勧善懲悪

2006年9月25日 人間
よく目にする勧善懲悪のストーリー。
何を悪とし、何を善とするのか?

先日、そんなことに疑問を感じました。

例えば、人のモノを奪うことは、悪と言われています。

しかし、よく考えてみましょう。その奪われたものは、本当にあなたのモノだったのでしょうか?

例えば、木の実を八百屋で買ってきたとしましょう。
確かに、買ったものですので、自分のモノです。でも、その店に並んでいた木の実は、誰かが、山から採ってきたものです。
その山で採ったものは、本当にその採った人のモノでしょうか?

例えば、山のリスが自分の食料として集めていた木の実を盗ってきたのかもしれません。

リスにとっては、採ってきた人は、悪です。
リスがその木の実を取り返しにきたら、リスは悪でしょうか?

結局、何が悪で何が善かと考えると、絶対に答えは出ないと思うのです。

自分に対して都合が悪いものが悪で、都合が良いものが善なのです。
そして、社会にとって都合の悪いものが悪で、都合が良いものが善なのです。

ですから、よくある勧善懲悪のストーリーでも、住民にとって、都合が悪い魔王や山賊、海賊が悪となり、都合の良い勇者などの主人公が善となるのです。

で、結局、何が言いたいのかと言いますと、何が悪で何が善なのかは判らないということです。
ですから、何事においても、見方を変えれば善と悪は入れ替わります。

何事も、簡単に悪と決め付けず、もう一度よく考える必要があります。

もし、「悪を根絶やしに」と考えている人がいれば、それは、間違いです。

あなたにとって、都合が悪いだけで、他人にとっては都合が良いかも知れません。それを根絶やしにすると、それは、その都合が良いと思っていた人から都合が悪い存在、つまり悪になってしまうのです。

そして、自分が、根絶やしにされてしまう。

あなたにあなたの正義があるのと同じで、あなたが悪だと思っている人たちにも、その人なりの正義があるのです。

昨今のニュースを見ていると、そう感じます。

コメント

最新の日記 一覧

<<  2025年6月  >>
1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728
293012345

お気に入り日記の更新

この日記について

日記内を検索