「語り継がれる戦争の記憶」にコメントありがとうございました。
遅くなりましたが、まずは、私の個人的な意見を書きなぐらせていただいて、その後、皆さんの意見を踏まえてまとめさせて頂こうと思います。

この事故を表面から見たのでは、何も見えてこないと思います。

まず自衛隊の事故ですが、この事故の裏側に何があったのか?

私の恩師が当時言っていたことは、次のような話です。

「脱出をして自分が助かることはできたけれど、住宅に墜落させてはいけないと、最後まで操縦桿を握って、田んぼに墜落させ、死んでいった。」

私自身、この話の裏をとっていないので、本当の話かどうかはわかりません。しかし、このような話が嘘だとしても、このような話を考え、話をしてくれたこと自体が、評価できると思っています。

しかし、米軍の事故を見たとき、私はこう思いました。

「訓練のために、大学の上を横切らなければならないこともあるでしょう。訓練をしていれば、事故を起こすこともあるでしょう。しかし、その対応はおかしくないですか?大学のど真ん中にヘリコプターを平気で墜落させるその対応がおかしくないですか?自衛隊員は、最後まで操縦桿を握り、被害を最小限に抑えました。残念ながら、自衛隊員は亡くなられてしまいましたが。しかし、今回は、大学の真ん中に墜落していくヘリコプターを放って、脱出している。偶然、被害者は出ませんでしたが、もしかすると、大惨事になっていたかもしれません。」

実際、どういう経緯で墜落していったかということは報道されいませんので、こういう考えが正しいかどうかはわかりません。

しかし、この話をある人に話したところ、こんな言葉が返ってきました。

「アメリカ人は、まず、自分の事を考えるからね。こうやってヘリコプターが墜落しても、墜落させるほうは、自分の事だけを考えて行動し、落ちてくる地上の人も、自分の責任でかわさなければいけないという風潮があるから」

なるほどね。とは、思いました。

日本は平和だということに加え、日本人自体が謙虚だから、お互いがお互いを気遣うことにより、社会が成り立っていました。

それが良いことなのかはわかりません。

ただ、こういう極限状態の時の行動の本質的な部分は、その人の人間性をよく表すと思います。

従って、1以外の意見には、反論しません。
しかし、2の意見が正しいのかどうかは、疑問です。

実際、こうした中で、どのような行動をとったとしても、その行動自身に責任を持つことは不可能だとは思います。

その中で、「こうするべきです」という訓練をしたとしても、子どもの頃から摺り込むのならまだしも、大人になってからの訓練では、上手くいかないと思います。

自衛官は、最後まで操縦桿を握り、被害者を出さずに死んでいった。米兵は、さっさと脱出して、被害者が出なかったのは奇跡だった。

次回は、kajさんと暇つぶしの達人さんのご意見を踏まえて、コメントしてみたいと思います。

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