mixiネタが多い気がしますが、そこは気にしないでください。
昨日はこんなニュースを見つけました。
http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0607/21/news061.html

これは、何もmixiに限った話ではないと思います。

DiaryNoteのユーザーさんでも、気持ちは十分にわかるはずだと思います。
私もわかります。

足跡機能やコメント、お気に入り機能に、秘密日記と、その要素は十二分にあります。

やはり、コメントを書いていただければ、嬉しいですし、アクセスカウンターが回れば嬉しいです。

皆さんがコメント書いてくださる日が多いので、コメントがない日は寂しかったり、不安になったりします。

これは、何も私に限った話ではないと思います。

でも、私が見た感じ、依存症になってしまっているDiaryNoteユーザーさんはいない気がします。

皆さん、それなりに割り切って利用されていると感じます。

それって、このDiaryNoteが、システム的にちょうど良い位置にあるからだと思います。
誰にでも見れる部分と、秘密に出来る部分と。

mixiのような、一般公開されていないようなシステムだと、どうしても閉鎖的になってしまいます。その閉鎖的な空間と言うのは、安全なようで意外と危険な場所なんです。

だからこそ、依存症になってしまう部分があると思います。

でも、DiaryNoteもそうなんですが、コミュニケーションツールとして、国民栄誉賞並の貢献をしているのも事実です。

上手く付き合っていかなければいけないということでしょうね。

ちなみに私は、先日、ある方にコメントを頂き、初めての方かな?とクリックしてみたら、なんと、相互の方でした。ということがありました。
その人が誰かは、パソコンが壊れても書けませんが…

申し訳ありません。そのくらい適当なことをやってます。
どこか忘れてしまったので、紹介できないのが残念なのですが、どんなブログに魅力があるのか書いているブログがありました。

羅戦龍さんのような方を増やさないためにも、ちょっと考えてみたいと思います。

その人が言うには、書いている人がその1日に何があり、何を思ったかということが書かれていると、面白いと書いてあった気がします。

ただ今日1日にあったことを書くのではなく、そこで、書く人がどう思ったかが重要だそうです。
確かに、そうですよね。私が、「ブログって面白い」と思うのは、「ブログの薦め(7月6日)」に書いたとおり、そういった人の心が見えるからです。
それも、私のように、なんの脈絡もなく言いたいことだけ言っているブログよりは、その日にあったことから、思ったことを書いてあるほうが、リアリティーがあるでしょうし、感情移入もしやすいでしょう。

実際、ここのリンク先であるヴァルハートさんやFruitsさん、みみさん、雪見さん他、皆さんご自分の体験から思ったことを書かれている人は、皆さん、カウンターが数万件回っています。特に、CUCKOO ROBINさんは桁数が違います。

私も、皆さんの更新が楽しみです。

あと、カウンターを回すのに重要なのは、定期的な更新です。これは、普通のHPでも言えることですが、更新されなければ、見る人は減っていってしまいます。

リピーターを増やすには、誰にでも理解できるような内容にすることも重要です。
意味のわからない文章を読んでくれるような暇人は、そうはいません。

ブログの場合は、コミュニケーションの取り方も大切でしょう。

最後に、とにかく、ブログには人間性がでるものです。
変に自分を作ったり、隠したりしたところで、必ずボロが出ます。
素直な気持ちで、心の中を出せば、自然とカウンターは回るのではないかと思います。

以上、昨日の今日でこんな話を書くのは、おかしいような気もしますが、まぁ、それも一興ということで。

とは言っても、なにもカウンターを回すことが全てではないですし、書き方も人それぞれ。
自分が書きたいこと書けばいいんです。

でも、せっかくだから、様々な人に見てもらいたいと言うのも事実。
その辺は、工夫だと思います。
北朝鮮がミサイルを発射したとき、友人と話したお話。

金正日は何がしたいんだろうね?
だいたい、何も考えていないんじゃい?
なんか顔もうさんくさいし。

とか話していました。

小泉首相も、ブッシュ大統領も、やること言うことメチャクチャですが、それでも、しっかりした顔をしています。

一国の代表として、酷い顔はしていません。

しかし、金正日は・・・

あれは酷いですよ。周りの高官たちの方が、よっぽどまともな顔をしてます。

知的でないというか、色々考えていたら、あんな顔はしないと思うんです。

どうなんでしょう?

