さて、1日おいて、さらにニートについて考えていきたいと思います。

正直な話、私は、ニートとは無縁の世界にいます。
私自身、就労意欲がなくなるとは思っていませんし、私の周りにもそんな人は存在しません。

これから書くことは、そんなニートとは無関係な人間の意見であるということを念頭において読んで欲しいです。

ニート対策として、様々なことが唱えられています。
例えば、杉村太蔵議員なんかがTVで訴えてます。

しかし、この様々なことを訴えている人もまた、無縁であったり、縁遠い人が多いことを忘れてはいけません。

さて、話を戻します。

ニートがなぜ増加するのか?

やはり、この超氷河期と呼ばれる就職難の背景に、就職できずモチベーションが下がってしまったというのもあるとは、思いますが、私に言わせてみれば、そんな背景は甘えや、言い訳でしかありません。

まず、1つの問題は報道です。
社会問題であるとは思いますが、そこで、持ち上げて、社会のこんなところが問題であるとか、こういう背景があるとか、あたかもニートに正当性を持たせた報道をすることによって、ニートが正当なものだと言うことを、ニート予備軍にもたせていることです。
そしてもう1つ。ニートという言葉があまりにも浸透してしまい、「なんだ、自分もニートで良いや」と思わせてしまっている部分です。

もちろん、報道による周知はとても大切なことだとは思いますが、知る必要のないことや、知らなかったほうが良かったこと、または、間違った方向性の報道と言うのもあると思います。
報道関係者は、そのあたりも考えて頂きたい所です。

さて、次にあげられるのは、松本紳助で松本人志も言っていましたが、フリーターもそうですが「ニート」と言う言葉がかっこよすぎます。もっと聞くのも言うのも恥ずかしいような名前でなくてはいけないと思います。

しかし、ここで、昨日の話に戻しますが、人間は守られているから、生きていけるのです。

今行われている対策のほとんどや、ニートの周りの人間は、ニートを守りすぎていると感じます。

守られるためには、それなりの対価を支払う必要があります。
日本国憲法における三大義務のうちの「納税の義務」、「労働の義務」の2つの義務を果たせていない上に、果たそうと言う意欲もない。こんな人間に、日本国憲法の規定する「最低限度の生活を営む権利」を主張して良いもでしょうか?
そして、保護する必要があるのでしょうか?

厳しいようですが、私はそう思います。

もっと、厳しく、そして、その気のある人に対して、もっとサポートをしていくべきだと思います。

本当にその気になって、そのつもりで頑張れば、必ず、誰かが助けてくれるし、何とかなるもんものだと思います。
しかし、本人にその気がなければ、誰が手を差し伸べても、その手をつかまなければ、全く意味がありません。
どうにかなるものも、どうにもなりません。

私は、そう思います。

そうやって、ある程度追い詰められると、人間は変わらざるを得ません。良い意味で変われるか、悪い意味に変わってしまうかはわかりませんが…
しかし、その変わった時、周りの人間や国、社会がきちんと接してあげれれば、上手く解決できるのではないでしょうか?

あまいかもしれませんが。

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