エリート教育

2006年11月29日 社会
世の中にエリートとは必要不可欠な存在です。

それは、何故か?

皆さん、例えば昨今の環境問題にどのような取り組みをされていますでしょうか?

おそらく、しっかりやっている人でも、省エネに取り組むぐらいが関の山だと思います。

そして、根本的解決策は、偉い官僚や科学者がなんとかしてくれるだろうと思っていませんか?

ハイ、これぞ、エリートの必要性を裏付ける、凡人の考えです。

エリートは必要不可欠な存在なのです。

で、今現在の制度としては、実は、このエリートになる権利は、全国民にほぼ平等に与えられています。
ようは、勉強すれば良いのです。

格差社会とか言いますが、あれは、途中で戦線離脱した人間が必要不可欠なエリートに対しての妬みです。

元々のセンスとして、勉強できるできないは若干あるとは思います。
しかし、そのファクターは、誤差程度だと思います。

私だって、今学校に通っていますので、このまま院に進学し、博士号をとれば、科学者になることは、意外と簡単かもしれません。
でも、私は、そろそろ戦線離脱です。
これ以上は興味もありませんし、科学者になりたいとも思いません。

恐怖の電話

2006年11月27日 社会
ちょっと困ったことになってしまいました。

ついに、私のところにまで架空請求の魔の手が訪れました。

先日、突然携帯がなり、
???「もしもし、こころさんの携帯ですか?私、住友情報サービスの(名乗っていたが、メモリませんでした)と言いますが、(会社名言ってましたが、メモリませんでした)さんから依頼されて電話させていただいているのですが、こころさん、あなた登録した有料サービスの料金を滞納していることは自覚していますか?」
(とこの時点で、架空請求の臭いがプンプンしていますが、そこは、確認をと思い、)
私「それは、どのような番組なんでしょうか?」
詐欺師「フラッシュという番組名で、出会い系とか、占いとか…(ありえないくらい色々言ってました)…の有料番組を提供しているらしいのですが、覚えはありませんか?」
(それだけたくさんのコンテンツを展開している有料サイトって…
それなりに知名度があって、そして格安(数百円程度)でなければ、誰も使わないでしょう。そして、その程度の料金であれば、1年滞納しても1万円程度。他社に依頼までして取り立てていると、採算が合わないでしょう。この時点で胡散臭さほぼMAX)
私「「らしい」とはどういうことですか?知らずに電話しているのですか?」
詐欺師「私どもは、依頼されて電話しているだけなので、番組の内容まで把握していないんですよ。」
(無茶苦茶です。そのくらい把握しておかないと、電話しても話ができないでしょう。プロの仕事とは思えません。)
私「何も確認せずに電話してるんですか?」
詐欺師「こころさん、あなた自分おかれている立場がどういうことかわかっています?私どもは、あなたが料金を払おうと、払わなかろうが、どっちでも良いんですよ。私達は善意で最終通告のお電話させていただいているんですよ。そんな人の揚げ足を取るようなことを…」
と逆切れ。
(いやいやいやいや、そんな、払っても払わなくてもどっちでも良いのであれば、わざわざ、外注してまで電話させないでしょう。それもプロとしてどうなの?)
私「そう言いましても、私は登録した記憶がありませんので、色々確認させていただかないと」
詐欺師「私どもは、あなたの記憶を紐解きたくて電話させてもらってるのではないのですよ。あなたに、払う意思があるかどうかを確認させていただいているだけなんですよ。」
(よくもまぁ、こんな無茶苦茶なこと言うわ)
詐欺師「払う気がないのであれば、クライアントにそのようにお伝えし、それ相応の対処をするだけです。」
(お!!脅しが入ってきたぞ)
詐欺師「どうなんですか?払うのですか?払わないのですか?」
私「払うもなにも、記憶にありませんから」
詐欺師「そうですか。わかりました。」

と何ともお粗末な詐欺師でした。
途中で逆切れとは…

突然の電話ですから、落ちついた対応ができていたとは思えませんし、記憶もあやふやな部分もありますので、若干の誇張表現はあるかもしれませんが、だいたい、こんな感じでした。
皆様、気をつけましょう。

