ブログ運営方針1.00
2006年5月26日 御一読ください コメント (1)本日で、ここでお世話になり始めて1ヶ月となりました。徐々に使い方もわかってきましたので、この辺りで、ここの運営方針を一度文字にしておこうと思います。もちろん、今後改正していくことにはなると思いますが、その時はまた、その時対応していきたいと思います。
このブログの目指すもの。
このブログでは、「人とはちょっと違った視点」をモットーに、私の個人的な偏見を発信していきたいと思います。いろんな方に読んでいただき、「へ〜こんな考え方もあるのかぁ」と思っていただくことを目的にしています。私が男ですので、特に、女性の方に読んでいただければ幸いです。
そして、コメント機能で、いろんな方からご意見をいただき、私自身と、読んでいただいた方の両方の視野が今までよりも広がれば良いなと思っています。
本当は、もっと人間の内部、つまり「こころ」の部分に触れていきたいと思ってはいますが、なかなか難しいので、今のような形式でいかせていただこうと思います。
以上、大きく出ましたが、こういうものを目指して、書かせていただいています。
運営方針1.リンクに関して。
リンクしていただける価値があると判断していただけた場合、リンクしていただければ幸いです。
このDiaryNoteユーザーの方にリンクしていただいた場合は、お礼の意味も込めて、基本的に相互リンクにさせていただこうと考えていますが、必ずしも、こちらから定期的に訪問させていただく事をお約束するものではありません。
また、こちらからのリンクに関しては、私のお気に入りを見つけた際に、リンクさせていただこうと思います。相互リンクを求めるものではありません。
運営方針2.コメントに関して。
コメントは大歓迎です。書き込みをお願いします。肯定的なコメントも嬉しいのですが、視野を広げるという意味でも、否定的なコメントの方がありがたいと思っています。特に、否定的なコメントをお願いします。
また、コメントに対しては、コメント又は本文を利用して、できる限り返信をしようと思います。
運営方針3.秘密日記の利用に関して。
皆様の日記を読ませていただき、ここの特徴は「秘密日記」であることは、よくわかっています。しかし、「誰にでも読んでもらえるブログ」を目指していますので、1部の人しか読めない「秘密日記」は、私のポリシーに反します。したがって、秘密日記を利用するつもりはありません。
私とのコミュニケーションは、コメント機能と電子メールに限らせていただきます。
運営方針4.テーマに関して。
今後、日記のテーマは、
1.「男、女、友情、恋」 男と女、友情、恋愛についての私心を書いています
2.「社会」 社会で問題になっていることを中心に、個人の問題でないことを書いています
3.「学校」 学校での問題について書いています
4.「インターネット」 インターネットについての私心を書いています
5.「御一読ください」 運営方針や読んでおいていただきたいことを書いています
6.「その他」 これらに分類できないものです
の計5+1に分類します。
運営方針5.バトンに関して。
どこのブログでも、バトンが流行っているようですが、申し訳ありませんが回していただいたとしても、答えるつもりはありません。以前、お世話になっていたところでは、答えていましたが、どうも、ここに来るきっかけとなったは、バトンが原因だと感じますので。
以上を、当面の運営方針にさせていただこうと思っています。
このブログの目指すもの。
このブログでは、「人とはちょっと違った視点」をモットーに、私の個人的な偏見を発信していきたいと思います。いろんな方に読んでいただき、「へ〜こんな考え方もあるのかぁ」と思っていただくことを目的にしています。私が男ですので、特に、女性の方に読んでいただければ幸いです。
そして、コメント機能で、いろんな方からご意見をいただき、私自身と、読んでいただいた方の両方の視野が今までよりも広がれば良いなと思っています。
本当は、もっと人間の内部、つまり「こころ」の部分に触れていきたいと思ってはいますが、なかなか難しいので、今のような形式でいかせていただこうと思います。
以上、大きく出ましたが、こういうものを目指して、書かせていただいています。
運営方針1.リンクに関して。
リンクしていただける価値があると判断していただけた場合、リンクしていただければ幸いです。
このDiaryNoteユーザーの方にリンクしていただいた場合は、お礼の意味も込めて、基本的に相互リンクにさせていただこうと考えていますが、必ずしも、こちらから定期的に訪問させていただく事をお約束するものではありません。
また、こちらからのリンクに関しては、私のお気に入りを見つけた際に、リンクさせていただこうと思います。相互リンクを求めるものではありません。
運営方針2.コメントに関して。
コメントは大歓迎です。書き込みをお願いします。肯定的なコメントも嬉しいのですが、視野を広げるという意味でも、否定的なコメントの方がありがたいと思っています。特に、否定的なコメントをお願いします。
また、コメントに対しては、コメント又は本文を利用して、できる限り返信をしようと思います。
運営方針3.秘密日記の利用に関して。