ところで、私は人を見た目で判断します。

と言っても、顔が可愛いとか、スタイルが良いとかそんなことで判断はしません。

顔と言うか表情を見れば、なんとなく、その人の人となりが見えてきます。

もちろん、外れることも少なくないですけど。

でも、なんとなく判るんです。

ただの演技かもしれませんが、賢そうな顔、何かをたくらんでそうな顔、何も考えてない顔、馬鹿な人の顔、知的な人の顔、輝いている顔、無気力な顔etc・・・
だいたいわかります。

さらに、体全体からでているオーラみたいなものも感じます。

もちろん、ファッションとか化粧でもその人となりを判断することは出来ます。

これらを複合的に判断すると、その人が、どういう人なのか、あるいは、どういう人として生活しているのかがわかります。

と言うことで、人の見た目というのは、非常に気にしています。
もちろん、ファッションとか、髪型とか化粧とかだけではなく、その目つきや、口の形を見ているんですけど。

ですから、それらを複合的に見ているわけですね。

下流君

2006年7月25日 人間
波田陽区の下流君ははまり役だと感じるこころです。

フリーターとか、ニートとか、怪しげな言葉が世間を騒がせていますが、この人たちの
中には、以下のような考えを持っている人も少なくないかと思います。
そして、学生、生徒の中にも、少なくないと思います。

「頑張って、勉強して、大学を出て、良い会社に入ったところで、大したことがない。別に良いこともないし、フリーターやニートで十分だ。」

もちろん、実際問題として、そういうこともあるでしょうし、逆に、良い会社で挫折した結果、フリーターやニートになってしまった方々も少なくないでしょう。

苦労して、山の頂上まで綺麗な景色を見るために登っても、そこからの景色は、意外とたいしたことなかった。こんなことなら苦労して登る意味がなかったな。裾野の景色で十分だった。

しかし、私がそこで思うのは、山の頂上からの景色を知っているからこそ、裾野の景色と比べることが出来るのです。

人によって価値観が違うと言う話は「価値を置くもの」シリーズなどで以前書きました。

頂上からの景色を綺麗だと思うのか、そうでもないと思うのかということは、人によって感じ方が違うはずです。

頂上の景色を知っているからこそ、比べることができ、その結果、裾野の景色を素敵に思う。

人から聞いた話を鵜呑みにして、頂上まで行ってみないと言うのは、ただの逃げです。

すごく、最もな理由のように思っているかもしれませんが、頂上に行ったことがある人が初めて言うことを許される言葉であって、それ以外の人が言っても良い言葉だとは思えません。

頂上の住み心地が悪かったからこそ、裾野の暮らしが良いと思えるのです。

そして、頂上まで行ったからこそ、その途中で一番気に入った場所を探せるのです。

だからこそ、とりあえず上まで登り、登りきる。そのために頑張る。

そんなことを思いました。
私には、好きな人がいます。

それは・・・・

と、そんなことは告白しません。

実は、すでに2週間以上先までの原稿は出来上がっています。

意外と多忙なもので、暇なときや、ネタを思いつく時にまとめて書いておいて、メモ帳に保存してあるんです。

ですので、皆さんの日記の紹介が遅れたり、時事ニュースネタが遅いのは、そのためです。

蔵出しの順番は、気分なんですが、ある程度は予定があります。

その中で、急遽思いついたことを挿入したりもしたりします。

しかし、シリーズものを始めると、途中で止めるわけにもいかなくなったりと、問題も山積みです。

本文にて、皆さんのコメントに返事をするときも、遅くなりがちです。次の日に、原稿が間に合わないんです。

もっと、素早く対応できれば良いとは思ってはいるんですけども…

申し訳ありません。

ついでに、最近、普段使っているパソコンとは違うパソコンや、携帯電話からアクセスしていることが多いので、足跡が残っていない方が少なくないと思いますが、基本的には、読ませていただいていますので。

今日で、3ヶ月となります。
これからもよろしくお願いします。

PS.わかりにくいと指摘されてしまいました。
それは、致命的だと思います。
みなさん、もし良ければ、わかり難い部分やわからないところがあれば、指摘していただければ幸いです。
解説し、次回からの参考にさせていただきますので。
ある人には、「教科書みたいで残念だ」と言われ、ある人には、「教科書みたいだから良い」と言われ、いったい、どっちに傾ければ良いのかと葛藤している今日この頃です。
とりあえず、この話については、後日改めて。
それでは、今日のお話を。

英語撲滅運動賛成!!
現在行われている小難しい授業を止めて、もっと簡単な実践的な授業への切り替え賛成!!

とは言いません。

少し前の私なら、こう言っていたでしょう。しかし、今は違います。

以前、とある教育学の先生が教師志望者に向け、こんなことを仰られたそうです。

「君達が教団に立つまでに、生徒・児童に、なんで勉強するんですか?と聞かれた時、きちんと答えられるように、君達なりの答えで良いから、しっかり考えて、答えられるようになっておきなさい」と。

確かに、幼少の頃は、何で勉強するのだろうと思っていたものです。

これは、難しい質問です。

私は、教員志望ではないので、この質問に答える必要はないのですが、私の答えを書いてみます。

6月8日の「やっぱり勉強はするべきだ」に書いたような、上辺だけの答えは簡単です。

遠心力がわかっていないから、スピードを出しすぎ、カーブで曲がりきれずに事故を起こす。
中和反応がわかっていないから、酸性洗剤とアルカリ性洗剤を混ぜて使おうとする。
日本語以外の言葉を話せずに、外国人とコミュニケーションがとれますか?