電話番号と名前がわれていますので、一応、警察に行きました。
無視してください。と言われました。

でも、こういう未遂も、データベース化して、実際の事件の解決に役立てればいいのに…
ちょちょいとパソコンに打ち込んでおけば、良いだけなのに…
せっかく、教えてあげに行ったのに…
あんまりやる気がないようですな。警察。
事件になる前に情報収集しておけば、実際の事件のときに、解決が早いのに…
でも、面白かったのは、おまわりさん曰く、「ついさっきも架空請求の相談に来られた方がいるんですよ」との一言。
いい加減にして欲しいです。
本当に生きにくい時代になってしまいました。
昔は、電話帳に名前も住所も電話番号も書いてあったても、何事もなかったのに…

方言

2006年11月23日 社会
私は、方言は大切にするべきだと考えています。
西日本の人、特に大阪の人は、図太いのか、東京でも堂々と関西便を話すそうですが、北日本の人、あるいは九州の人は、東京に出てくると、言葉を標準語に直す傾向があるそうです。
本当ですか?そんなことを聞きました。

私個人の意見としては、郷に入りては郷に従えという言葉がありますが、東京便と標準語はイコールではないので、上京したからと言って、標準語に直すのであれば、それは、郷に入りては郷に従えではないと思います。

方言は、その土地特有のものです。
自分の生まれ育った土地を大切にする意味でも、大切にしたいです。
最近、ある会社の充電式乾電池のCMをよく目にします。

そのCMの言いたそうにしていることは、使い捨ての乾電池から脱却し、乾電池のゴミを減らそうということらしいのですが…

私にとっては、何を今更としか感想がでてきません。
充電式の電池など、20年ほど前(大げさ?)から、かなりメジャーに広がっています。
それを、何を今更…

それから、もう1つ。
今時、子どもおもちゃ以外で使い捨ての乾電池を使う物が、そう多くあるのでしょうか?
ほとんどの電池式のものは、充電式の電池のものが主流になっています。
ポータブル○○や、デジカメ等、今、売っているもので、乾電池専用のものがあるのなら見てみたいです。
子どものおもちゃでも、充電式に切り替わっているのが現状です。
携帯ゲーム機など最たる例。

そういうことを冷静に考えてみると、私の部屋の電池は、もはや、リモコンと時計だけです。

このリモコンと時計ですが、何年に一回電池を換えるか?という代物です。
リモコンは、買って一度も変えてない、つまり、付属の試験用の電池を使い続けています。
目覚まし時計に関しては、それでも1年に1回くらいは交換しますが、普通の掛け時計等に関しては、数年間交換なしです。

このような現状で、電池を充電式に交換したとしても、こう長い間充電せずに放っておくと、違う要因で電池が駄目になってしまう可能性の方が高いです。

その点を考えるなら、100円ショップで、マンガン電池を買った方が経済的にも、環境的にも、優しいのでは?

さて、今更、充電式の乾電池のCMを流したところで、騙される人はいるのでしょうか?

もちろん、「毎日電池を使ってます」と言う方には、お勧めできる代物だとは思いますが、いずれにせよ、何を今更…
VodafoneからSoftBankへ変わって1ヶ月。
番号ポータビリティーが導入されておよそ半月。

次の週末は3連休です。

いかにネタが不足しているかは、気にしないで下さい。

ところで、右にあるアンケートの結果は、

A203.ナンバーポータビリティ開始。あなたはどうする?

ドコモのまま 38.4%
au/KDDIのまま 29.4%
ソフトバンクモバイルに替えたい 17.2%
ドコモに切り替えたい 1.3%
au/KDDIに切り替えたい 4.8%
ソフトバンクモバイルに替えたい 4.6%
そのほか 4.3%


とのこと。

そして、先週末が終わった時点では、auの1人勝ちで、わずかにドコモがソフトバンクから顧客を奪ったという結果が出ているようです。

どうなるのでしょう?

以下、お蔵入りしていたストックです。

SoftBank。
ここにまた、M&Aの被害が…
いや、被害と書くのは、おかしいですね。何が善で何が悪かなどは見方によって変わってきますから。

ところで、こうやって、コロコロ社名やブランド名を変えるというのは、会社にとって良いのでしょうか?