皆様の日記を読ませていただき、ここの特徴は「秘密日記」であることは、よくわかっています。しかし、「誰にでも読んでもらえるブログ」を目指していますので、1部の人しか読めない「秘密日記」は、私のポリシーに反します。したがって、秘密日記を利用するつもりはありません。
私とのコミュニケーションは、コメント機能と電子メールに限らせていただきます。
運営方針4.テーマに関して。
今後、日記のテーマは、
1.「男、女、友情、恋」 男と女、友情、恋愛についての私心を書いています
2.「社会」 社会で問題になっていることを中心に、個人の問題でないことを書いています
3.「学校」 学校での問題について書いています
4.「インターネット」 インターネットについての私心を書いています
5.「御一読ください」 運営方針や読んでおいていただきたいことを書いています
6.「その他」 これらに分類できないものです
の計5+1に分類します。
運営方針5.バトンに関して。
どこのブログでも、バトンが流行っているようですが、申し訳ありませんが回していただいたとしても、答えるつもりはありません。以前、お世話になっていたところでは、答えていましたが、どうも、ここに来るきっかけとなったは、バトンが原因だと感じますので。
以上を、当面の運営方針にさせていただこうと思っています。
少々、私の尊敬する心理学の先生とお話する機会がありました。
そのなかで、伺った話です。
最近、ナイトとお姫様が減ってきているそうです。
先生がおっしゃるには、自分の利害に関係なく、尽くすことができる男が減ってきているそうです。
普通、ナイトには家族があり、その人の妻子がいます。しかし、それでも、お姫様に尽くすわけです。
宮崎アニメに出てくるナイト。
ナウシカなんて、正に、その通りです(ナウシカは女の子ですけど)。彼女は、なんの得があって、オウムの群に飛び込んでいったのでしょう?
もののけ姫とアシタカは、何の得があって、シシ神様に首を返しに行ったのでしょう?
3人とも命がけで。あの3人なら十分に逃げ切ることができたでしょう。
おそらく、得なんてないのです。損得を考えて行動しているのではないのです。
昔は、そんな、自分の損得からではなく、行動しているナイト的な考え方の持ち主が多かったそうです。
特攻隊なんかも、そのての考え方の1つではないのでしょうか?
では、こういったナイト的な考え方の人は、何を考えているのでしょう?
それは、基本的には本人にしかわからないと思いますが、想像するに、周りの人間、自分の大切な人の幸せではないでしょうか?
自分の幸せよりも、周りの人の幸せを第一に考えているのです。
先生がおっしゃるには、元来、男とはそういうものだったそうです。
でも、実際、そうなのかもしれません。そうでなければ、戦(いくさ)に命がけで戦いに行けないと思います。
「浮気は男の甲斐性」とか言いますけど、不倫の結果、奥さんを不幸にするようでは、こんなことは言われないと思います。不倫をしても、奥さんを幸せにする。不倫相手も不幸にしない。だからこそ、こんな言葉が生まれ、それなりに認められるのだと思います。
そして、女の子も高飛車な女は増えても、お姫様が減っているそうです。
お姫様は、死ぬときに、「結局、私のことを理解してくれたのは、あなた(ナイトのこよ)だけね」と言いながら死ぬそうです。そして、ナイトは、その言葉が最高の幸せだそうです。
でも、男にとって、そういう部分はあると思います。
男に関して、不倫の話をしますと、最近は、不倫をして結局奥さんを捨てる。そんなことが近年の離婚率の増加をみれば、見えてくると思います。結局、自分のことしか考えていないのです。
それに、女性も、男に幸せにしてもらうのではなく、幸せは自分で掴むという女性が増えていることも否定できないと思います。
もちろん、そういう女性を否定するわけではありません。
しかし、こういった事が、男の騎士道の否定につながることは否定できないと思います。
男は、「自己犠牲の下に、他人を幸せにする」という部分に、元来、価値を置いていたのです。
しかし、そういった男性が減ってきているそうです。その中で、そういった、自己犠牲を美徳とする人は、なかなか受け入れられなくなってきています。そういった自己犠牲を美徳とする気持ちを理解できないため、端から見ると、その人が不気味なのです。
それでも、「風の谷のナウシカ」や「もののけ姫」がヒットする影には、そういった自己犠牲の美徳が、否定されきっていないということの表れで、もっと、そういう人が増えれば、世の中もっと良くなるでしょうし、そういう人を皆さんが、身近なところで、理解していただければ、そういう素晴らしい騎士道の持ち主も生きやすく、そして、そういった人たちが活躍しやすくなることでしょう。
続きます。
そのなかで、伺った話です。
最近、ナイトとお姫様が減ってきているそうです。
先生がおっしゃるには、自分の利害に関係なく、尽くすことができる男が減ってきているそうです。
普通、ナイトには家族があり、その人の妻子がいます。しかし、それでも、お姫様に尽くすわけです。
宮崎アニメに出てくるナイト。
ナウシカなんて、正に、その通りです(ナウシカは女の子ですけど)。彼女は、なんの得があって、オウムの群に飛び込んでいったのでしょう?