等など。これらは、勉強することにより、解決します。

と言うことは、勉強しなければいけないんです。

次に、ありがちな答えは、中学生以下の場合、義務教育なんだから、君達は教育を受ける義務があるんだと、とんちんかんな事を言う人。

義務教育というのは、教育を受けさせる義務なので、大人(親とは限らない)は、子どもに、教育を受けさせる義務があるという意味です。
子どもには義務はありません。

つまり、義務教育を盾にするのならば、こう言わなければなりません。「私は、君達に教育を受けさせ義務があるので、どんな手を使っても君達に教育を受けさせます。ですから、お願いですから、言うことを聞いてください」と。

質問の答えになってないですね。

そして、もし、高校生以上の場合は、こう答えることもできます。
「君達は、自分の意思で、学校を選び入学してきた。学校とは、勉強するための場所で、それを理解して入学したはずだ。学校にいる以上は、勉強しなさい。それが、君達が自ら選んだ道だ。」

とまぁ、ありがちな答えを書いてみました。私も、ほんの1年ほど前までは、こんなことしか考えられませんでした。

本当の私の答えは、また次回。
何のために勉強をするのか?

難しい問題です。

城崎 レイさん、ジャスミンさん、コメントありがとうございます。皆さん、様々な考えを持っておられるようで。
でも、正直、しっくりしません。何故、難しい方程式を解かなければならないかと言う答えとしては、説得力に欠けます。
また、宇宙飛行士になりたくない人は、勉強しなくて良いのですか?

難しい問題ですが、私なりの解釈を書いてみたいと思います。

勉強が楽しいと思う人はほとんどいないと思います。

普通、自分の好きなことは、頑張れます。
しかし、自分の好きでないことは頑張れない。
人間そんなものだと思います。

しかし、人生において、自分の好きでないことを頑張らなくても良い世界はあるのでしょうか?

最低でも、与えられた課題を達成していく。これが出来なければ、生きて(生活して)いけないのではないでしょうか?

自分の嫌いな事を避けて、避けて、避け続けて生きていけるのでしょうか?

学校の勉強は、自分の嫌いなことを頑張るためのトレーニングをするためのものだと思います。

勉強することに意味があるのかないのかわからないような、ただ受身の勉強を頑張ると言うのは、非常に困難です。

昔、世の中は理不尽な事だらけと書かれている人がいましたが、それを学ぶことも重要です。
意味のない仕事をさせられたり、明らかに無駄だと思う仕事をさせられたり、嫌な仕事をさせられたり。
そんなことは、珍しい話ではないと思うのです。

その中で、勉強することに意味があるのかわからないことを、理不尽にも頑張って勉強しろと言われ、勉強させられるというのも、社会に出るために、必要不可欠な事ではないでしょうか?

だからこそ、逆に、意味不明な勉強をさせられることは大切なのです。好きな事をさせられたのでは意味がないですから。

宿題やテストといった形で、先生方は児童、生徒にノルマを課します。
もちろん、それが嬉しい人はいないでしょう。

頑張って嫌な課題を達成する。それは、もちろん最低ランクでも良いのです。
しかし、どうせやるならと、レベルの高いものを要求します。

どれだけ頑張れたのか、それが、テストの点数で評価されるのです。

もちろん、それが相対評価であっても、絶対評価であってもそれは関係ないのです。頑張ったことが大切なのです。本人と評価する人が、それをわかっていればそれで良いのです。
それでも、思うように評価されないこともあるでしょうし、予想外に良い評価を頂けることもあるでしょう。

しかし、そういった理不尽さを知り、それでも頑張れる人間になる事が大切なのではないでしょうか?

世の中の理不尽さを知ることと、嫌なことにも挑戦することの耐性をつけることが、学校での意味不明な勉強をさせられる答えだと思っています。

しかし、現在、「嫌なことにわざわざ挑戦しなくても良いよ」という風潮が見受けられます。
「興味を持てないことを学ぶよりも、興味の出ることを学ぼう」という風潮が見られます。

非常に残念です。

甘やかしすぎだと思います。
皆さん、コメントありがとうございます。
皆さんのコメントを読ませていただいて、ちょっと思ったことは、勉強をする理由を書かれています。勉強をしなければならない理由ではないです。
もちろん、私の書き出しが、「何故勉強をするのか?」となっていますので、それの答えで十分なのですが。

さて、それを踏まえてか踏まえずか、今日のお話。

まれに勉強が好きな人もいますよね?
そういう人がいるからこそ、体育、音楽、図工(美術)、技術家庭科と言った一風変わった授業もあり、勉強が好きな人でも、手こずりそうな教科もあるわけです。

