少々、私の尊敬する心理学の先生とお話する機会がありました。
そのなかで、伺った話です。

最近、ナイトとお姫様が減ってきているそうです。

先生がおっしゃるには、自分の利害に関係なく、尽くすことができる男が減ってきているそうです。

普通、ナイトには家族があり、その人の妻子がいます。しかし、それでも、お姫様に尽くすわけです。

宮崎アニメに出てくるナイト。
ナウシカなんて、正に、その通りです(ナウシカは女の子ですけど)。彼女は、なんの得があって、オウムの群に飛び込んでいったのでしょう?
もののけ姫とアシタカは、何の得があって、シシ神様に首を返しに行ったのでしょう?
3人とも命がけで。あの3人なら十分に逃げ切ることができたでしょう。

おそらく、得なんてないのです。損得を考えて行動しているのではないのです。
昔は、そんな、自分の損得からではなく、行動しているナイト的な考え方の持ち主が多かったそうです。

特攻隊なんかも、そのての考え方の1つではないのでしょうか?

では、こういったナイト的な考え方の人は、何を考えているのでしょう?
それは、基本的には本人にしかわからないと思いますが、想像するに、周りの人間、自分の大切な人の幸せではないでしょうか?

自分の幸せよりも、周りの人の幸せを第一に考えているのです。

先生がおっしゃるには、元来、男とはそういうものだったそうです。

でも、実際、そうなのかもしれません。そうでなければ、戦(いくさ)に命がけで戦いに行けないと思います。
「浮気は男の甲斐性」とか言いますけど、不倫の結果、奥さんを不幸にするようでは、こんなことは言われないと思います。不倫をしても、奥さんを幸せにする。不倫相手も不幸にしない。だからこそ、こんな言葉が生まれ、それなりに認められるのだと思います。

そして、女の子も高飛車な女は増えても、お姫様が減っているそうです。

お姫様は、死ぬときに、「結局、私のことを理解してくれたのは、あなた(ナイトのこよ)だけね」と言いながら死ぬそうです。そして、ナイトは、その言葉が最高の幸せだそうです。
でも、男にとって、そういう部分はあると思います。

男に関して、不倫の話をしますと、最近は、不倫をして結局奥さんを捨てる。そんなことが近年の離婚率の増加をみれば、見えてくると思います。結局、自分のことしか考えていないのです。
それに、女性も、男に幸せにしてもらうのではなく、幸せは自分で掴むという女性が増えていることも否定できないと思います。

もちろん、そういう女性を否定するわけではありません。

しかし、こういった事が、男の騎士道の否定につながることは否定できないと思います。

男は、「自己犠牲の下に、他人を幸せにする」という部分に、元来、価値を置いていたのです。

しかし、そういった男性が減ってきているそうです。その中で、そういった、自己犠牲を美徳とする人は、なかなか受け入れられなくなってきています。そういった自己犠牲を美徳とする気持ちを理解できないため、端から見ると、その人が不気味なのです。

それでも、「風の谷のナウシカ」や「もののけ姫」がヒットする影には、そういった自己犠牲の美徳が、否定されきっていないということの表れで、もっと、そういう人が増えれば、世の中もっと良くなるでしょうし、そういう人を皆さんが、身近なところで、理解していただければ、そういう素晴らしい騎士道の持ち主も生きやすく、そして、そういった人たちが活躍しやすくなることでしょう。

続きます。
もしかすると、この内容は、人類の永遠のテーマなのかもしれません。

まず、理系的に考えると、友情とは何かが、問題です。
今回は、5月3日の「友達って?」を主に、定義してみます。

1つ。まず、お互いに好きでなければならないと思います。
2つ、相手のことを、本当に考えてあげなければいけないと思います。

大きくは、この2つだと思います。

ところで、有名な言葉に、「女が男の友達になる順序は決まっている。まずはじめが親友、それから恋人、そして最後にやっとただの友達になるというわけだ。(チェーホフ、ロシア)」というのがあります。

私は、男ですので、女性の考えることは良くわかりません。しかし、これは、男にも言えることではないかと思います。

まず、友達の条件1の「好き」という感情は、恋愛感情(LOVE)と友情(LIKE)では、違いがあるのでしょうか?

