚いはずのものを、綺麗なもののように見ている現状です。
失楽園や、東京タワーなど、その事自体が美化されていることが間違いだと感じます。

特に、今のミーハーな日本人は、簡単に洗脳されていきます。
洗脳された人々は、それに憧れ、実行するでしょう。もちろん、全員がとは言いませんが、それでも相対的に増えることは間違いありません。

もし、Fruitsさんの書いていた今回の事件の裏側が本当であれば、美化された物語の裏側には、人が死んでいると言うことになります。
これらの話は、本当に綺麗な話なのか?

メディアに取り上げる人も、その取り上げた裏で何が起こるのかと言うことに対しての責任を持って、取り上げて頂きたいと感じます。

もちろん、未来を担う子どもたちのことを一番考えて頂きたいと思います。
人それぞれ価値を置くものが違います。
それは、男と女という大きな枠組みでも言えるのではないでしょうか?

今クールの私の中でのヒットドラマ「ブスの瞳に恋してる」の台詞で、7年前に無言で出ていった彼女との再開の場面で、

稲垣五郎が、「聞きたいことがある。何で7年前に出て行ったんだ?」と。

男の私としては、すごく気持ちがわかります。

しかし、彼女の井川遥は、「それを今更聞いてどうするの?良いじゃない、こうやってまた会えたんだから」と。

女の人ならこう言いそう・・・こんな身もふたもないないことを。

劇中で稲垣吾郎も言っていましたが、こういうことがあると、男は前に進めないのです。
終わってない恋ほど、残酷なものはありません。

実際、私自身も、失恋できていない恋があります。
もう何年も経ちますが、今でも心のどこかで引っかかっています。

5月1日の「男は昔の女を忘れられるか?」にも書きましたが、そう簡単に、忘れられるものではないのです。そして、忘れるべきものではないのです。
そして、恋を終わらせるには、好きでなくすのではなく、その人から恋愛対象としての返信をあきらめることです。

男は、理論だてて物事を考えます。その過程や、理由も大切なわけです。その課程や理由があるからこそ、納得できるのです。
しかし、女性は、どうも、結果を大切にしているように見受けられます。

したがって、今回のドラマのようなことが起きるのです。

これは、以前にも書きましたが、男と女が生物学的に違うからなのです。

原始時代、男は、猟をするために進化していきました。具体的には、空間認知能力や、パワーを身につけました。猟をするためには、作戦を立てたり、時間軸を認知する能力や、チームワークも必要でしょうから、そういった方向にも特化していったでしょう。
逆に、女性は、子どもを生み、育てるために進化していきました。体に脂肪を蓄え、飢えに耐え、同時に体を保温し、長く生きれる能力を手に入れました。そして、子どもを育てるため、コミュニケーション能力にも特化していきました。

したがって、男は、その過程を重要視しますが、女性は、コミュニケーションを大切にします。これが、人類が生き抜いていくために進化して得た分業の結果なのです。
類は友を呼ぶ:気の合った者や似通った者は自然に寄り集まる。類を以(もつ)て集まる。(YAHOO!辞書)

最近、気になる言葉。さすがに、私の座右の銘にはなりませんが、それでも注目のことわざです。

DiaryNoteの最初はランダムジャンプから、その後はリンクをたどって、皆さんのブログを読むのが最近のマイブームです。

読んでいて思うことは、「類は友を呼ぶ」とは正にこのことだなと。
リンク先のほとんどは、その人と、よく似たことをテーマにしています。

ある人はSMAPのこと、ある人は野球のこと。
本当に面白いです。

それに、同じようなテーマで書いている人が、こんなにもたくさんおられるんだということにも驚きです。
私のような、こんなある意味宗教めいたことばかり書いてあるようなブログは、他にもあるのだろうか…

でも、そんな中にも、その人の心が読み取れるのが、面白いですね。

さて、そんな中思うことは、皆さんに、もっと様々な方の意見を聞いて欲しいと思うことです。

読ませていただいていると、どうも、相互リンクをしている方とお互いの傷をなめあっているように感じられることがあります。
それを否定するつもりはありません。同じような傷を持つ方同士が、自分の経験からアドバイスしあうということは、とても素晴らしいことだとは思います。

しかし、5月3日の「友達って」にも書きましたが、同じ傷をなめ合う関係では友達とは呼べないでしょう。相手のことを考え、問題ありそうなことは、問題あるよと言ってあげれる人が、友達だと思います。

こんなことを書くと、「そんなインターネットで、そこまでの友達を求めるのは間違っているでしょう」と思われる方も多いとは思いますが、それが正解だと思います。
インターネットの関係は、あくまでもインターネットの関係です。そこを逃げ場所にしてはいけないのです。

以上、詳しくは後日まとめたいと思います。
昨日の話は、もう少し時間をおいてからしたいと思っています。

と言うことで、しばらくは違う話を。

ふと思ったことです。人は文章を読むだけで恋をできるのでしょうか?
どうなのでしょう?

