法は、日本国憲法にはじまり、法律、条令と続きます。そして、その下に校則や社則というものが存在するのです。下位の法は、上位の法に反することができません。つまり、絶対の日本国憲法に反する法律は、本来ありえないのです。

上位の法では、かなりザックリと基本的な枠組みを明記し、その不足部分を下位の法で補足するのです。
そして、さらに補えない部分を私たち国民の道徳で補うのです。

最近、買収問題をはじめ、法律違反ではないが、この道徳に反する問題が多く取り上げられています。

しかし、この道徳とは本当に最下位の法なのでしょうか?

それは、それで違います。この道徳という法は、日本国憲法よりも上位の法でもあるのです。
道徳的に許せないことを、法律という形で、誰でも参照できるように、共通の認識として、文章として明記しているのです。しかし、全てを明記することは不可能ですし、逆に、人それぞれ価値観が違うため、細部まで共通の認識として全てを統一することは、不可能です。
そのために、法として明記できない部分は、道徳で各自が補完するのです。そのため、道徳が最下位の法でもあるのです。

しかし、最近、この道徳に反することを行っているという事件が多いです。もちろん、法によって裁ける事件も多いです。が、法は、裁くためにあるのではないのです。あくまでも、法は、日本人の共通の認識として、文章にしただけの道徳なのです。
その証拠に、罰則のない、ただ禁止しているだけの法律も数多くあります。

なぜ、人を殺してはいけないのでしょう?なぜ、人を騙してはいけないのでしょう?なぜ、人を傷つけてはいけないのでしょう?
刑法で禁止され、罰則があるからですか?

どうしようもない、理由で刑法を犯してしまうこともあるでしょう。限界を超えてしまい、刑法を犯すしか道がなかった人もいるでしょう。

しかし、最近のニュースは、そうでない場合が多いように感じます。

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