もののけ姫とアシタカは、何の得があって、シシ神様に首を返しに行ったのでしょう?
3人とも命がけで。あの3人なら十分に逃げ切ることができたでしょう。
おそらく、得なんてないのです。損得を考えて行動しているのではないのです。
昔は、そんな、自分の損得からではなく、行動しているナイト的な考え方の持ち主が多かったそうです。
特攻隊なんかも、そのての考え方の1つではないのでしょうか?
では、こういったナイト的な考え方の人は、何を考えているのでしょう?
それは、基本的には本人にしかわからないと思いますが、想像するに、周りの人間、自分の大切な人の幸せではないでしょうか?
自分の幸せよりも、周りの人の幸せを第一に考えているのです。
先生がおっしゃるには、元来、男とはそういうものだったそうです。
でも、実際、そうなのかもしれません。そうでなければ、戦(いくさ)に命がけで戦いに行けないと思います。
「浮気は男の甲斐性」とか言いますけど、不倫の結果、奥さんを不幸にするようでは、こんなことは言われないと思います。不倫をしても、奥さんを幸せにする。不倫相手も不幸にしない。だからこそ、こんな言葉が生まれ、それなりに認められるのだと思います。
そして、女の子も高飛車な女は増えても、お姫様が減っているそうです。
お姫様は、死ぬときに、「結局、私のことを理解してくれたのは、あなた(ナイトのこよ)だけね」と言いながら死ぬそうです。そして、ナイトは、その言葉が最高の幸せだそうです。
でも、男にとって、そういう部分はあると思います。
男に関して、不倫の話をしますと、最近は、不倫をして結局奥さんを捨てる。そんなことが近年の離婚率の増加をみれば、見えてくると思います。結局、自分のことしか考えていないのです。
それに、女性も、男に幸せにしてもらうのではなく、幸せは自分で掴むという女性が増えていることも否定できないと思います。
もちろん、そういう女性を否定するわけではありません。
しかし、こういった事が、男の騎士道の否定につながることは否定できないと思います。
男は、「自己犠牲の下に、他人を幸せにする」という部分に、元来、価値を置いていたのです。
しかし、そういった男性が減ってきているそうです。その中で、そういった、自己犠牲を美徳とする人は、なかなか受け入れられなくなってきています。そういった自己犠牲を美徳とする気持ちを理解できないため、端から見ると、その人が不気味なのです。
それでも、「風の谷のナウシカ」や「もののけ姫」がヒットする影には、そういった自己犠牲の美徳が、否定されきっていないということの表れで、もっと、そういう人が増えれば、世の中もっと良くなるでしょうし、そういう人を皆さんが、身近なところで、理解していただければ、そういう素晴らしい騎士道の持ち主も生きやすく、そして、そういった人たちが活躍しやすくなることでしょう。
続きます。
題名は続いていませんが、昨日の続きです。
あなたの恐怖なんですか?恐怖とは、どんな時に生まれる感情でしょうか?
それは、自分の力が及ばない存在なのではないでしょか?つまり、自分の力では解決できない、回避できない出来事。
例えば、自然災害。人間の力では、回避できない事象です。
さて、こんな話があります。
草?剛主演「恋におちたら〜僕の成功の秘密〜」で、社長の堤真一とは全く違った営業手法で草?剛がドンドン営業成績を上げていくため、不気味になっていきます。そして、最終的には、潰しにかかります。
これこそ、恐怖そのものなのです。今までの自分の生き方を否定されているように感じるのです。そして、それを否定しても否定しても、上手くやってのける。いずれ、自分を追い越し、自分の地位を脅かすかもしれない。それが本人(草?剛)の意思かどうかは関係なく。
それも、自分(堤真一)には、どうすることもできない。つまり、自分の力では止めることができない。自分の力の及ばない何かが、自分に迫ってきている。
恐怖です。
実は、ドラマを中心に、こういった内容が描かれている物語は少なくありません。
そして、独裁政治と革命者の関係もそのような関係ではないでしょうか?
