日本語には、幸か不幸か、敬語と言うものが存在しています。
これは、世界的に見ても珍しい部類に入るらしく、日本の文化として、世界に誇れるものの1つではないかと思います。

さて、敬語には、尊敬語、謙譲語、丁寧語の3つが存在します。

尊敬語は、相手を自分よりも上に位置させるもの。
謙譲語は、自分を相手よりも下に位置させるもの。
丁寧語は、丁寧に話す。立ち位置は、ほぼ同等。

と解釈しています。もし違っているようでしたら、ご教授ください。

数値的に表してみると、こんな感じです。

        相手    自分
尊敬語    150    100
謙譲語    100    50
丁寧語    100    95

私個人の感覚としては、ブログ運営に関してのみで言いますと、8月6日の「こころ王国」から考えるに、ここでは私が1番偉いわけですので、尊敬語を使うことには抵抗があります。

読み手を私よりも高い位置にもっていくのですから、私の威厳などどこかへ行ってしまいます。

しかし、読んでいただく以上は、読み手に敬意を払うことは事は、ごく自然な話。
ですから、相手を基準点に残したまま、自分を下にもっていく謙譲語、あるいは、ほぼ同等に位置させる丁寧語を使います。(もちろん、表現技法としての例外や、その時の感情により、適切な言葉が選べていないことは少なくないと考えます)

よく、皆様の文章を読ませていただいていると、インターネットの世界でのお互いの立ち位置はほぼ同等であるという考え方主流のようです。
私も、ほぼ同等であると考えています。

ですので、ケースバイケースで、若干の変動はあるものの(少なくとも、ここでは、若干私が上に位置すると考えています)、その立ち位置に大きな違いはないものだと考えています。

ですので、普通、ネット上でコミュニケーションをとる場合、
自分に向かって謙譲語を使われた場合は、自分も謙譲語を使い自分も相手の立ち位置まで下がる、あるいは、尊敬語を使い、相手を自分の位置まで持ち上げる。
逆に、尊敬語を使われた場合は、自分も尊敬語を使い、相手を自分の立ち位置まで持ち上げる、あるいは、謙譲語を使い自分を相手の位置まで下げる。
といったことを意識してか、意識せずか、行っていると思います。

その中で、ごくまれに、相手を見下してくる人がいます。
そうなると、相手と自分の立ち位置は同等であるわけですから、相手のその行為に甘んじていれば、位置関係に歪が生じてしまいます。

同等であるのに、相手が上に位置しようとした時、もう一度、同じ位置にするためには、自分も上に上がるしかありません。
つまり、自分も相手を見下す。

もし、討論を行うのであれば、同等の立ち位置というのは重要になってくると考えますので、そういった自分の立ち位置という部分は、意外と重要なのではないかと考えます。

コメント

最新の日記 一覧

<<  2025年6月  >>
1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728
293012345

お気に入り日記の更新

この日記について

日記内を検索