誰もがどこかで困るような仕組みになっているはずです。

逆に、誰もが、どこかで活躍できるような仕組みにもなっています。

学校で、運動会、合唱コンクール、学芸会、写生大会etcといったイベントあり、普段の授業で活躍できない人でも、活躍できるような仕組みになっています。

何も出来ない代名詞と言っても過言ではない「のび太くん」ですが、彼は、あやとりと射的が得意です。学校でそんなことが出来ても活躍できないと思うかもしれませんが、私は、生活科の授業で、あやとりを習いました。そこで、活躍できるでしょう。

誰でも、どこかで活躍できるはずです。

本当に、全てで活躍できないような人は、ちょっと、考えた方が良いと思います。
自分の生活と行動について。

さて、勉強するという行為は、知るという行為でもあります。

自分の好きなことを探すためには、自分が好きになることを知らなければなりません。

しかし、自分が何を好きになるかなど、始めから判っている人はいないと思います。
と言うことは、「下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる」の精神で、数で勝負していかなければいけません。

とりあえず、学校の勉強で、数をこなすというのも手だと思います。

そして、もし、好きな事が見つかれば、後はそれを一生懸命やれば良いのです。
下手な鉄砲が当たる確立なんて、そう高くありません。確率論から言って、すぐに1発目が当たる人もいれば、100発撃っても、1000発撃っても当たらない人もいると思います。
でも、それで良いのです。と言うか、そんなものです。

それが駄目であるわけでもなえれば、それに自信をなくす必要もないのです。
ゆっくり探していけば良いのです。

そして、あっさり好きな事を見つけてしまったら、他の事が疎かになってしまいます。
見つからずにもがいて、色々なことを学んで、体験している方が、有利かもしれません。
皆様、何か一生懸命なものってありますか?あるいは、学生、生徒時代、何かありましたか?

私が思うに、これが一番大切だと思うのです。

何かに、一生懸命になる。そうなることによって、毎日を楽しめる。
私はそう思っています。

さらに、嫌いなことも頑張るためには、自分の好きなことを頑張っている必要もあると思います。

勉強以外に頑張っていることがある人は、かなりの確立で、勉強もそれなりに頑張れる人です。

それは、自分が好きなことを頑張っているため、頑張るということがどういうことなのか、わかっているからです。

また、自分の好きなことに関連していることを知っているからです。

好きなことが出来れば、「知りたい」、そして、「わかりたい」と思えるようになります。
好きなことを頑張るためには、好きなことだけやっていたのでは駄目なことも理解していきます。

与えられた課題を達成することも、また理解してきます。

もちろん、勉強することには、いろんな意味があります。
だからこそ、内容によっては、意味があるのかわからなくなることが多いのです。

勉強する理由は、人それぞれです。

しかし、勉強をしなければならない理由は?
なぜ、教育を受けさせる義務があるのか?

自分が、勉強をする理由が判った人。それは、多かれ少なかれ、自分の好きなことや、目標が見つかった人だと思います。

つまり、勉強をしなければならない理由は、自分が勉強する理由を見つけるため。
つまりは、好きなことを見つけるためではないでしょうか?

もちろん、我慢も学ばなければなりません。
すぐキレたり、電車のマナーが悪いのは、我慢が出来ないからです。
それは、理論がどうことか、そういう問題ではないのです。
気がつけば、今月は4日以外は全て更新していました。
こうなると、4日に惜しいことをしたなと思います。
4日は何故更新しなかったんだろう?

さて、今日の話題を私が書くには、私はまだ青すぎるかもしれません。
しかし、青いからこそ読んで欲しいと思います。

DiaryNoteの質問の中に、「恋愛と結婚は別?」という質問があります。

皆様、どのようにお考えですか?・・・(1)

この質問は、難しいと思います。

でも、私思うのです。この問題、本当は意外と簡単なのに、わざわざ難しくしていると。
ちょっと視点を変えれば、簡単かと。

その視点の変えどころ、それはセックスです。
この問題を考えるときに、セックスにフォーカス合わせるんです。

皆さん、恋人とセックスをすると思います。

なんで、恋人とセックスをするんですか?・・・(2)

私が思うに・・・

と言うところで、今日は終了です。

ネタ不足なので、ネタを2つに分けたいと言う事と、この時点での皆さんの(1)と(2)の質問の意見を聞いてみたいので、とりあえずここまでです。

皆さん、よければ、コメントか何かで答えていただけませんか?
お待ちしています。

ちなみに、すでに次回の原稿は出来ていますので、皆さんの意見で続きが大幅変更になることはありませんので、ご安心ください。

(1)だけとか、(2)だけとかでも良いので、お願いします。

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