意外とこんな話は、身近にあるのです。
先日の騎士道の話にもつながりますが、男性であるA君は、昔好きだった女性Bさんのことを、とても大切に思っています。
A君は、昔、Bさんに告白をしてふられてしまいました。しかし、5月13日の「男と女の友情は成立するのか?」に書いたとおり、A君は、Bさんのことが今でも好きです。しかし、Bさんに対して、恋愛感情の返信は期待していません。Bさんのことは、友達として、一人の人間として、とても大切に思っています。
さて、ここで、Bさんが、ちょっと困ったことを始めました。そうですね、例えば、万引きを日常的に始めたとしましょう。もちろん、A君は、Bさんに止めさせようとします。大切な人が窃盗で警察に捕まってしまっては大変です。
しかし、そこでBさんは、「私のことがまだ好きだから干渉してくるのね。放っといてよ。」と思うわけです。そして、「そんなに私に恩を売ったって、私は、あなたのこと好きにならないわよ」と思うのです。そして、Bさんは、A君本人にもそう言い放つのです。
しかし、A君は、もう、Bさんからの恋愛感情の返信は求めていません。単純に心配なのです。大切な人ですから。
A君は、Bさんが言っている事が理解できません。何を言っているのかわかりません。もう、あきらめている人に、「私、あなたのこと好きにならないわよ」と言われても、全く的外れな言葉なのです。
もちろん、A君は、Bさんが言っていることが理解できないため、「僕はそんなこと求めてないよ」と言い、その後も、万引きを止めさせようと画策するわけです。
そうすると、Bさんは、益々、怒ります。「なんなのよ、この人。そんなに私のことが好きなの?」と。
Bさんは、さらに酷い口調で、A君に言い放ちます。しかし、A君は、Bさんが言っていることが理解できません。なぜ怒っているかも理解できません。
そして、こういう言うのです。「別に、好きになって欲しいわけではないよ」と。しかし、BさんはA君のその言葉が信じられません。こうなると修羅場です。
Bさんは、A君に、自分の言葉が届かない、つまり、自分の力が及ばないA君に恐怖を覚えます。倒しても倒しても復活するゾンビのような存在なのです。
そして、それをいくらA君に訴えても、A君は、なぜそんなことを言うのか理解できないのです。そして、とにかく自分が嫌われたとしてもかまわないから、万引きを止めさせようとするのです。それが、A君の騎士道なのです。
困ったことになりました。Bさんは、A君が恐怖です。存在が怖いのです。そして、Bさんは、その恐怖の対象を目の前から排除しようとするのです。しかし、A君は、そのBさんの気持ちが理解できないのです。そして、A君はBさんを大切に思うのです。万引きも止めさせようとするのです。それが、逆効果であることにも気がつかずに。
この2人は、この後どうなるのでしょう?お互いに不幸です。
でも、A君が悪いとも思えませんし、Bさんが悪いとも思えません。どうでしょう?
あなたの恐怖なんですか?恐怖とは、どんな時に生まれる感情でしょうか?
それは、自分の力が及ばない存在なのではないでしょか?つまり、自分の力では解決できない、回避できない出来事。
例えば、自然災害。人間の力では、回避できない事象です。
さて、こんな話があります。
草?剛主演「恋におちたら〜僕の成功の秘密〜」で、社長の堤真一とは全く違った営業手法で草?剛がドンドン営業成績を上げていくため、不気味になっていきます。そして、最終的には、潰しにかかります。
これこそ、恐怖そのものなのです。今までの自分の生き方を否定されているように感じるのです。そして、それを否定しても否定しても、上手くやってのける。いずれ、自分を追い越し、自分の地位を脅かすかもしれない。それが本人(草?剛)の意思かどうかは関係なく。
それも、自分(堤真一)には、どうすることもできない。つまり、自分の力では止めることができない。自分の力の及ばない何かが、自分に迫ってきている。
恐怖です。
実は、ドラマを中心に、こういった内容が描かれている物語は少なくありません。
そして、独裁政治と革命者の関係もそのような関係ではないでしょうか?
意外とこんな話は、身近にあるのです。
先日の騎士道の話にもつながりますが、男性であるA君は、昔好きだった女性Bさんのことを、とても大切に思っています。
A君は、昔、Bさんに告白をしてふられてしまいました。しかし、5月13日の「男と女の友情は成立するのか?」に書いたとおり、A君は、Bさんのことが今でも好きです。しかし、Bさんに対して、恋愛感情の返信は期待していません。Bさんのことは、友達として、一人の人間として、とても大切に思っています。
さて、ここで、Bさんが、ちょっと困ったことを始めました。そうですね、例えば、万引きを日常的に始めたとしましょう。もちろん、A君は、Bさんに止めさせようとします。大切な人が窃盗で警察に捕まってしまっては大変です。
しかし、そこでBさんは、「私のことがまだ好きだから干渉してくるのね。放っといてよ。」と思うわけです。そして、「そんなに私に恩を売ったって、私は、あなたのこと好きにならないわよ」と思うのです。そして、Bさんは、A君本人にもそう言い放つのです。
しかし、A君は、もう、Bさんからの恋愛感情の返信は求めていません。単純に心配なのです。大切な人ですから。
A君は、Bさんが言っている事が理解できません。何を言っているのかわかりません。もう、あきらめている人に、「私、あなたのこと好きにならないわよ」と言われても、全く的外れな言葉なのです。
もちろん、A君は、Bさんが言っていることが理解できないため、「僕はそんなこと求めてないよ」と言い、その後も、万引きを止めさせようと画策するわけです。
そうすると、Bさんは、益々、怒ります。「なんなのよ、この人。そんなに私のことが好きなの?」と。
Bさんは、さらに酷い口調で、A君に言い放ちます。しかし、A君は、Bさんが言っていることが理解できません。なぜ怒っているかも理解できません。
そして、こういう言うのです。「別に、好きになって欲しいわけではないよ」と。しかし、BさんはA君のその言葉が信じられません。こうなると修羅場です。
Bさんは、A君に、自分の言葉が届かない、つまり、自分の力が及ばないA君に恐怖を覚えます。倒しても倒しても復活するゾンビのような存在なのです。
そして、それをいくらA君に訴えても、A君は、なぜそんなことを言うのか理解できないのです。そして、とにかく自分が嫌われたとしてもかまわないから、万引きを止めさせようとするのです。それが、A君の騎士道なのです。
困ったことになりました。Bさんは、A君が恐怖です。存在が怖いのです。そして、Bさんは、その恐怖の対象を目の前から排除しようとするのです。しかし、A君は、そのBさんの気持ちが理解できないのです。そして、A君はBさんを大切に思うのです。万引きも止めさせようとするのです。それが、逆効果であることにも気がつかずに。
この2人は、この後どうなるのでしょう?お互いに不幸です。
でも、A君が悪いとも思えませんし、Bさんが悪いとも思えません。どうでしょう?
