今回はニートについて考えてみようかと思います。

ニートとは?
一般に言われているのは、就労意欲がなく、仕事をしていない人のことです。

では、ニートはなぜ発生するのか?

単純に、はなっから就労意欲の無い人、夢破れてモチベーションが下がってしまった人、リストラにあい、就労意欲が無くなってしまった人、本当に原因は様々だと思いますが、全てに共通して言えることは、就労意欲がないと言うことです。

この就労意欲が無いと言うのは、どうにもならないのでしょうか?

しかし、このことを考える前に、1つ考えたいのは、なぜ、仕事をしなくても生きていけるのかです。

なぜでしょう?

一般に言われているのは、親のスネをかじっていると言うことです。

そして、次に考えたいのは、仕事もせず、勉強もせず、いったい何をしているのかです。

これも、一般論になってしまいますが、ひたすら親の金で遊んだり、家に引きこもってゲームしたり、ただひたすら寝ていたり…

以上の2点から、まず、問題なのは、仕事をしていないのに、生きていける環境があることです。

本来、生物が生きていくうえで、自分の食を自分で確保することは、必要最低限のことです。それができていないと言うことは、自然界では生きていけないということです。

まずは、その辺りに問題があるのは間違いないでしょう。

続く
人間はなぜ生きていけるのでしょうか?

人間は間違いなくあっさり死にます。簡単に溺れるし、高いところから落ちれば死ぬ。

自然界には人間より強い動物はたくさんいて、その動物に襲われれば、死んでしまうことも少なくありません。

それでも、人間が安心して生きていけるのはなぜでしょう?

それは、人間が弱者を守るからです。
人間は弱者を守るために群れを作ります。
そして、もし守りきれなくても、その人を諦めません。

それが人間です。

良いところでもあれば、悪いところでもあります。生物学的に人間が繁栄するためには、明らかに間違っています。しかし、それが人間です。

今現在、その群れとは社会です。自然と人間の社会を隔離し、より、安全な世界を作り出そうとしてきました。警察や軍隊は、その社会を守るために存在します。

社会によって守りきれないものをさらに小さい群れ(例えば学校や家族)が守ります。親や先生は子どもたちを守るものです。そして、老いた両親は子どもが守る。

最近のニュースを見ていると、それが機能していない部分もありますが、それが、人間の作ってきたルールです。

私はただの学生です。
親や学校、先生が守ってくれているからこそ、勉強ができ、そして、生きていけているわけです。もちろんその部分には感謝していますし、また、親や学校、先生は守る義務もあるわけです。

そして、社会人になってもそれは変わりません。
自分の所属している会社に守られています。守られているからこそ、仕事ができるのです。

会社に守られていないと感じる人でも、多分守られていると思います。

そして、どうしてもそう思えない人でも、社会や国が守ってくれています。

少なくとも、日本国憲法には、「全ての国民は、最低限度の生活を営む権利がある」明記されています。

このように、人間は、守られ、守り、生きているのではないでしょうか?
さて、1日おいて、さらにニートについて考えていきたいと思います。

正直な話、私は、ニートとは無縁の世界にいます。
私自身、就労意欲がなくなるとは思っていませんし、私の周りにもそんな人は存在しません。

これから書くことは、そんなニートとは無関係な人間の意見であるということを念頭において読んで欲しいです。

ニート対策として、様々なことが唱えられています。
例えば、杉村太蔵議員なんかがTVで訴えてます。

しかし、この様々なことを訴えている人もまた、無縁であったり、縁遠い人が多いことを忘れてはいけません。

さて、話を戻します。

ニートがなぜ増加するのか?

