Fruitsさんのところで紹介されていた姓名判断のサイト。
http://www.seimeihandan.jp/default.htm
不思議なことに、メチャクチャ当たります。
いろんな人でやってみたのですが、どれも当たっています。
この姓名判断というのは、古くから横行しているもので、割と信憑性も高い気がします。
古い言葉で、「名は体を表す」という言葉もあります。
そこで、この姓名判断がなぜ当たるのかを、勝手に個人的解釈で考察してみたいと思います。
まずはお馴染みYAHOO!辞書からの引用です。
名前は、そのものの実体を表しているそうです。
そうなると、逆に、名前により、そのものの実体が変化するともとれます。
その名前により、性格、運勢を判断するのですから、当たるのは当然のような気がします。
しかし、ここで疑問が生ずるのは、本当に、「名は体を表す」のかということです。
そこで、思いついた言葉は、「名前負けしてるよね」という言葉です。
名前負けしてるよね?とあえて、そのような事を言うと言うことは、普通は、名前負けしていない、つまり、名は体を表していることになります。
続けて疑問なのは、なぜ、「名は体を表す」のかということです。
これが不思議です。
で、考えました。
日本語は漢字を使います。
漢字は象形文字であり、表意文字です。
これが何を意味するかと言いますと、漢字1文字1文字に、意味があり、理由があり、歴史があると言うことです。
これらは、長い歴史の中において、人々の心の中、遺伝子の中に刷り込まれてきたと考えられます。
つまり、漢字の1文字1文字に、その漢字のイメージが形成され、そして、共通認識として、刷り込まれていると考えられます。
その文字を使い、私たちは名づけられます。(ひらがなを使う人もいますが、元は漢字だったと言うことで納得してください)
その名前にはもちろん、文字から与えられるイメージが、存在します。
そして、そのイメージは、ある種の共通的なものを持ち合わせています。
私たちは、そのイメージを持った名前を常に名乗り、呼ばれ、生活しています。
例えば、「賢い」というイメージを持った名前をつけてもらったとして、毎日、「賢い」と呼ばれ、そして、自分でも私は「賢い」ですと自己紹介をします。
こんなことを毎日言われ続けると、洗脳され、自分は「賢く」なければならないと思い込み、頑張って勉強なり、なんなりすることでしょう。
そう、名前は、そのイメージを、本人に刷り込むのです。
そして、刷り込まれた人間は、そうならなければならないと、無意識のうちに意識し、実行するのです。
つまり、結果的に名は体を表してしまうのです。
こういった刷り込みは、幼いうちにしておかなければなりません。
ですから、旧姓で占うのでしょう。
こんなことを考えると、面白いですね。益々、親がつける名前に責任ができてしまいます。
ところで、表意文字ではなく、表音文字を使う国でも、「姓名判断」や、「名は体を表す」という言葉は、存在するのでしょうか?
少なくとも、YAHOO!辞書の英和辞典では、ヒットしません。
PS.後半戦の刷り込みという意味では、わりとよく耳にします。
ですから、心理学的に考えても、全くお門違いな話ではないと考えます。
http://www.seimeihandan.jp/default.htm
不思議なことに、メチャクチャ当たります。
いろんな人でやってみたのですが、どれも当たっています。
この姓名判断というのは、古くから横行しているもので、割と信憑性も高い気がします。
古い言葉で、「名は体を表す」という言葉もあります。
そこで、この姓名判断がなぜ当たるのかを、勝手に個人的解釈で考察してみたいと思います。
まずはお馴染みYAHOO!辞書からの引用です。
姓名判断
姓名の画数などによって、その人の運勢などを判断すること。
名は体を表す
名はそのものの実体を表している。名と実は相応ずる。
名前は、そのものの実体を表しているそうです。
そうなると、逆に、名前により、そのものの実体が変化するともとれます。
その名前により、性格、運勢を判断するのですから、当たるのは当然のような気がします。
しかし、ここで疑問が生ずるのは、本当に、「名は体を表す」のかということです。
そこで、思いついた言葉は、「名前負けしてるよね」という言葉です。
名前負け
名前がりっぱすぎて、実物が見劣りすること。 YAHOO!辞書より引用
名前負けしてるよね?とあえて、そのような事を言うと言うことは、普通は、名前負けしていない、つまり、名は体を表していることになります。
続けて疑問なのは、なぜ、「名は体を表す」のかということです。
これが不思議です。
で、考えました。
日本語は漢字を使います。
漢字は象形文字であり、表意文字です。
これが何を意味するかと言いますと、漢字1文字1文字に、意味があり、理由があり、歴史があると言うことです。
これらは、長い歴史の中において、人々の心の中、遺伝子の中に刷り込まれてきたと考えられます。
つまり、漢字の1文字1文字に、その漢字のイメージが形成され、そして、共通認識として、刷り込まれていると考えられます。
その文字を使い、私たちは名づけられます。(ひらがなを使う人もいますが、元は漢字だったと言うことで納得してください)
その名前にはもちろん、文字から与えられるイメージが、存在します。
そして、そのイメージは、ある種の共通的なものを持ち合わせています。
私たちは、そのイメージを持った名前を常に名乗り、呼ばれ、生活しています。
例えば、「賢い」というイメージを持った名前をつけてもらったとして、毎日、「賢い」と呼ばれ、そして、自分でも私は「賢い」ですと自己紹介をします。
こんなことを毎日言われ続けると、洗脳され、自分は「賢く」なければならないと思い込み、頑張って勉強なり、なんなりすることでしょう。
そう、名前は、そのイメージを、本人に刷り込むのです。
そして、刷り込まれた人間は、そうならなければならないと、無意識のうちに意識し、実行するのです。
つまり、結果的に名は体を表してしまうのです。
こういった刷り込みは、幼いうちにしておかなければなりません。
ですから、旧姓で占うのでしょう。
こんなことを考えると、面白いですね。益々、親がつける名前に責任ができてしまいます。
ところで、表意文字ではなく、表音文字を使う国でも、「姓名判断」や、「名は体を表す」という言葉は、存在するのでしょうか?
少なくとも、YAHOO!辞書の英和辞典では、ヒットしません。
PS.後半戦の刷り込みという意味では、わりとよく耳にします。
ですから、心理学的に考えても、全くお門違いな話ではないと考えます。
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