語り継がれる戦争の記憶
2006年5月29日 社会 コメント (2)
ISBN:4063603245 文庫 三枝 義浩 講談社 2002/08 ¥525
あゆみさんから、5月27日の「ナイトとお姫さま」にご指摘がありました。
まず、ご指摘を頂いた上で、簡単にではありますが、自分なりに調べさせて頂いた結果、ここでの引き合いに、特攻隊の話を出すことは、あまり適切ではなかったかもしれません。
私自身、当時のことを深く知っているわけもありませんので、浅はかな考えであると思います。
しかし、いくら教育されたからとは言っても、会ったことのない天皇のために、自らの命を投げ出せた人が何人いたでしょうか?
以前、週間少年マガジンで、当時の特攻隊の生き残りの方を取材して、描かれた漫画が掲載されていました。(単行本化され3冊にまとめられています。また、このシリーズは現在も健在で毎年夏になると掲載されています。最近はイラク戦争、アフガニスタンなど、最近の事例が取り上げられています。)
そこで、当事者達の心情として描かれていたのは、やはり、天皇のためではなく、家族や恋人に対する思いからということでした。
また、特攻自体は、志願制であり、本人の意思であったと表現されていました。(しかし、当時、特攻を本当に断れる環境にあったかどうかは、定かではありません。)
また、天皇のため、国のためであったとしても、それは、自分以外の他者のための行動であり、そこには、自分に対しての損得感情がないため、議論上における問題はないかとは思います。
私の中での特攻というものは、そういう風に解釈していたため、このような表現をさせて頂きました。
せっかくなので、この騎士道の話をさらに、掘り下げてみたいと思います。
このマガジンのシリーズで、アメリカ軍の視点から書かれた沖縄の地上戦の話もありました。
この特攻という行為が、アメリカ軍には理解できない、未知の攻撃であるという表現がされていました。また、同時に、次々と玉砕していく日本兵に対しての、疑問と恐怖も描かれていました。
日本人とは、特にそういう自分を犠牲にしても、他人のため、自分の大切な人のために命を投げ出すことができる民族なのです。
たとえ、それが当時の教育における副産物であったとしても、それは、とても素晴らしいことだと私は思います。(命を投げ出すことが素晴らしいのではなく、そう思えることが素晴らしいと私は思っています。)
昔、某総理の問題発言の中に、「神の国発言」というものがありますが、彼はその中で、当時の教育の中にも良いことはあったと公言しているそうです。私は、当時の教育について、詳しい事実を知りませんが、こういう自己犠牲の部分に対しての発言ではないかと思います。
ただ、この精神が、当時の情勢をいっそう泥沼化していったことは、間違いない事実だとは思います。
そして、この表現に対して、不快に感じられる方も、いらっしゃるかもしれませんので、その点、お詫びいたします。
しかし、例えば、こんな話があります。
つい先日も、ニュースでやっていましたが、数年前に、琉球大学にアメリカ軍のヘリコプターが墜落しました。
この事故による犠牲者がいなかったのは、本当に良かった事だと思います。しかし、大学の校舎の上にヘリコプターが墜落、炎上しても犠牲者が出ずに済むなんて、奇跡でしょう。この事故の犠牲者0は、奇跡なのです。
この時、中に乗っていたアメリカ兵は、脱出して無事でした。
そして、この事件の数年前に、日本の自衛隊のヘリコプターが墜落する事故がありました。
この事故は、田舎で起こった事故ではありますが、田んぼに墜落したため、一般人の犠牲者は0でした。
しかし、乗っていた自衛官は、残念ながら亡くなられました。
さて、この一見、同じような事故ですが、大きな違いがあります。
それは、操縦士の生死です。
以上の内容で、あなたは、次のどの意見を支持しますか?あなたが、操縦士(事故を起こした当事者としてではなく、その他の一般操縦士)だと思って考えてください。
1.米軍の事故は、誰も犠牲にならなかったので、米軍の操縦士は正しい。
2.米軍の操縦士の脱出するという判断は、たとえ犠牲者が出ていたとしても、自分の生命を守るためにはしかたのない判断だった。
3.操縦士の生命維持のためにも、自衛隊は様々観点から、今後、訓練、装備等を見直すべきだ。
全ての意見を支持する方もいらっしゃると思いますし、どれも支持しない方もいらっしゃるでしょう。
話が中途半端になってしまいましたが、私の見解は、後日改めて書くということで、今回はここで終了させていただきます。
良ければ、皆さんの意見をコメントに残していただけませんか?お願いします。
あゆみさんから、5月27日の「ナイトとお姫さま」にご指摘がありました。
まず、ご指摘を頂いた上で、簡単にではありますが、自分なりに調べさせて頂いた結果、ここでの引き合いに、特攻隊の話を出すことは、あまり適切ではなかったかもしれません。
私自身、当時のことを深く知っているわけもありませんので、浅はかな考えであると思います。
しかし、いくら教育されたからとは言っても、会ったことのない天皇のために、自らの命を投げ出せた人が何人いたでしょうか?