私は、このDiaryNoteをはじめ、たくさんのブログを読ませていただき、「この人絶対良い女だ!!」と思うことは、しばしばです。
しかし、これは恋とは違いますよね?

とは言っても、私の自論ですと、「男はLoveとLikeの違いが理解できない」と思っているので、もしかしたら、一歩間違えると恋をするのだろうか?
とか、少し考えてしまいました。

しかし、現実問題、顔を合わせたことのなかったメル友と、恋愛に発展しましたという話は、よく耳にする話です。

どうなんでしょう。でも、容姿がわからない相手を好きになる場合、本当に相手の中身を好きになるわけですから、実は、すごく良い話なのかもしれません。

と、今日は、くだらないお話でした。
題名は続いていませんが、昨日の続きです。

あなたの恐怖なんですか?恐怖とは、どんな時に生まれる感情でしょうか?

それは、自分の力が及ばない存在なのではないでしょか?つまり、自分の力では解決できない、回避できない出来事。
例えば、自然災害。人間の力では、回避できない事象です。

さて、こんな話があります。

草?剛主演「恋におちたら〜僕の成功の秘密〜」で、社長の堤真一とは全く違った営業手法で草?剛がドンドン営業成績を上げていくため、不気味になっていきます。そして、最終的には、潰しにかかります。

これこそ、恐怖そのものなのです。今までの自分の生き方を否定されているように感じるのです。そして、それを否定しても否定しても、上手くやってのける。いずれ、自分を追い越し、自分の地位を脅かすかもしれない。それが本人(草?剛)の意思かどうかは関係なく。
それも、自分(堤真一)には、どうすることもできない。つまり、自分の力では止めることができない。自分の力の及ばない何かが、自分に迫ってきている。

恐怖です。

実は、ドラマを中心に、こういった内容が描かれている物語は少なくありません。

そして、独裁政治と革命者の関係もそのような関係ではないでしょうか?

意外とこんな話は、身近にあるのです。

先日の騎士道の話にもつながりますが、男性であるA君は、昔好きだった女性Bさんのことを、とても大切に思っています。
A君は、昔、Bさんに告白をしてふられてしまいました。しかし、5月13日の「男と女の友情は成立するのか?」に書いたとおり、A君は、Bさんのことが今でも好きです。しかし、Bさんに対して、恋愛感情の返信は期待していません。Bさんのことは、友達として、一人の人間として、とても大切に思っています。

さて、ここで、Bさんが、ちょっと困ったことを始めました。そうですね、例えば、万引きを日常的に始めたとしましょう。もちろん、A君は、Bさんに止めさせようとします。大切な人が窃盗で警察に捕まってしまっては大変です。
しかし、そこでBさんは、「私のことがまだ好きだから干渉してくるのね。放っといてよ。」と思うわけです。そして、「そんなに私に恩を売ったって、私は、あなたのこと好きにならないわよ」と思うのです。そして、Bさんは、A君本人にもそう言い放つのです。

しかし、A君は、もう、Bさんからの恋愛感情の返信は求めていません。単純に心配なのです。大切な人ですから。
A君は、Bさんが言っている事が理解できません。何を言っているのかわかりません。もう、あきらめている人に、「私、あなたのこと好きにならないわよ」と言われても、全く的外れな言葉なのです。
もちろん、A君は、Bさんが言っていることが理解できないため、「僕はそんなこと求めてないよ」と言い、その後も、万引きを止めさせようと画策するわけです。
そうすると、Bさんは、益々、怒ります。「なんなのよ、この人。そんなに私のことが好きなの?」と。
Bさんは、さらに酷い口調で、A君に言い放ちます。しかし、A君は、Bさんが言っていることが理解できません。なぜ怒っているかも理解できません。
そして、こういう言うのです。「別に、好きになって欲しいわけではないよ」と。しかし、BさんはA君のその言葉が信じられません。こうなると修羅場です。

Bさんは、A君に、自分の言葉が届かない、つまり、自分の力が及ばないA君に恐怖を覚えます。倒しても倒しても復活するゾンビのような存在なのです。

そして、それをいくらA君に訴えても、A君は、なぜそんなことを言うのか理解できないのです。そして、とにかく自分が嫌われたとしてもかまわないから、万引きを止めさせようとするのです。それが、A君の騎士道なのです。

困ったことになりました。Bさんは、A君が恐怖です。存在が怖いのです。そして、Bさんは、その恐怖の対象を目の前から排除しようとするのです。しかし、A君は、そのBさんの気持ちが理解できないのです。そして、A君はBさんを大切に思うのです。万引きも止めさせようとするのです。それが、逆効果であることにも気がつかずに。

この2人は、この後どうなるのでしょう?お互いに不幸です。
でも、A君が悪いとも思えませんし、Bさんが悪いとも思えません。どうでしょう?

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