連日甲子園で素晴らしい試合が行われている最中且つ、リンクしてくださっている方々に、高校生の方も少なくないので、こんな話を書くのも少々気が引けますが、甲子園は例外として扱わせていただくことにし、且つ、高校生が見てくれていると思うからこそ、あえて書かせて頂きます。
先日、ローカルではありますが、とあるTV局の方とお話をする機会がありました。
その中で、何故か話題になったのが、「最近の高校生クイズって、面白くないでしょ?」という話。
確かに、昔は喜んで見ていましたが、最近は見ようとも思わないです。
それで、その方が仰られるには、「この原因は、視聴者が飽きてきたとか、企画力が落ちたとか、もちろんそういった理由もあるのだが、それ以上に、今の高校生に魅力がないからだ」と。
もちろん、こんな事を仰られるので、日本テレビ系列のTV局ではありません。ですから、自分達のことを棚に上げているわけではありません。
まぁ、言われてみれば、確かに、番組としてのスケールは大きくなっていっていますので、企画力に大きな問題があるわけでもないでしょうし、今の高校生に魅力がないと言うのも、若干うなずける部分はあります。
それは、私達の世代の頃から言えることではありますが、魅力がないと言われれば、そうなのかもしれないです。
原因は、わかってはいます。
今の高校生は、と言うか、高校生に限りませんが、一生懸命さが伝わってこないんです。
確かに、喜んで見ていた頃の高校生クイズに出ていた高校生は、何かに一生懸命で、その一生懸命さが伝わってきていました。
何も他人に伝わらなくても、本人が満足しているのならば、それはそれで良いのですが、どうもそうではない気がするのです。
7月30日の「のび太!勉強しなさい!!(4)」でも触れましたが、私は、一生懸命なことが必要だと思います。
何でも良いんです。それが、勉強だと言うのであれば、勉強でも良いですし、部活だと言うのならば、それで良いですし、高校生くらいだと、バンドと言う人も少なくないと思います。
何も自分が何かを生産しなくても、そのお手伝いでも良いのです。例えばマネージャーとか。何かの追っかけとか。
何でも良いから、一生懸命になっていることが、大切だと思います。
で、最近の高校生、もちろん私の世代や小中学生をも含めて、何をしているのでしょうか?
部活を頑張っている人がいることは間違いないですが、何かが違って見えるのです。
一生懸命と言うよりかは、何か、ある種の義務のような、または、もっと他に何かを持っているような。何かを持っているのなら、それで良いのですが、だからと言って、その何かを一生懸命している雰囲気はないのです。
人生、損してるよなと思って見ている部分があります。(もちろん自分の事を第三者として見てみても)
一生懸命している人は、7月24日の「うさんくさい顔」につながってきますが、それなりに顔に出てきてわかるのです。
それに、何かを一生懸命している人は、結果的に、その他も一生懸命にやるはずなので、例えば成績に反映されてくるはずです。
しかし、学力低下が叫ばれる昨今、データとしてそれが反映されていないことがわかります。
どうなのでしょう?
先日、ローカルではありますが、とあるTV局の方とお話をする機会がありました。
その中で、何故か話題になったのが、「最近の高校生クイズって、面白くないでしょ?」という話。
確かに、昔は喜んで見ていましたが、最近は見ようとも思わないです。
それで、その方が仰られるには、「この原因は、視聴者が飽きてきたとか、企画力が落ちたとか、もちろんそういった理由もあるのだが、それ以上に、今の高校生に魅力がないからだ」と。
もちろん、こんな事を仰られるので、日本テレビ系列のTV局ではありません。ですから、自分達のことを棚に上げているわけではありません。
まぁ、言われてみれば、確かに、番組としてのスケールは大きくなっていっていますので、企画力に大きな問題があるわけでもないでしょうし、今の高校生に魅力がないと言うのも、若干うなずける部分はあります。
それは、私達の世代の頃から言えることではありますが、魅力がないと言われれば、そうなのかもしれないです。
原因は、わかってはいます。
今の高校生は、と言うか、高校生に限りませんが、一生懸命さが伝わってこないんです。
確かに、喜んで見ていた頃の高校生クイズに出ていた高校生は、何かに一生懸命で、その一生懸命さが伝わってきていました。
何も他人に伝わらなくても、本人が満足しているのならば、それはそれで良いのですが、どうもそうではない気がするのです。
7月30日の「のび太!勉強しなさい!!(4)」でも触れましたが、私は、一生懸命なことが必要だと思います。
何でも良いんです。それが、勉強だと言うのであれば、勉強でも良いですし、部活だと言うのならば、それで良いですし、高校生くらいだと、バンドと言う人も少なくないと思います。
何も自分が何かを生産しなくても、そのお手伝いでも良いのです。例えばマネージャーとか。何かの追っかけとか。
何でも良いから、一生懸命になっていることが、大切だと思います。
で、最近の高校生、もちろん私の世代や小中学生をも含めて、何をしているのでしょうか?