以前、週間少年マガジンで、当時の特攻隊の生き残りの方を取材して、描かれた漫画が掲載されていました。(単行本化され3冊にまとめられています。また、このシリーズは現在も健在で毎年夏になると掲載されています。最近はイラク戦争、アフガニスタンなど、最近の事例が取り上げられています。)
そこで、当事者達の心情として描かれていたのは、やはり、天皇のためではなく、家族や恋人に対する思いからということでした。
また、特攻自体は、志願制であり、本人の意思であったと表現されていました。(しかし、当時、特攻を本当に断れる環境にあったかどうかは、定かではありません。)
また、天皇のため、国のためであったとしても、それは、自分以外の他者のための行動であり、そこには、自分に対しての損得感情がないため、議論上における問題はないかとは思います。
私の中での特攻というものは、そういう風に解釈していたため、このような表現をさせて頂きました。
せっかくなので、この騎士道の話をさらに、掘り下げてみたいと思います。
このマガジンのシリーズで、アメリカ軍の視点から書かれた沖縄の地上戦の話もありました。
この特攻という行為が、アメリカ軍には理解できない、未知の攻撃であるという表現がされていました。また、同時に、次々と玉砕していく日本兵に対しての、疑問と恐怖も描かれていました。
日本人とは、特にそういう自分を犠牲にしても、他人のため、自分の大切な人のために命を投げ出すことができる民族なのです。
たとえ、それが当時の教育における副産物であったとしても、それは、とても素晴らしいことだと私は思います。(命を投げ出すことが素晴らしいのではなく、そう思えることが素晴らしいと私は思っています。)
昔、某総理の問題発言の中に、「神の国発言」というものがありますが、彼はその中で、当時の教育の中にも良いことはあったと公言しているそうです。私は、当時の教育について、詳しい事実を知りませんが、こういう自己犠牲の部分に対しての発言ではないかと思います。
ただ、この精神が、当時の情勢をいっそう泥沼化していったことは、間違いない事実だとは思います。
そして、この表現に対して、不快に感じられる方も、いらっしゃるかもしれませんので、その点、お詫びいたします。
しかし、例えば、こんな話があります。
つい先日も、ニュースでやっていましたが、数年前に、琉球大学にアメリカ軍のヘリコプターが墜落しました。
この事故による犠牲者がいなかったのは、本当に良かった事だと思います。しかし、大学の校舎の上にヘリコプターが墜落、炎上しても犠牲者が出ずに済むなんて、奇跡でしょう。この事故の犠牲者0は、奇跡なのです。
この時、中に乗っていたアメリカ兵は、脱出して無事でした。
そして、この事件の数年前に、日本の自衛隊のヘリコプターが墜落する事故がありました。
この事故は、田舎で起こった事故ではありますが、田んぼに墜落したため、一般人の犠牲者は0でした。
しかし、乗っていた自衛官は、残念ながら亡くなられました。
さて、この一見、同じような事故ですが、大きな違いがあります。
それは、操縦士の生死です。
以上の内容で、あなたは、次のどの意見を支持しますか?あなたが、操縦士(事故を起こした当事者としてではなく、その他の一般操縦士)だと思って考えてください。
1.米軍の事故は、誰も犠牲にならなかったので、米軍の操縦士は正しい。
2.米軍の操縦士の脱出するという判断は、たとえ犠牲者が出ていたとしても、自分の生命を守るためにはしかたのない判断だった。
3.操縦士の生命維持のためにも、自衛隊は様々観点から、今後、訓練、装備等を見直すべきだ。
全ての意見を支持する方もいらっしゃると思いますし、どれも支持しない方もいらっしゃるでしょう。
話が中途半端になってしまいましたが、私の見解は、後日改めて書くということで、今回はここで終了させていただきます。
良ければ、皆さんの意見をコメントに残していただけませんか?お願いします。
文章だけで恋をする?