おそらく、男には、この違いが理解できないと思います。自分の「好き」という気持ちが、どちらなのかは、おそらく、理解できません。
まず、言えることは、男は、それだけ馬鹿なのです。そして、感情に対して不器用なのです。

これは、遺伝子レベルでの話だと思います。実際、男と女では、脳のつくりのも若干の違いがあります。それにより、考え、能力、感情にも差が生じます。

女性は、井戸端会議を筆頭に、おしゃべりが好きな傾向がありますが、男は、あまりしゃべりません。
一説によると、よく話す人は、長生きすると言う話があります。例えばよくしゃべる職業(政治家、大学教授)は長生きをします。そして、男と女では、女性の方がよく喋ります。
女性の方が、圧倒的に長生きします。

さて、話を戻します。それだけ、男と女では、生物としての違いがあるということです。

では、男はどうやって、好きという感情のLOVEとLIKEの違いを判断しているのか?おそらく、その「好き」の度合いで判断しているのです。

そして、友情の定義2の相手のことを考えるですが、相手のことを想うのならば、嫌われるかもしれないリスクを負ってでも、その人がもし、間違いをしているならば、正してあげる必要があります。
しかし、これって、かなりのレベルで好きでなければならないでしょう。そうでなければ、リスクを負ってまで、正すようなことはしません。

さて、ここで問題。
もし、この時、相手が女性だったら、この感情は、LIKEでしょうか?LOVEでしょうか?

おそらく、男には、この違いが理解できないのです。

時には、LOVEだと思うこともあるでしょうし、時には、LIKEだと思うこともあるでしょう。

ここで、もし、LOVEだと感じれば、それは恋愛感情なのです。そして、もし、この時、LIKEだと判断すれば、友情なのです。

こう考えると、男って馬鹿だなとつくづく思います。

さて、ここで、5月1日の「男は昔の女を忘れられるか?」で書いたことを思い出してみます。

まず、男は、1度好きになった人は、永遠とは言いませんが、好きでなくなることはありません。
次に、「あきらめる=好きでなくなる」ではないのです。

そして、ここまでの話をまとめると、まず、自分の好き(LIKE)な人と友達になります。そうすると、好きな度合いがあがっていきます。そして、男は、その好きな度合いがある点を越えると、LOVEだと思います。

そして、付き合うかどうかは別として、いずれふられます。ふられても、男は、その女性のことが好きです。しかし、相手に、恋愛感情の返信はあきらめます。でも、その女性のことは好き。

この時の感情は、おそらく、LIKEともLOVEとも表現できない、あえて言えば、親友の好きになれるのではないでしょうか?

まとめますと、男の場合、「友達→恋愛対象→親友」という課程を踏めれば、友達になれると思います。(はじめから、恋愛対象としてスタートした場合は除きます。あくまで、最初が友情だった場合の話です。)

それが、男ではないかと思います。

しかし、チェーホフの言葉では、女性は、「親友→恋人→友達」という手順を踏むわけです。

もしかすると、その手順の若干の違いが、男と女が友達になれない理由なのかもしれないと思いました。

それは、そうです。男は、恋愛対象になるだけで良いのに対し、女性は、恋人にならなければならない。そして、その後も、男は、親友だと思うのに対し、女性は、友達なわけです。

さて、ここまでは、男の私1人の個人的な意見です。実は友人と話をした結果をここに書くことが多いのですが、今回の話は、全くしたことのない話ですので、他の男性が本当にこう思っているかはわかりません。

そして、今回、このようなことを考えるきっかけとなったのは、実は、このDiaryNoteなんです。こういう点が、このDiaryNoteの面白い点です。

颯子さんの日記(http://diarynote.jp/d/71129/20060511.html)を読んだからです。ここでは、女性の視点から書かれた内容が書いてあります。やはり、若干の考え方の違いがあるようです。
読み比べていただければ面白いのではないでしょうか?(本当は、トラックバックを何とかすれば良いのでしょうが、使い方が…)

最後に、私個人の経験から考えますと、告白してふられる場合、女性がその後を拒否します。この拒否する理由に関しては、颯子さんの日記を参考にして下さい。しかし、告白せずに、失恋してしまった場合、女性は、そのことに気がつかないため、友達になれます。

さて、これは男が悪いのでしょうか?それとも女が悪いのでしょうか?

でも、確実に言えることは、やはり、告白はしたいと言うか、するべきだと思います。いかがでしょう?

最後に、kajさん、ジャスミンさん、リンクありがとうございます。
友達ってどんな人のことを呼ぶんでしょう?

よく話をする人?よく電話やメールをする人?
それとも悩みを打ち明けられる人?

友達だと難しいから、親友で考えてみます?

さて、その友達や親友ですが、どういった人のことを友達と呼ぶのでしょう?