例えば何でも良いのですが、グッチとかエルメスといったブランドが、名前変わっても、大きな影響はないのでしょうか?そんなことはないと思うのです。

数年前までは、J-PHONEというブランド名で、気がついたら、Vodafoneになり、そして今度はSoftBank…

ユーザーとしては、あまり良い印象を持ちません。

KDDとDDIが合併してKDDIとなります。とかだと、わかりやすいのですが…

特に、YAHOO! JAPANを知らない人は少ないでしょうが、SoftBankは、ホークスを買収するまでは、知っている人のほうが少なかったと思います。私は最初、ネット銀行だと思いましたから。

そんな社名になってしまうわけですから、良いのやら悪いのやら…

それでも、Vodafoneは、イギリスの大手電話会社ですから、納得できたのですが、今回は…

携帯は、あくまで、電話ですから…インターネットではありません。

その辺りをユーザーがどう判断するのかが見ものかもしれません。番号ポータビリティーが始まれば、会社を機種変更感覚で変えるようになるでしょうし、これから先は、色々とありそうな気がします。

ところで、最近、M&Aが流行っていますが、その結果、社名変更なんて話も少なくないですが、実際のところ、その結果はどうなっているのだろう?

業績はUPしているのでしょうか?

非常に週末が楽しみになってきたこころさんです。こんにちは。

明日はハロウィンです。そして、秋祭りの季節です。
各地でお祭りを行っております。

つい先日、家の近所でも行っていました。

日本人は、とにかく、お祭りが好きです。

春はひな祭り。
初夏は豊作を祈願する祈願祭(?)
夏は夏祭り、七夕祭り
秋は秋祭り(収穫祭)

と季節ごとにイベントが盛り沢山。
あれでもか、これでもかと祭ります。

悪いことではないです。

しかし、冬の祭りが無いのです。
困った。騒げない。

そこで輸入したのが、クリスマスとバレンタイン。
祭りのない冬、特に、クリスマスは、年末の大イベントとして、ちょうど良かったのです。

皆さん、なぜ、クリスマスは輸入しているのに、ハロウィンは輸入しなかったのだろう?と疑問に思ったことは無いですか?
ハロウィンの時期、日本人は、秋祭りでお腹いっぱいだったのではないでしょうか?

そんなことを考えた秋の午後。もうすぐ冬が来ます。
「朝ズバッ!」という番組は、呆れてものが言えないくらいこっけいな番組です。
まぁ、そのこっけいさが良くてついつい見てしまうんですが。

今朝のみのもんたの切れる対象は、高校の単位不足の話。

少し勉強すればわかるんですが、この日本に、高校の物理の先生は存在しません。物理を教えている先生はいます。
理学部を卒業すれば、高校の理科の免許を修得することができます。この理科の教員免許状を持っていいる先生が物理、化学、生物、地学を教えることができます。

ですから、物理を教えている先生はいますが、物理の先生は存在しません。

同じく、世界史の先生も存在しません。高校の社会科は、「地理・歴史」と「公民」の2つの免許があるだけです。
ですから、「地理・歴史」の免許を持った先生が、世界史、日本史、地理を教えることになります。

で、朝ズバッ!のしょうもない批判は、世界史の先生は何をやっていたんだ!!自分の教科をないがしろにされて黙っていられるとは!!みたいな事を言っていましたが、世界史の先生は存在しません。
日本史や地理も、その先生の教科ですから、どっちかを教えていれば問題ないわけです。

ここで理科に戻しますが、日本の高校で、地学の勉強をしている学校は、ほとんどありません。多分、数えられるくらいしかありません。
これは、理科の必修に地学が含まれていないからなのですが、地学を専門にしている理科の先生は、どんな気持ちでしょうか?
そんなことを考えると、世界史の専門の先生が口を出せると思いますか?

もう1つは、国立大学に関して言えば、去年から、必修科目が増えました。今まで、理科と社会は1教科で良かったのですが、文系なら社会が、理系なら理科が2教科必要になりました。

受験に必要な科目が増えたのです。朝ズバッ!では減っていると言っていましたが、本当ではありません。(私立は、必要教科が減少しているのは事実です)

と言う具合に、朝ズバッ!では、ウソばかり報道していますので、信じては駄目です。

今日は、この辺で。
世の中には、勝ち組、負け組という言葉がありますが、皆さんはどっちですか?

と言いましても、何を勝ち組と言って、何を負け組と言うのでしょうか?

例えば、お金をたくさん稼いでいる人を勝ち組、お金が無い人を負け組と言ったりします。

また、女性は、適当な時期に結婚できた人を勝ち組、できなかった人を負け組と称しているようです。

また、あるエンジニアの方は、こんな事を言っていました。
「オレは、30過ぎて、結婚もしていなければ、彼女もいない。しかし、この道では、自信がある。だから、他のことで負け組だとしても、自分は堂々としていられる。」

以上を考えると、結局、自分が納得する人生を送っていれば勝ち組で、納得していなければ負け組ということになるのではないでしょうか?

