見る 見える 見せる 目から鱗編
2006年10月4日 その他昨日、すごく当たり前の話を考えたのですが、今日も引き続き講義中に考えていました。
すると、ある方からのアドバイスも重なり、あるとんでもない目から鱗の結論に至りました。
私は、今までブログは、見せるためのものだと思っていました。
インターネット上に書くわけですから、世界中から見られます。
この世界中から見られるという事実と、自分の文章を見せるという行動が、どうも混同していたようです。
あらためて考えてみると、どこがどう似ているのか、全くわかりません。
少なくとも、勘違いをしていた私は、今まで、見せるためのブログを書いていました。
しかし、先日、私はこの場を借りて、見せるためではない文章を書きました。
その文章は、ある方1名を除けば、ただ見える文章でしかないのです。
もちろん、見られる覚悟はした、誰にでも見ることができる文章です。しかし、見せるために書いた文章ではありません。
その文章を、煮ようが焼こうが、それは、書いた人間と宛てられた人間の自由です。
そこに、第三者の介入はお門違いです。スカートの中と同じです。
見える文章なのか、見せる文章なのか?
それは書いている人間にしかわからないのかもしれません。
その辺りは、読み手が判断するしかないのかもしれません。
それでも、明らかなものもあります。
しかし、見える文章は、あくまで見える文章であり、見せる文章とは別物です。
そんなことに、やっと気がつきました。目から鱗です。そんなことに気がついた午後の講義。
秘密日記も使っていこうかな?
見せる文章ではなく、見えてしまう文章を書くために。
すると、ある方からのアドバイスも重なり、あるとんでもない目から鱗の結論に至りました。
私は、今までブログは、見せるためのものだと思っていました。
インターネット上に書くわけですから、世界中から見られます。
この世界中から見られるという事実と、自分の文章を見せるという行動が、どうも混同していたようです。
あらためて考えてみると、どこがどう似ているのか、全くわかりません。
少なくとも、勘違いをしていた私は、今まで、見せるためのブログを書いていました。
しかし、先日、私はこの場を借りて、見せるためではない文章を書きました。
その文章は、ある方1名を除けば、ただ見える文章でしかないのです。
もちろん、見られる覚悟はした、誰にでも見ることができる文章です。しかし、見せるために書いた文章ではありません。
その文章を、煮ようが焼こうが、それは、書いた人間と宛てられた人間の自由です。
そこに、第三者の介入はお門違いです。スカートの中と同じです。
見える文章なのか、見せる文章なのか?
それは書いている人間にしかわからないのかもしれません。
その辺りは、読み手が判断するしかないのかもしれません。
それでも、明らかなものもあります。
しかし、見える文章は、あくまで見える文章であり、見せる文章とは別物です。
そんなことに、やっと気がつきました。目から鱗です。そんなことに気がついた午後の講義。
秘密日記も使っていこうかな?
見せる文章ではなく、見えてしまう文章を書くために。
コメント