例えば、何か悩みを持ったとき、友達に相談することは多いと思います。

しかし、相談する人のほとんどは、実は、相談する前に結論を出してしまっています。
そして、その結論が、正しいかどうかを確認するために、相談します。

もし、相談した相手が自分の出した結論と同じことを言ってくれれば、そのまま自信を持って、先に進めるわけです。

と言うことは、相談する相手は、自分の出している結論と同じ事を言ってくれれば都合が良いわけです。

人間は無意識のうちに、自分と同じ結論を出してくれそうな人を選んで相談をしているはずです。

こういった背景から、「類は友を呼ぶ」という言葉ができているのではないかと思いますが、それはまた別の話です。

さて、話がそれましたが、様々な意見が聞きたい場合は、もちろん、自分の出した結論とは全く違った事を言ってくれる人に相談すべきです。つまり、あまり気の会わない人に話を聞くべきです。

ところで、相談した相手が、本当に、そう思っていれば良いのですが、中には、先ほど書いたような内容に、気がついている人がいると思います。
そういった人は、気を使って、相談をしている人が出していそうな結論を話すと思います。

そういう人は、良い感じに背中を押してくれるので、自分にとってすごく心地よい相談相手になります。

しかし、本当にそんなことで良いのでしょうか?

NHKの番組「謎のホームページサラリーマンNEO」の『サラリーマン語講座』の中で、相談してきた新入社員に向かっての一言と言うのがありました。
講師の吉田周助さんは「今時の若者には、すべて肯定で対処するのが効果的なんですね。」と言います。

確かに、その通りだとは思います。

対応はマジカルワード「それ正しいよ」で。

「悩んでいるおまえは正しい。そんなおまえだからすばらしい、むしろ麗しい、と持ちあげれば、悩みなんて吹き飛んでしまうんですよ。」

しかし、その後、アシスタントの原史奈さんは、すかさず「でも悩みに対して正しいって何かおかしくないですか?何も解決されていませんよね。先輩としてこれでいいのでしょうか?」と言っています。

確かに、その通りです。

しかし、講師の吉田周助さんは、「いいんです。どうせ短いつきあいなんですから。こんな時に親身になって説教なんかしたらよけいに鬱陶しがられる心配があります」と。

さて、話を戻します。
このサラリーマンNEOは、コントである上に、吉田さんの言う通り「短い付き合い」だから、これもありだと思います。

しかし、今回のテーマは「友達」です。

何もかもを肯定してあげるのが友達なんでしょうか?

例えば、非人道的なことを相談されて、そう、例えば不倫とか。

「私、不倫してるんだけど、どう思う?」と相談された場合、「好きになったものはしょうがないよ」とか、「奪っちゃえよ」とか肯定的アドバイスするのは、友達でしょうか?

今の時代、必ずしも不倫が悪いとは言えない時代が来ているとは思います。
しかし、一般的に考えて、悪いことです。やはり友達としては、止めさせるべきではないでしょうか?

それを、肯定してあげるというのは、それは友達ではないと思います。
本当にその人のことを大切だと思うなら、それは、たとえ自分が嫌われてしまったとしても、相手のことを否定してあげるのが、友達ではないでしょうか?

私はそう思います。
ハンサムウーマンのコラム「恋の六法全書」の第1回の内容は、「女は昔の男を忘れられるか?」でしたが、今回はその逆を考えてみたいと思います。

結論から書くと、もちろん、ケースバイケースだとは思いますが、基本的には無理だと思います。

ドラマや映画などでも、男は、そのような描写をされていることが多いです。

自分からふったのならまだしも、ふられたくらいで、自分が1度好きになった人をそう簡単に好きでなくなるわけがないと思います。

「あきらめる=好きでなくなる」ではないはずです。

女性がどのようなことを考えて、恋愛をしているのかわかりませんが、私はそう思います。

もちろん、時間とともに好きという感情も風化していくとは思います。しかし、それは、好きでなくなっていくわけではなく、単純に、好きという気持ちを忘れていっているだけだと思います。
忘れた感情は、あるときふと思い出します。そうすれば、やはりその人のことが好きだということになります。

男は、よく「執念深い」とか言われますが、それはある意味で正解だと思います。
しかし、それが間違っているとは思いません。

そして、こうやって、いつまでも同じ人を好きでいることを気持ち悪いと言う人がいます。
でも、それは違うと思います。

もちろん、こういった感情を外に出すかどうかで、その人の人間性が評価されることはあると思います。

しかし、こういった感情は相思相愛にならなければ抱いてはいけない感情なのでしょうか?
それはそれで違うと思います。

逆に言うと、簡単にその人のことを好きでなくなれる人間が、相思相愛になったからと言って、その人のことをずっと好きであり続けることができるでしょうか?

私は難しいと思います。

こういう風に考えてみると、人を好きであり続けるということは、とても大切なことではないでしょうか?

そして、とても素敵なことではないかと思います。

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