生き物は、自分の世界に他者が入り込むことを嫌います。生き物は同じ種類の生き物にはナワバリを渡そうとはしません。相手を追い出すまで戦い抜く、それが生き物だそうです。

そして、それは、必ずしも同じ種の生き物とも断定はできません。さらに、群で暮らす生き物には、群という単位で、ナワバリを渡そうとしません。

それは、少し考えればわかること。自分の部屋でゴキブリを発見したら殺しますよね?外に投げますよね?そうでなくても、視界から消すために追い払いますよね?

恋人と2人きりでまったりしているところに、宅配便屋さんが来ると、嫌ですよね?

自分(達)のテリトリーに、他者が近づくことを本能から、嫌っているのです。

自分には自分の世界があるということです。
自分の世界があれば、同じように他人の世界もある。

それは、自由とかそんなチャチなものではなく、もっと大きな、私には表現しきれない何かなのです。

その世界を壊される、奪われる。それを防ぐことは、生き物としてごく自然な当然の権利なのです。

自分の世界を守る。それはごく自然な生き物として行動なのかもしれません。
しかし、守る時、守るためには、多くの犠牲が生まれてしまいます。

その時、相手の世界を壊してしまうかもしれません。
自分の世界も壊してしまうかもしれません。

だからこそ、人の世界を奪ってはいけないのです。

コメント

kaj
kaj
2006年11月11日7:32

私の世界は、私の躯の活動範囲内にしか在りません
そして、その躯を継続するに当たって、多くの生命の連なりを喰らっています、それは、勿論、見も知らぬ土地に居る、どここかの誰か...同族であるヒトの暮らしをも含みます。

ヒトがヒトで在るという事は、生き物が生命をつないでいくという事は、己自身を含めた生命の消費に他なりません。

人の世界を奪うのを止めた時、躯にもたされるのは死あるのみ。

だからこそ、私が偶々野巡り合わせで生きてしまっていることは、同時に他人の世界を食いつぶした結果の一側面であるという観点から、いつも在り難い事だと思って日々を浪費しています。

こころ
こころ
2006年11月11日21:06

全くその通りです。
だからこそ、こういうことを考えてみるべきではないのかなと思いました。

513
ヴァルハート
2006年11月12日16:40

カウンターが回る理由は、どこかで晒し者にされているか、
あるいは純粋によい記事が書いてあるからではないでしょうかね?

こころ
こころ
2006年11月12日17:25

後者だと良いのですけどね。

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