颯子さん、ジャスミンさん、kajさん、先日の「秘密日記」にコメントありがとうございます。
颯子さんのコメントを読ませていただき、そういった楽しみ方もあるのかと非常に感心した同時に、自分の了見の狭さが恥ずかしいです。
さて、それを踏まえて本日のテーマに移りたいと思います。
私は、ブログはすごいと思います。
未だかつて、こんなにたくさんの人の心を知ることができる文化があったのでしょうか?
ブログの良いところは、まず、匿名性が高いところです。
匿名性があることにより、日常の愚痴を書かれている方も少なくありません。しかも、かなり突っ込んだ内容が書かれていることが多いです。普段の話では聞けないようなことが書かれています。
つまり、普段知りえない話を読むことができるのです。
次に、地域による壁がないことです。
北海道の人が、沖縄の人の考えを、日常的に聞けるのです。
いわいる県民性というのがあります。やはり、地方により風習はもちろんのこと、そこに住む人々の性格にも傾向が出てきます。
その中で、違う地域の人の意見が、読めるというのは、とても素晴らしいことです。
そしてなにより、自分の嫌いなタイプの人間の考えや意見を読むことができます。
やはり、仲の悪い人の意見を聞くことはなかなか難しいことだと思います。
しかし、ブログだと、なんの問題もなく、その人の考え方を読むことができます。
そして、読んだという事実は、基本的に自分にしかわかりません。
どうしても、類は友を呼んでしまい、似た人が集まってしまいます。その中で、いくら話をしたところで、所詮、それは「井の中の蛙」でしかありません。
外に飛び出さなければいけないのです。
しかし、それは、なかなか難しい。
そんな時、ブログを読むという行為は、実は、居ながらにして、大海に飛び出せる行為なのです。
もちろん、ジャスミンさんの仰られる通り、あくまでも、読んだ人間の主観になってしまいますが、それは、会って話をしたところで同じことです。
インターネットって、すごいですよね。
もちろん、皆さんが書いて下さっていてくれるからこそ、読むことができるのですが、私は、書くことよりも、読むことに、ブログの価値はあるのではないかと思います。
また、皆さんが書いてくださるコメントも、非常に大きい存在です。
だからこそ、万人が気持ちよく読めるブログを書きたいと思うと共に、皆さんのブログも、そうであったら良いのになと思うのです。
間違っても***なんて、表現されてしまうようなものを書いていては、いけないのではないか、と思います。
颯子さんのコメントを読ませていただき、そういった楽しみ方もあるのかと非常に感心した同時に、自分の了見の狭さが恥ずかしいです。
さて、それを踏まえて本日のテーマに移りたいと思います。
私は、ブログはすごいと思います。
未だかつて、こんなにたくさんの人の心を知ることができる文化があったのでしょうか?
ブログの良いところは、まず、匿名性が高いところです。
匿名性があることにより、日常の愚痴を書かれている方も少なくありません。しかも、かなり突っ込んだ内容が書かれていることが多いです。普段の話では聞けないようなことが書かれています。
つまり、普段知りえない話を読むことができるのです。
次に、地域による壁がないことです。
北海道の人が、沖縄の人の考えを、日常的に聞けるのです。
いわいる県民性というのがあります。やはり、地方により風習はもちろんのこと、そこに住む人々の性格にも傾向が出てきます。
その中で、違う地域の人の意見が、読めるというのは、とても素晴らしいことです。
そしてなにより、自分の嫌いなタイプの人間の考えや意見を読むことができます。
やはり、仲の悪い人の意見を聞くことはなかなか難しいことだと思います。
しかし、ブログだと、なんの問題もなく、その人の考え方を読むことができます。
そして、読んだという事実は、基本的に自分にしかわかりません。
どうしても、類は友を呼んでしまい、似た人が集まってしまいます。その中で、いくら話をしたところで、所詮、それは「井の中の蛙」でしかありません。
外に飛び出さなければいけないのです。
しかし、それは、なかなか難しい。
そんな時、ブログを読むという行為は、実は、居ながらにして、大海に飛び出せる行為なのです。
もちろん、ジャスミンさんの仰られる通り、あくまでも、読んだ人間の主観になってしまいますが、それは、会って話をしたところで同じことです。
インターネットって、すごいですよね。
もちろん、皆さんが書いて下さっていてくれるからこそ、読むことができるのですが、私は、書くことよりも、読むことに、ブログの価値はあるのではないかと思います。
また、皆さんが書いてくださるコメントも、非常に大きい存在です。
だからこそ、万人が気持ちよく読めるブログを書きたいと思うと共に、皆さんのブログも、そうであったら良いのになと思うのです。
間違っても***なんて、表現されてしまうようなものを書いていては、いけないのではないか、と思います。