人によって価値観は様々で、お金があれば良いと思う人もいれば、家族が笑っていればそれで良いと考える人もいるでしょう。

とは言っても、隣の庭は良く見えるもので、普通、人のことを羨ましく思うものだと思います。
つまり、ある程度、誰かに負けている。つまり、ある程度負け組。

それはきっと、どんなに金を持っている人でも、どんなに素敵な家族を持っている人でも、言えるものではないでしょうか?

また、常に誰かに負けているからこそ、向上心が湧くのではないでしょうか?

つまり、真の勝ち組とは、ちょっといっちゃった人なのかもしれません。
最近、飲酒運転の話題がつきません。
と言うか、飲酒運転ばかり話題にしていますが、信号無視、スピード違反、携帯電話などなど。

飲酒運転について偉そうに、どうだこうだ言っている人たちの中にも、これらの違反を平気でしている人は少なくないはずです。

特に、原付でのスピード違反と携帯電話の通話は、絶対に、平気でやっている人は少なくないはずです。

そこで、先日、ちょっと思いついたのは、どんな些細な違反でも、免許証の裏に、いつどんな違反をしたか明記し、更新しても消さないようにすれば良いと思います。

レンタカーを貸す時も、貸し手はこの人がどのような人なのかすぐに判りますので、便利でしょうし、警察が取り締まる時も、免許を見るだけで全てが判りますので、便利です。

そして、免許証の裏が真っ黒な免許を持ち歩くとなると、犯罪抑止力としては、悪くないでしょう。
なにより、身分証明書として提示することの少なくない免許証ですから、レンタルビデオ屋の店員さんにまで知られてしまうとなると、下手に罰則を強化するよりも抑止力は絶大だと思います。

もし、裏側がいっぱいになってしまった場合は、大きい免許証に更新するようにすれば、なお、抑止力が働きます。
更新にはお金がかかりますし、どんどん免許証が大きくなっていけば、不便になります。

そのうちB4サイズくらいの大きさになったりするかもしれません。
そのような免許証を持ち歩くとなると大変です。と言うか、なかなか笑えます。

こんな風にすれば良いのに…

不思議ダネ

2006年9月24日 社会
少々、不思議なことがあります。
少し前、乙武さんが、「ひとつの命が誕生したことがめでたいの? それとも誕生した命が「男児だったから」めでたいの? 」と問いかけただけで、あれだけの大バッシング。

しかし、今回の「君が代」の判決には、あまり大きなバッシングを聞きません。

「君が代」の歌詞の「君が代」は、天皇であるといわれています。
その中で、「君が代」に敬意を払うことを強制することは、違憲であるという判決が出ました。

と言うことは、天皇をどう思うも自由と判決が出たということになりますよね?

なぜ、このことには反応しないのでしょう?

乙武さんは、疑問を投げかけただけ。一方、今回は結論付けてしまったわけです。

不思議です。いったい、日本人は、何処に向かいたいのでしょうか?

それとも、まだ公になるには時間が不十分なだけ?
連日の報道が気になるお話。

石原都知事の言っていることもごもっともだし、裁判所の言っていることもごもっとも。

こういう政治と住民との裁判は、下級裁判所では、住民側に有利で、上級裁判所では政治側に有利な展開になるもの。
従って、今後、東京都側が有利になっていくでしょう。

石原都知事は、上告すると言っているので、今後、大逆転が起こる可能性は、非常に高い。

ところで、私は、国旗国歌に敬意をはらう必要は、あると思います。
理由は、以下に。
5月23日 「君が代について考える(前編)」
5月24日 「君が代について考える(後編)」

とりあえず、式典という意味では、石原都知事の言っていることが正しいと思う。

もちろん、本当に、国旗国歌に敬意を払えない先生も少なくないと思いますが、そうではなく、生徒になぜ敬意を払う必要があるのか聞かれて、きちんと答えられず、そのままになってしまい、強制できなくなってしまった先生も少なくないと思います。そういう先生は、もちろん、なぜ敬意を払わないと言う考え方があるのかも答えられないはずです。
そういった先生が、自分の不甲斐なさを棚に上げて、裁判に参加していることは、間違いないと思います。
生徒とは、不甲斐ない教師に反抗したいものなのです。

5月23日 「君が代について考える(前編)」
 http://diarynote.jp/d/77110/20060523.html
5月24日 「君が代について考える(後編)」
 http://diarynote.jp/d/77110/20060524.html
http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/wadai/news/20060922k0000e040085000c.html

まさか、毎日新聞に坂東さんの真意が本人によって、発表されるとは、全くもって、予想外の展開です。
こういう話を、自分で、公表してしまうと、その価値と説得力が、大きく下がってしまうからです。

しかし、私が言いたかった、坂東さんの真意とは?とは、こういう話です。

特に、後半に書かれている解説部分は、読んでおくべきだと感じます。他人による客観的意見としてとらえることができるからです。

なぜ、避妊は良くて、仔猫殺しが駄目なのか?