2006年5月30日 男、女、友情、恋 コメント (2)昨日の話は、もう少し時間をおいてからしたいと思っています。
と言うことで、しばらくは違う話を。
ふと思ったことです。人は文章を読むだけで恋をできるのでしょうか?
どうなのでしょう?
私は、このDiaryNoteをはじめ、たくさんのブログを読ませていただき、「この人絶対良い女だ!!」と思うことは、しばしばです。
しかし、これは恋とは違いますよね?
とは言っても、私の自論ですと、「男はLoveとLikeの違いが理解できない」と思っているので、もしかしたら、一歩間違えると恋をするのだろうか?
とか、少し考えてしまいました。
しかし、現実問題、顔を合わせたことのなかったメル友と、恋愛に発展しましたという話は、よく耳にする話です。
どうなんでしょう。でも、容姿がわからない相手を好きになる場合、本当に相手の中身を好きになるわけですから、実は、すごく良い話なのかもしれません。
と、今日は、くだらないお話でした。
と言うことで、しばらくは違う話を。
ふと思ったことです。人は文章を読むだけで恋をできるのでしょうか?
どうなのでしょう?
私は、このDiaryNoteをはじめ、たくさんのブログを読ませていただき、「この人絶対良い女だ!!」と思うことは、しばしばです。
しかし、これは恋とは違いますよね?
とは言っても、私の自論ですと、「男はLoveとLikeの違いが理解できない」と思っているので、もしかしたら、一歩間違えると恋をするのだろうか?
とか、少し考えてしまいました。
しかし、現実問題、顔を合わせたことのなかったメル友と、恋愛に発展しましたという話は、よく耳にする話です。
どうなんでしょう。でも、容姿がわからない相手を好きになる場合、本当に相手の中身を好きになるわけですから、実は、すごく良い話なのかもしれません。
と、今日は、くだらないお話でした。
2チャンネルについて考える
2006年5月31日 インターネット コメント (4)まず、私自身、ここでは新参者ですが、ブログは、もう何年か書かせていただいています。
その中で、今回、このような事を考えたきっかけは、以下のサイトを偶然見つけたからです。
http://arena.nikkeibp.co.jp/col/20051101/114110/
ブロガーの皆さんには、ぜひ、一読していただきたいと思います。身の毛がよだつ、恐ろしい話が書いてあります。
と言うことで、上の記事を踏まえた上で、私の個人的意見を述べてみようと思います。
まず、私自身は、2チャンネルは利用していません。
理由は、読んでいると、腹が立つからです。
最近は、多少改善されているのかもしれませんが、荒らしが多すぎます。表現も汚いです。
意図のわからないアスキーアートが多すぎます。それも、上手な絵だと良いのですが、下手なのも少なくありません。
よく、調べ物に検索をかけると、必ずと言って良いほど、2チャンネルがヒットしますが、調べものの役に立ったことはありません。
また、書き込みをしている人に名無しが多すぎます。
こういうイメージがある上に、ニュースでの、モナー事件やWinny事件など、犯罪の臭いがプンプンします。
以上、良くないイメージが強い上に、利用価値なしと言ったイメージを私は持っています。
そして、今回の「祭り」。どうなんでしょう?
しかし、電車男の中に出てきたアラジンチャンネルは、とても温かい、気持ちの良いサイトでした。この2チャンネルがモデルです。
上記の記事によると、板によって、全く雰囲気が違うそうです。
まず、2チャンネルは、巨大に成長しすぎたという問題点が挙げられます。
こじんまりした掲示板ですと、管理人の目が行き届き、荒らしや不適切な発言を定期的に削除してあります。
読む方も、発言する方も、気持ちよく、掲示板を利用することができます。
しかし、利用する人数が増えると、必然的に変な発言も増えていきます。管理できる範囲に対して、変な発言の数が増えてしまうのです。
そして、名無し問題。名無しというのは、自分の意見に全く責任を持っていないということです。続けて発言をしたとしても、その前の発言とつながらなくなります。つまり、以前の意見とは関係なく、次の発言を行えるのです。
いくら匿名性が高いインターネットであったとしても、自分の意見に責任を持つ必要があると思います。責任を持った発言だからこそ、意見として成り立つのです。
話は変わりますが、こういったブログサイトですと、書いている人間が、1人の人間として、次々と意見を書いていくわけです。もちろん、以前の意見に対しての責任が発生してきます。次に書く意見が以前書いた意見と全くつながらないようでしたら、意見としての価値が全くと言って良いほどないわけです。
また、何か問題発言をしてしまったとしても、ハンドルネームではありますが、その発言に対しての制裁を受けるでしょう。
これは、掲示板に対しても言えるはずです。自分の意見に責任を持つことは、意見としての価値を高めるのです。
上記記事の中にも書いてありますが、2チャンネル自身には、罪はありません。
もし、罪があるのであれば、管理しきれていない管理人にあるのです。しかし、管理人がそこまで把握しなければならないものでもないはずです。
