人それぞれ考え方、価値を置くものが違うこと、それを理解すること。
私は、そこが一番大切だと思います。

意外と、このことを理解できていない人が多いのです。
私自身も、このことに気が付いたのは、つい最近です。

私が普段ここに書いていることは、なるべく、人が考えないようなことを書こうと思って書いています。
しかし、そんな考え方があっても良いと思うんです。

もちろん、ここに書いているようなことを常に考えているわけではありませんし、ここに書いてあるようなことを全て行動に移しているわけでもありません。

あくまでも、こんな発想で物事を考えても良いんじゃない?と言いたいのです。

それに対して、皆さんが、コメントを書いてくださる。
それも、1つの考え方なのです。

私の書いていることも、コメントをくださった方の書いていることも、また、皆さんのブログに書いていることも、1つの考え方なのです。

ある人は、「私は、常に自分の意見を否定できるだけの逆の考え方を持っている」と仰っていましたが、正にそういうことですよね。

自分で全てを行うか、人との違いで考えるかの違いになります。

もちろん、全てが正解です。間違いなどありません。
本人が思うこと、信じることを、信じるままに、思うように行動したので良いのです。

しかし、そういう色んな考え方に耳を傾け、「世の中にはこんな考え方があるのかぁ」ということを知ることによって、新しい価値が見出せるでしょうし、次に同じような考え方を持った人と出会ったときに、その人をすんなり受け入れることができるようになるでしょう。

自分には、全く、理解できない価値観の人も、その人がなぜ価値をそこに置くのか判れば、もしかしたら、自分も同じものに価値を見出せるかもしれません。

皆さんも、TVや映画、本を薦められて、自分も見て、あるいは読んでみたら、意外と面白く、好きになったという経験があると思います。
全く同じ話です。

ただし、その中で、ルールを守ることと、人を気遣うことは、大切なことだと思います。しかし、これも私の考え方でしかないのですけれどもネ。

ブログという文化1つをとってもそうなのです。

私のように、「秘密日記は使いません」と公言するのも1つの考え方。
ブログをエッセイとして人に伝えることに力を入れるのも1つの考え方。
自分に向かって書くのも1つの考え方。
仲間感覚でじゃれあうのも1つの考え方。
孤高に自分の思考を文字にして世間に訴えるのも1つの考え方。
敢えてヒミツで本音をこそっと書くというのも1つの考え方。
***と表現するのも1つの考え方。

正解などないのです。
ここが規則も決まりも無い自由な場所であるからこそ、「DiaryNoteって面白い」(5月9日)、「ブログの薦め」(7月6日)と思うのです。

お気に入り日記の更新

この日記について

日記内を検索