「社会が抱える病理を多数派の意見で押し込めてはならない。」と、本当にそう思います。
もしかすると、高校生以下の方には、刺激が強すぎるかもしれませんので、読む時は、自己責任でお願いします。

さて、昨日、仕事をする理由に2種類あるという話を書きました。
そこで、個人的な感覚で、その2種類の職種を分けてみたいと思います。

まず、営利目的の仕事は、前者でも後者でも良いと思います。
メーカーさんや、店舗等など。ほとんどの仕事は、これに分類されてしまうと思います。

次に、お金のためにする仕事。これは、風俗ですかね?(よくわかりません。あくまで、引用です。)

最後に、自分が充実した毎日を送るためにする仕事は、公共の福祉に関する仕事だと思います。
本来、非営利目的の仕事は、お金のためだけにしてはいけない仕事だと思います。

例えば、学校の先生。

学校の先生が、自分の生活のためだけに、仕事をしたらどうなるでしょう?
学校は荒れてしまうでしょう。
与えられた課題のみをこなしていくだけ先生に、気持ちが入った指導が出来るとは思えません。
学校の先生は、本当にやりたいと思う人間が行うべきです。

次に、政治家。これもそうです。
国や地方公共団体をより良く変えていきたい、運営していきたいと本気で思っている人がやるべき仕事です。

医者や、その他医療従事者も当てはまると思います。

などなど。

こういった「人」を相手にする仕事は、本来、お金のためだけにやって良い仕事ではないと思います。特に、税金が投入されている機関では。
リトマス試験紙
リトマスというコケから抽出した溶液をしみこませたもの。
酸性で赤色、アルカリ性で青色に変化する。
予め青色と赤色の両方を用意してどう変化するかで酸かアルカリを決定する。


話題の仔猫問題。いまだに頭から離れません。

しかし、城崎レイさんの所に書かれたkajさんのコメントを読んですっきりしました。

そうです。あれは、リトマス試験紙です。

世の反応を知るための試験紙。

読んだ人が何色に変わるかを見るためのもの。

赤に変わるか青に変わるか。

どの部分にフォーカスを当てて読むかによって色が変わります。
この文章をただの仔猫殺しの告白と読むと、ああいう色になりますし、そうでなければ、また違った色になる。

もちろん、私は、深いメッセージ性もあると思います。
特に、坂東さんは売名行為で説明できるかもしれませんが、日経新聞にとっては、メリットがないですから。

よく考えると、私もよくリトマス試験紙的なことを書くことがあります。

皆さんのコメントがどのような色を示すのか。

予想通りの色だと、残念です。違った色に変わると面白いです。

また批判が来るのかなぁと思って書くと、意外と肯定的なコメントばかりであったり。

不思議です。まだまだ、世の中を知らないんだなと思わされることが多いです。

(ストック眠っていたものを蔵出ししました。いつ書いたのか記憶にありません。)
この問題。ただの内容批判で終わらせるのか、それとももっと、深く掘り下げるのか。

私は、あえて、内容についてのみの私の解釈を朝書きました。
それは、私が検索した限り、内容批判しかなかったからです。

しかし、問題はそんなに軽いものではありません。

読み手の気持ち、時代背景、ペットのあり方、命のこと、情報のあり方、その後の対応等、問題は様々だと思います。

ここのリンク先でも様々な意見を見ることができます。
しかし、さすがと言うか、切り口がすごいです。

そこら辺のブログとは訳が違う。

内容批判は誰でもできます。
この文章を読んで、不快に思わない人がいたら会ってみたい。
それだけすごい事を書いています。

しかし、批判するのは簡単です。
気に入らないことを書き綴ればいいだけです。
城崎 レイさんの日記:http://diarynote.jp/d/28652/20060822.html
記事画像:http://image.blog.livedoor.jp/dqnplus/imgs/6/3/63b13e28.jpg
細かいところは、そちらにしっかりと書かれていますので、割愛させていただきます。
その他にも、皆さんが色々なことを書いていますが、どうも、皆さんありきたりに否定されています。

この問題、非常に難しいと思います。

と言いますのも、私は、ありだと思うからです。

まず、触れたいことは、
仔猫、仔犬が生まれました。保健所に連れて行きました。その辺に捨てました。
という話と、どこがどう違うのですか?