つまりは、利用者のモラルが問われるわけです。
しかし、どのような集団にも、一定の割合でそのモラルが守れない人間は存在するのです。
もちろん、集団の絶対数が増えれば、そのモラルが守れない人間の数も増えます。そして、こういった要素は、割合ではなく数で評価してしまうのです。事故や事件も割合ではなく、件数で表現します。人口が増えているので、事故や事件が増えるのは当たり前の話なのです。
そして、そのモラルを守れない人間を見て、「ちょっとならモラルを守る必要はない」と勘違いする人間がいるのです。
以上、特に、2チャンネルに問題があるのではなく、2チャンネルは、2チャンネル上で、「集団」における問題点が如実に表れている、典型的集団であるのです。
しかし、一般社会では、法律がその行き過ぎを抑制してくれます。しかし、現在のインターネット社会は、まだ、法が整っていないのが現状です。この中で、誰が、この行き過ぎを抑制するのかが課題にはなってくるでしょう。
その中で、今回、このような事を考えたきっかけは、以下のサイトを偶然見つけたからです。
http://arena.nikkeibp.co.jp/col/20051101/114110/
ブロガーの皆さんには、ぜひ、一読していただきたいと思います。身の毛がよだつ、恐ろしい話が書いてあります。
と言うことで、上の記事を踏まえた上で、私の個人的意見を述べてみようと思います。
まず、私自身は、2チャンネルは利用していません。
理由は、読んでいると、腹が立つからです。
最近は、多少改善されているのかもしれませんが、荒らしが多すぎます。表現も汚いです。
意図のわからないアスキーアートが多すぎます。それも、上手な絵だと良いのですが、下手なのも少なくありません。
よく、調べ物に検索をかけると、必ずと言って良いほど、2チャンネルがヒットしますが、調べものの役に立ったことはありません。
また、書き込みをしている人に名無しが多すぎます。
こういうイメージがある上に、ニュースでの、モナー事件やWinny事件など、犯罪の臭いがプンプンします。
以上、良くないイメージが強い上に、利用価値なしと言ったイメージを私は持っています。
そして、今回の「祭り」。どうなんでしょう?
しかし、電車男の中に出てきたアラジンチャンネルは、とても温かい、気持ちの良いサイトでした。この2チャンネルがモデルです。
上記の記事によると、板によって、全く雰囲気が違うそうです。
まず、2チャンネルは、巨大に成長しすぎたという問題点が挙げられます。
こじんまりした掲示板ですと、管理人の目が行き届き、荒らしや不適切な発言を定期的に削除してあります。
読む方も、発言する方も、気持ちよく、掲示板を利用することができます。
しかし、利用する人数が増えると、必然的に変な発言も増えていきます。管理できる範囲に対して、変な発言の数が増えてしまうのです。
そして、名無し問題。名無しというのは、自分の意見に全く責任を持っていないということです。続けて発言をしたとしても、その前の発言とつながらなくなります。つまり、以前の意見とは関係なく、次の発言を行えるのです。
いくら匿名性が高いインターネットであったとしても、自分の意見に責任を持つ必要があると思います。責任を持った発言だからこそ、意見として成り立つのです。
話は変わりますが、こういったブログサイトですと、書いている人間が、1人の人間として、次々と意見を書いていくわけです。もちろん、以前の意見に対しての責任が発生してきます。次に書く意見が以前書いた意見と全くつながらないようでしたら、意見としての価値が全くと言って良いほどないわけです。
また、何か問題発言をしてしまったとしても、ハンドルネームではありますが、その発言に対しての制裁を受けるでしょう。
これは、掲示板に対しても言えるはずです。自分の意見に責任を持つことは、意見としての価値を高めるのです。
上記記事の中にも書いてありますが、2チャンネル自身には、罪はありません。
もし、罪があるのであれば、管理しきれていない管理人にあるのです。しかし、管理人がそこまで把握しなければならないものでもないはずです。
つまりは、利用者のモラルが問われるわけです。
しかし、どのような集団にも、一定の割合でそのモラルが守れない人間は存在するのです。
もちろん、集団の絶対数が増えれば、そのモラルが守れない人間の数も増えます。そして、こういった要素は、割合ではなく数で評価してしまうのです。事故や事件も割合ではなく、件数で表現します。人口が増えているので、事故や事件が増えるのは当たり前の話なのです。
そして、そのモラルを守れない人間を見て、「ちょっとならモラルを守る必要はない」と勘違いする人間がいるのです。
以上、特に、2チャンネルに問題があるのではなく、2チャンネルは、2チャンネル上で、「集団」における問題点が如実に表れている、典型的集団であるのです。
しかし、一般社会では、法律がその行き過ぎを抑制してくれます。しかし、現在のインターネット社会は、まだ、法が整っていないのが現状です。この中で、誰が、この行き過ぎを抑制するのかが課題にはなってくるでしょう。
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