部活を頑張っている人がいることは間違いないですが、何かが違って見えるのです。
一生懸命と言うよりかは、何か、ある種の義務のような、または、もっと他に何かを持っているような。何かを持っているのなら、それで良いのですが、だからと言って、その何かを一生懸命している雰囲気はないのです。
人生、損してるよなと思って見ている部分があります。(もちろん自分の事を第三者として見てみても)
一生懸命している人は、7月24日の「うさんくさい顔」につながってきますが、それなりに顔に出てきてわかるのです。
それに、何かを一生懸命している人は、結果的に、その他も一生懸命にやるはずなので、例えば成績に反映されてくるはずです。
しかし、学力低下が叫ばれる昨今、データとしてそれが反映されていないことがわかります。
どうなのでしょう?
コメント
私が小学校の高学年くらいになったら、すでに面白くなかった気もしますね、それ以前は毎年見てました。
(でも、今年は友人が出ているので地方戦は見ます)
一生懸命って何でしょうね。
実際、高校生である本人、つまり私も、何か義務感を持って勉強であれ、何であれやっている気はしますけど…。
文章がおかしくてすいません。
です。そういう子は、「努力」や「一生懸命」の結果得る
ものに興味がない。また、結果を得ても別にうれしくない
ようです。また、そういう子のご両親をみると、子供が何
かできるようになっても、向上しても、そんなにうれしく
もないって感じの方が多いです。(あくまで私の経験の範
囲内ですが)
高校生とは言わず、もっと子供たちが幼いうちから「努力」
や「一生懸命」のあとの達成感を感じられる教育や子育て
が必要なのかもしれませんね。
>東屋さん
まさか東屋さんからこんなコメントが頂けるとは思っていませんでした。
と言うのも、東屋さんは例外にあてはまると思っていたからです。毎日、日記がすごく楽しそうでしたので、毎日が充実し、何か自分なりの素敵なものを見つけていらっしゃると思っていたからです。
東屋さんがそう思うのであれば、かなり重症なのかもしれません。
>星姫先生
そういうのってあると思います。
そして、私がさらに危惧していることは、私達無気力世代が、すでに親になってしまっているという事実です。
友人達には、パパもママもいます。
無気力人間が子どもを育てたら、その子どもはどうなるのでしょうか?
でも、目的みたいなものは実際分からないですし、見つかっていません。
自分なりの素敵なものってなんでしょうね(苦笑)
こういった風潮が子供に限らず、大人でも見受けられますから一生懸命に何かに打ち込む人は少なくなっても不思議はないです。
けっしていい事ではないですが。
ている大人が子供を産むのを躊躇ぎみ?かくいう私もそう。
私は仕事と趣味に熱中していて、今すぐ出産したいとは思
わない。同級生も、勉学などに熱心だった人ほど結婚や出
産してない。あ、でもこういうタイプが熱心に子育てする
と、教育ママといわれるのかな。
「無気力大人の子育て」「熱心な大人の子育て」。
両者のいい所をとりつつ、子供に様々な達成感を感じさせ
ながらも強制にならない教育や子育てをするって、理想か
もしれないけど難しいだろうなぁ。
そういうのもあると思います。
>星姫さん
確かに、良いとこだけ取れれば良いのですけどね。
でも、子育てに熱心=教育ママ(パパ)ってわけではないと思います。
勉強に熱心だった親は、そうなってしまうかもしれませんが、そうでないものに熱心だった親は、そううるさくは言わないと思います。