いずれにせよ、この仔猫(犬)は多分死にます。自分が手を下したか、下してないかの違いです。
さらに言うと、たくさんの人に迷惑をかける行為です。
まだ、自分で手を下した方がましだと思います。

次に私が思うに、この文章の背景をどう考えるのかということです。
単純に、書いてあることのみを事実として受け止めるのですか?

私は、この文章を読んで、3つの可能性を考えました。
1つ目は、単純にウソを書いている。
私は、こんな事を本当にしているとは思えません。考え方としてはありだとは思っていますが、こんな事を平気でできるとは思えませんし、思いたくない。
つまり、いつも考えている疑問を書き綴ったものである。
2つ目は、本当にしている、あるいはしたが、自責の念に押し潰されそうになり、懺悔をした。
もし、本当にこんな事をしていたとして、HP炎上を覚悟の上、告白するメリットは何でしょうか?
何ですか?ないと思います。

自分のHPを炎上させてまで何が伝えたかったのか?
どうですか?皆さんはどう考えますか?

私は、この文章の真意は、直接的に書いている内容ではないと思います。

相手は作家です。文章の上で書き手の気持ちをコントロールすることは、簡単にやってのけるでしょう。
ですから、書き手の本当の気持ちを読み取ることは不可能と言って良いと思います。

この文字の羅列に隠された真意を文章から伺える気持ちから想像することは不可能です。
その読み取れる気持ちは演技である可能性が高いのですから。

では、どうすべきか?

それは、読み手が想像するしかありません。色々考えて、考えて、必死に考えるしかありません。

つまりこれは、作家・坂東眞砂子さんからの挑戦状だと思います。

今の皆さんの答えは、坂東さんの想定内の動きでしかありません。

さて、書き手は何が伝えたいのでしょうか?

私が思うに…
これから先、私は書きません。

しかし、3つ目の可能性…ただのバカだった場合は…
どうしようもありませんが…

ちなみに、皆さんのご意見は、この「ただのバカ」に対しての意見です。
本当に、坂東さんと日経新聞は、ただのバカなのでしょうか?
それは、本人達のみぞ知る話。

しかし、たとえ腐ったとしても、日経新聞。あの超有名な日経新聞。ただのバカなのでしょうか?

多分、今後、日経新聞に謝罪文が掲載されるでしょう。
しかし、私は、そうさせてしまう今の日本人の方に疑問を感じます。
私は、見ていなかったので、コメントをする権利はないのかもしれませんが、皆さんのコメントを見ていたら、何かを書きたくなったので、書いてみます。

初めの頃は、批判的ブログが多かったのですが、次第に肯定的な意見も見られるようになりました。

ようは、賛否両論なんですが、いずれにしても、哀れみを感じるコメントが少なくないです。

私は、亀田が嫌いです。ですから、早くブラウン管から消えて欲しいと思っています。

何故嫌いかと言いますと、別に亀田に限ったことではなく、バカが嫌いなんです。バカが。

私のバカの定義は、何もと言うか、深いことを考えていない、先見性の無いの人間。あるいは、物を知らない人間のこと。

そういう人は、7月24日の「うさんくさい顔」に書いたように、顔を見ただけで簡単にわかります。

バカな人は、モノを考えてないので、何を言っても伝わらないんです。伝わらないと言うことは、コミュニケーションがとれないということですから、コミュニケーションを大事にしたい私としては、未知なる存在というか、何をどうしたら良いかわかりません。
まだ、私の言っていることが伝わらなくても、知ろうと努力してくれれば、それはそれで、考えているということですので、問題は無いのですが、バカはそれすらしない。
と言うか、言葉でかなわないとなると、簡単に力で解決しようとするところもあります。

悲しいですね。哀れに感じます。

で、亀田はと言うと、あれはバカでしょう。
6月8日の「やっぱり勉強はするべきだ」で書きましたが、TVに出るのですから、もっと常識をわきまえておくべきだと思いますし、それより何より、知という字が欠片も感じられない。
しゃべり方も、バカ丸出し。

それに、K1やプロレスは、ショーだと思っていますので、記者会見からショーは始まっていると思っていたのですが、ボクシングはもっときちんとしたスポーツだと思っていました。高校の部活にあるくらいですから。
しかし、奴のしている事は、ただのショーです。しかも、台本があるという疑惑のおまけつき。

記者会見で、肉を食うか?ショーだったら、ありだと思います。しかし、ボクシングはスポーツ。スポーツマンシップにのっとり、不正なく、正々堂々と戦うべきでは?
相手を挑発して、怒らせることが、正々堂々なんでしょうかね?

