バトンについて考える
2006年6月28日 インターネット「ここではバトンは答えません」と公言していますが、皆さんのブログを読ませていただくと、本当にバトンが多いことがわかります。
もちろん、私自身、こういう流れは、悪いことではないと思います。
さて、最近流行っているバトンですが、昨日取り上げたmixi問題の裏側にこのバトンが大きな役割を果たしていると書いてありました。なるほどと思いました。
(この記事は、YAHOO!ニュースに書いてあったので、プロの意見として受け止めて良いと思います。)
まず、バトンは、ある種のチェーンメールと化しています。
バトンの最後には、必ず、「回す人○人を指名しなさい」と書いてあります。
チェーンメールの特徴は、「○○なので、なるべくたくさんの人に転送してください」と書いていることです。
バトンの最後の質問は、違う読み方をすれば、そう読めるのではありませんか?
さらに、このバトンが、実は、昔で言うところの「不幸の手紙」と同じ役割を果たしていることにお気づきですか?
バトンの最後の質問は、「回す人○人を指名しなさい」です。
もちろん、不幸の手紙と違って、精神的拘束力には天と地ほどの差があります。
回さないことへのペナルティーもありません。
しかし、簡単に止められる人は良いですが、回してくれた人のことなどを考えると、止められないと思うの人も少なくないと思います。
その人たちにとっては、正に、ある種の「不幸の手紙」です。
また、皆さんが、どのような気持ちでバトンのやりとりされているのか判りませんが、バトンのメリットは、皆が同じ質問に答えると言う事ですが、逆にデメリットは、各ブログにオリジナリティーがなくなることです。
もちろん、同じ質問に答えることによって、新たに見えてくるものもあると思いますが、自分の自己表現の場であるブログで、他人に与えられた質問に答えるだけと言うのは、あまりにも寂しいことではないのかと思います。
また、人から与えられたことにしか答えないブログに価値があるのでしょうか?
もっと言えば、せっかくの自己表現ができる場で、自分で自分のことを表現することを考えない人間に、どれほどの価値があるのでしょうか?
もちろん、これは極論であり、100%当てはまる人はいないと思いますが、バトンに答えると言う行為に、こういった裏側があるのは、間違いないことだと思っています。
もちろん、私自身は、皆さんのバトンを読むことは、嫌いではありません。しかし、バトンの裏側の性質とは、実は、そういうものなのではないでしょうか?
何をするにも程々に、と言うことでしょうか?
もちろん、私自身、こういう流れは、悪いことではないと思います。
さて、最近流行っているバトンですが、昨日取り上げたmixi問題の裏側にこのバトンが大きな役割を果たしていると書いてありました。なるほどと思いました。
(この記事は、YAHOO!ニュースに書いてあったので、プロの意見として受け止めて良いと思います。)
まず、バトンは、ある種のチェーンメールと化しています。
バトンの最後には、必ず、「回す人○人を指名しなさい」と書いてあります。
チェーンメールの特徴は、「○○なので、なるべくたくさんの人に転送してください」と書いていることです。
バトンの最後の質問は、違う読み方をすれば、そう読めるのではありませんか?
さらに、このバトンが、実は、昔で言うところの「不幸の手紙」と同じ役割を果たしていることにお気づきですか?
バトンの最後の質問は、「回す人○人を指名しなさい」です。
もちろん、不幸の手紙と違って、精神的拘束力には天と地ほどの差があります。
回さないことへのペナルティーもありません。
しかし、簡単に止められる人は良いですが、回してくれた人のことなどを考えると、止められないと思うの人も少なくないと思います。
その人たちにとっては、正に、ある種の「不幸の手紙」です。
また、皆さんが、どのような気持ちでバトンのやりとりされているのか判りませんが、バトンのメリットは、皆が同じ質問に答えると言う事ですが、逆にデメリットは、各ブログにオリジナリティーがなくなることです。
もちろん、同じ質問に答えることによって、新たに見えてくるものもあると思いますが、自分の自己表現の場であるブログで、他人に与えられた質問に答えるだけと言うのは、あまりにも寂しいことではないのかと思います。
また、人から与えられたことにしか答えないブログに価値があるのでしょうか?
もっと言えば、せっかくの自己表現ができる場で、自分で自分のことを表現することを考えない人間に、どれほどの価値があるのでしょうか?
もちろん、これは極論であり、100%当てはまる人はいないと思いますが、バトンに答えると言う行為に、こういった裏側があるのは、間違いないことだと思っています。
もちろん、私自身は、皆さんのバトンを読むことは、嫌いではありません。しかし、バトンの裏側の性質とは、実は、そういうものなのではないでしょうか?
何をするにも程々に、と言うことでしょうか?
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