国旗国歌に敬意を払わせる事は、違憲らしい
2006年9月23日 社会 コメント (7)連日の報道が気になるお話。
石原都知事の言っていることもごもっともだし、裁判所の言っていることもごもっとも。
こういう政治と住民との裁判は、下級裁判所では、住民側に有利で、上級裁判所では政治側に有利な展開になるもの。
従って、今後、東京都側が有利になっていくでしょう。
石原都知事は、上告すると言っているので、今後、大逆転が起こる可能性は、非常に高い。
ところで、私は、国旗国歌に敬意をはらう必要は、あると思います。
理由は、以下に。
5月23日 「君が代について考える(前編)」
5月24日 「君が代について考える(後編)」
とりあえず、式典という意味では、石原都知事の言っていることが正しいと思う。
もちろん、本当に、国旗国歌に敬意を払えない先生も少なくないと思いますが、そうではなく、生徒になぜ敬意を払う必要があるのか聞かれて、きちんと答えられず、そのままになってしまい、強制できなくなってしまった先生も少なくないと思います。そういう先生は、もちろん、なぜ敬意を払わないと言う考え方があるのかも答えられないはずです。
そういった先生が、自分の不甲斐なさを棚に上げて、裁判に参加していることは、間違いないと思います。
生徒とは、不甲斐ない教師に反抗したいものなのです。
5月23日 「君が代について考える(前編)」
http://diarynote.jp/d/77110/20060523.html
5月24日 「君が代について考える(後編)」
http://diarynote.jp/d/77110/20060524.html
石原都知事の言っていることもごもっともだし、裁判所の言っていることもごもっとも。
こういう政治と住民との裁判は、下級裁判所では、住民側に有利で、上級裁判所では政治側に有利な展開になるもの。
従って、今後、東京都側が有利になっていくでしょう。
石原都知事は、上告すると言っているので、今後、大逆転が起こる可能性は、非常に高い。
ところで、私は、国旗国歌に敬意をはらう必要は、あると思います。
理由は、以下に。
5月23日 「君が代について考える(前編)」
5月24日 「君が代について考える(後編)」
とりあえず、式典という意味では、石原都知事の言っていることが正しいと思う。
もちろん、本当に、国旗国歌に敬意を払えない先生も少なくないと思いますが、そうではなく、生徒になぜ敬意を払う必要があるのか聞かれて、きちんと答えられず、そのままになってしまい、強制できなくなってしまった先生も少なくないと思います。そういう先生は、もちろん、なぜ敬意を払わないと言う考え方があるのかも答えられないはずです。
そういった先生が、自分の不甲斐なさを棚に上げて、裁判に参加していることは、間違いないと思います。
生徒とは、不甲斐ない教師に反抗したいものなのです。
5月23日 「君が代について考える(前編)」
http://diarynote.jp/d/77110/20060523.html
5月24日 「君が代について考える(後編)」
http://diarynote.jp/d/77110/20060524.html
コメント
国旗や国歌に敬意をしめさなければいけないとは思いません。
アメリカでは、星条旗を憎む人が焼き払う権利も認められています。
なぜ、
>そういった先生が、自分の不甲斐なさを棚に上げて、裁判に参加していることは、間違いないと思います。
と、決め付けられるのでしょうか。
原告の人たちをご存知なんでしょうか。
お詫びします。
私は、理由が大切だと考えています。私は、書いている通りの理由で、敬意を払う(あるいはふりをする)べきだと考えていますので、立派な意見をお持ちの方に、どうこう言うつもりはありません。
ただ、上記のような先生が、少なからず、いることは、経験上、間違いないことだと思います。
私の知っている先生にもいます。
たとえ義務だとしても、感謝をされなければ、次も頑張ろうと思えますか?普通は思えないと思います。
労働は国民の義務ですが、感謝もされずに仕事をし続けられますか?