その辺りが理解できていない。

先人達が築き上げてきた、ボクシングというスポーツの価値を下げているだけです。

野球選手やサッカー選手が、記者会見であんなことしたらどうなるか?

言いたい奴には言わせておけば良いとか言っている時点で、周りが見えていない証拠です。

自分の行動が周りに与える影響というものが理解できていない。

バカな証拠です。自分のスポーツに対するこだわりが無い証拠です。そして、先見性がない証拠です。

でも、周りの人間が何を言ったところで、何も伝わらないんだろうな…バカだから。

あぁ、哀れです。

トミーズ雅や赤井英和はどう思っているのだろう?

とは言っても、私自身、たいした人間ではないのですけれども。

と、今日は悪口ばかり書いてしまいました。ご了承ください。
城崎 レイさん、私もそう思います。
それなのに、昨日は勝ってしまいました。
でも、大丈夫、今日からまた20連敗の壁に挑戦してくれることでしょう。

よく、アンチ巨人?と聞かれますが、そういうわけではありません。

私は、巨人のような、自分が一番偉いんだと勘違いしている輩が嫌いです。
こういう人は、全てが自分の思うようになると勝手に思い込んでいると共に、他人に気を使うことができないでしょう。

何度も書いていますが、人間は1人では生きていけません。
その為、人は人に頼らなければ生きていけません。

しかし、こういう人は、助けてくれる人たち全てを、自分の駒だとしか思っていないのです。そして、もし、思い通りにならなければ、制裁を加える。

制裁が怖くて、誰も反抗できなくなる。

そうすることによって、さらに、自分に力があるように演出する。

悲しく、そして、繁栄していかない形です。

もし、本当に野球界の繁栄を望んでいるのであれば、今のそのやり方を変えれば良いのに、それはしない。自分の権力がなくなるから。または、全く理解していないか。

やはり、人と人の繋がりです。

お互いが、気を使いあえない関係では、絶対にどこかで躓きます。

形には出せなくても、心の中では、お互いを認め合う。

せめて、このレベルくらいはもっていないと、上手くいくはずがない。そう思います。

自分さえ良ければ、他はどうでも良いのか?

他の人がいてくれるからこそ、自分がいられるということを理解していないのか?

他に球団があるからこそ、試合ができるのに、そこを理解できていない。

理解できていないからこそ、合併なんて話が出てくるのです。

あれは、巨人に対する、セ・リーグに対する反旗だと思っています。イマイチ上手くいっていませんでしたが。

そんなものです。

別に首都圏の人が偉いわけではないのです。

地方で頑張っている人の方が偉いのです。トヨタだって、松下だって、首都圏にはありません。

それを、首都圏だけで全てが決まっているように演出する。
首都圏が一番偉いんだと演出する。地方は駒だと演出する。

地方あっての首都圏なのに…

悲しい話です。若干、見直されてはいますけどね。
まず、お二人にお礼を。ありがとうございました。

自己犠牲の精神は非常に素晴らしいものです。
それが見られないということは悲しいことですが、だから劣るということはないと考えます。
他者より自分を優先させることは自然ですから。(暇つぶしの達人さんのコメント一部引用)

私には、自己犠牲という概念はありません。
周囲の環境、もしくは受けてきた教育、その時点で得られた情報...それらを「ちゃんぽん」にした結果、常に「そうするのが、自分自身にとって心地良いから」だと思い込むようにしていますから(^_^;)
周囲の人々が「そうする事が、かっこ良いんだ」という価値観で塗り固められた状況下においては、国なんざ守りたいヒトなんざぁ、どうでも良いです。
...ナルシストでしかないですからねぇ、私は。でもまぁ、その行為をして、他人様が、どう思われるかは、その方のご自由にって所でしょうかねぇ、やっぱり。
でも、何処から行っても、何処まで言っても、自分自身の言動は、つまるところは自分自身の「心地良さ」が、全てですかねぇ、うん。(kajさんのコメントの一部引用)