やはり、この超氷河期と呼ばれる就職難の背景に、就職できずモチベーションが下がってしまったというのもあるとは、思いますが、私に言わせてみれば、そんな背景は甘えや、言い訳でしかありません。

まず、1つの問題は報道です。
社会問題であるとは思いますが、そこで、持ち上げて、社会のこんなところが問題であるとか、こういう背景があるとか、あたかもニートに正当性を持たせた報道をすることによって、ニートが正当なものだと言うことを、ニート予備軍にもたせていることです。
そしてもう1つ。ニートという言葉があまりにも浸透してしまい、「なんだ、自分もニートで良いや」と思わせてしまっている部分です。

もちろん、報道による周知はとても大切なことだとは思いますが、知る必要のないことや、知らなかったほうが良かったこと、または、間違った方向性の報道と言うのもあると思います。
報道関係者は、そのあたりも考えて頂きたい所です。

さて、次にあげられるのは、松本紳助で松本人志も言っていましたが、フリーターもそうですが「ニート」と言う言葉がかっこよすぎます。もっと聞くのも言うのも恥ずかしいような名前でなくてはいけないと思います。

しかし、ここで、昨日の話に戻しますが、人間は守られているから、生きていけるのです。

今行われている対策のほとんどや、ニートの周りの人間は、ニートを守りすぎていると感じます。

守られるためには、それなりの対価を支払う必要があります。
日本国憲法における三大義務のうちの「納税の義務」、「労働の義務」の2つの義務を果たせていない上に、果たそうと言う意欲もない。こんな人間に、日本国憲法の規定する「最低限度の生活を営む権利」を主張して良いもでしょうか?
そして、保護する必要があるのでしょうか?

厳しいようですが、私はそう思います。

もっと、厳しく、そして、その気のある人に対して、もっとサポートをしていくべきだと思います。

本当にその気になって、そのつもりで頑張れば、必ず、誰かが助けてくれるし、何とかなるもんものだと思います。
しかし、本人にその気がなければ、誰が手を差し伸べても、その手をつかまなければ、全く意味がありません。
どうにかなるものも、どうにもなりません。

私は、そう思います。

そうやって、ある程度追い詰められると、人間は変わらざるを得ません。良い意味で変われるか、悪い意味に変わってしまうかはわかりませんが…
しかし、その変わった時、周りの人間や国、社会がきちんと接してあげれれば、上手く解決できるのではないでしょうか?

あまいかもしれませんが。
今週末は、色々と有意義でした。

その中で思ったこと。

恋愛に関しても、なんに関してもそうだと思いますが、上手く成長できていない人はいるものです。

例えば、恋愛に関して。
もし、好きな人ができたとき。

まずは、相手の人に、恋人や配偶者がいるかを探るところから始まると思います。

しかし、もし、その方法がわからなかったら?

普通は、周りの人に相談しますが、相談できる人がいなかったり、恥ずかしかったりしたら?

それは、年齢とともにドンドン相談しにくくなっていってしまいます。

幼い頃は皆そうですし、実体験と共に学習し、様々なことを知っていきます。

しかし、年を重ねるにつれ、実体験には差が生じ、知識にも差が生じていきます。

例えばたくさん告白されれば、その対応の仕方、例えば「ふり方」も上手くなっていくでしょうし、様々な人と付き合えば、男女交際の方法や、口説き方なども上手くなっていくでしょう。

しかし、それがなければ?

こればっかりは、縁な部分もあるでしょうし、異性に相手にされないこともあるでしょう。
この辺りは、さすがに本人ばかりのせいではないと思います。

そんな中、人より少し成長が遅くなってしまえば、それはやはり、上手く異性に対して自己表現もできないでしょうし、なれた人にとっては、理解不能のような言動をとっているように見えることもあるでしょう。

でも、それはある程度しょうがないことなのではないでしょうか?

ちょっと、この週末は、こんなことを思った週末でした。

さて、結局何が言いたいかと言うことですが、そんな人を見捨てないでください。
先日書いたニート問題とは違って、その人は、頑張って人と関わりを持とうとしています。
それを見捨ててしまうと、その人は、また経験する機会を失ってしまうことになります。

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