私自身も、暇つぶしの達人さんの言うとおり、自己犠牲の精神を持たない人が劣るとは思いません。しかし、その精神が素晴らしいとも思います。その素晴らしい人が減っていることは、やはり残念なことではないのかと思います。

これは、おそらく、戦後の日本の教育のせいだと思います。

太平洋戦争のような悲惨なことが起こったのは、全て、当時の教育のせいであるとされており、また、この自己犠牲の精神も、教育の副産物であることは、否定できないことではないかと思います。

今の日本で、命を投げ出してまでも何かをやり遂げようとするのは、一部の例外を除いて、バカな行動だと私は考えます。(一部の例外の中に、他者の命を救うためと言うのはもちろん入ります。)

やはり、命あっての物種ですから。何をするにおいても、自分の命を最優先に考えて行動をするべきだとは思います。

その上で、自分の損得を無視した、行動をとれれば、それが一番だと思います。

しかし、ここで重要なのは、自分の損得関係なしに人に人を気遣えるのは、kajさんの言うとおり、それがその人にとって、「心地良い」からです。

結局、自分が、心地よいことが、たまたま他者にとっても心地よいものであっただけなのです。

と、こう書くと、酷く見えますが、でも、私はそれが事実だと思います。
そして、一昔前までは、日本人の国民性が、そうであったのです。
それが、ちょうど良いバランスを得ていたのです。

しかし、今は違います。
それを私は残念だと思いますが、他の人はまた、良いことだと思うことでしょう。

それが、今の日本の現状だと思います。
「語り継がれる戦争の記憶」にコメントありがとうございました。
遅くなりましたが、まずは、私の個人的な意見を書きなぐらせていただいて、その後、皆さんの意見を踏まえてまとめさせて頂こうと思います。

この事故を表面から見たのでは、何も見えてこないと思います。

まず自衛隊の事故ですが、この事故の裏側に何があったのか?

私の恩師が当時言っていたことは、次のような話です。

「脱出をして自分が助かることはできたけれど、住宅に墜落させてはいけないと、最後まで操縦桿を握って、田んぼに墜落させ、死んでいった。」

私自身、この話の裏をとっていないので、本当の話かどうかはわかりません。しかし、このような話が嘘だとしても、このような話を考え、話をしてくれたこと自体が、評価できると思っています。

しかし、米軍の事故を見たとき、私はこう思いました。

「訓練のために、大学の上を横切らなければならないこともあるでしょう。訓練をしていれば、事故を起こすこともあるでしょう。しかし、その対応はおかしくないですか?大学のど真ん中にヘリコプターを平気で墜落させるその対応がおかしくないですか?自衛隊員は、最後まで操縦桿を握り、被害を最小限に抑えました。残念ながら、自衛隊員は亡くなられてしまいましたが。しかし、今回は、大学の真ん中に墜落していくヘリコプターを放って、脱出している。偶然、被害者は出ませんでしたが、もしかすると、大惨事になっていたかもしれません。」

実際、どういう経緯で墜落していったかということは報道されいませんので、こういう考えが正しいかどうかはわかりません。

しかし、この話をある人に話したところ、こんな言葉が返ってきました。

「アメリカ人は、まず、自分の事を考えるからね。こうやってヘリコプターが墜落しても、墜落させるほうは、自分の事だけを考えて行動し、落ちてくる地上の人も、自分の責任でかわさなければいけないという風潮があるから」

なるほどね。とは、思いました。

日本は平和だということに加え、日本人自体が謙虚だから、お互いがお互いを気遣うことにより、社会が成り立っていました。

それが良いことなのかはわかりません。

ただ、こういう極限状態の時の行動の本質的な部分は、その人の人間性をよく表すと思います。

従って、1以外の意見には、反論しません。
しかし、2の意見が正しいのかどうかは、疑問です。

実際、こうした中で、どのような行動をとったとしても、その行動自身に責任を持つことは不可能だとは思います。

その中で、「こうするべきです」という訓練をしたとしても、子どもの頃から摺り込むのならまだしも、大人になってからの訓練では、上手くいかないと思います。

自衛官は、最後まで操縦桿を握り、被害者を出さずに死んでいった。米兵は、さっさと脱出して、被害者が出なかったのは奇跡だった。

次回は、kajさんと暇つぶしの達人さんのご意見を踏まえて、コメントしてみたいと思います。

1 2

 

最新の日記 一覧

<<  2025年6月  >>
1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728
293012345

お気に入り日記の更新

この日記について

日記内を検索