kajさん6月7日の「道徳の上の法」にコメントありがとうございました。この返信は、本文に書ける内容だと思いましたので、遅くなりましたが、こちらで返信させて頂きます。
ヒトは、何も特別な生き物でもなければ、最終進化系でもないと思います。
しかし、ヒトは特別な存在です。
たとえ、ヒトが驕っていたとしても、ヒトは、ヒトであることに、誇りを持つべきだと思います。
生物は、種の存続のために、他の生物に対して、差別化を図らなければなりません。
これは、会社という意味でも当てはまると思います。
私のバイト先の社長が、「この分野での一番は、私だ。二番は○○(社員)で、三番目は△△(社員)だ。そういう気持ちで、仕事をしなければならない」と仰っていました。
そうなんです。例え違っていたとしても、そういう気持ちは大切なわけです。
生物として、他の生物よりも優れているからこそ、生態系の中で生き残っているのです。
当然として、他の生物達は、他の部分でその他の生物よりも優れているわけです。
もし、人間が、その理性や思考を売りとするのならば、そこの部分に他の生物よりも優れているという自信と誇りが必要なのです。
その自信と誇りが無ければ、この弱肉強食の生態系の中で生き抜くことは難しいはずです。
どの生物においても言えることですが、自分達の種族は、他の生物に対して特別な種族なのです。
そして、これは、その生物の中での個々の個体にも当てはまります。
しかし、人間の社会という限られた環境の中では、4月27日の「人はなぜ生きていけるのか?」に書いたとおり、その限りではありません。
人は弱者を守ります。必ずしも他者よりも優れていなければ、生きていけないわけではありません。
それが、人だと思います。
(もちろん、他の生物でも、このような傾向は見られるでしょう。従って、なにも、ヒトだけそうであるとは言えないとは思いますが。)
つまり、ヒトという種族が、他の生物よりも優れていると思い込むことは、それは、生物として、正しい行動であり、その結果、他の生物を駆逐していくことも、それは生物として当然の行動なのです。たとえ、それがヒトという種を絶滅に追い込む行動であっても、それは生物の進化の上で、全くもって、生物らしい行動なのです。
しかし、人は、弱者を守ることができる生物です。それは、生物として、一歩前に進めている証拠ではないでしょうか?
そして、その優れている部分が、最近損なわれている気がするのです。
それは、ヒトがヒトでなく、ただの生物になりさっがていっていると言うことではないかと感じているのです。
ヒトは、何も特別な生き物でもなければ、最終進化系でもないと思います。
しかし、ヒトは特別な存在です。
理性とか思考なんてのもヒトだけにしかないというのは、ヒトが勝手に決め付けた「決まり事」の一つでしかないんじゃないでしょうか?同様にして「道」だの「徳」だのって言葉すらもヒトの驕りでしかないんじゃないでしょうか??(kajさんのコメントを引用)
たとえ、ヒトが驕っていたとしても、ヒトは、ヒトであることに、誇りを持つべきだと思います。
生物は、種の存続のために、他の生物に対して、差別化を図らなければなりません。
これは、会社という意味でも当てはまると思います。
私のバイト先の社長が、「この分野での一番は、私だ。二番は○○(社員)で、三番目は△△(社員)だ。そういう気持ちで、仕事をしなければならない」と仰っていました。
そうなんです。例え違っていたとしても、そういう気持ちは大切なわけです。
生物として、他の生物よりも優れているからこそ、生態系の中で生き残っているのです。
当然として、他の生物達は、他の部分でその他の生物よりも優れているわけです。
もし、人間が、その理性や思考を売りとするのならば、そこの部分に他の生物よりも優れているという自信と誇りが必要なのです。
その自信と誇りが無ければ、この弱肉強食の生態系の中で生き抜くことは難しいはずです。
どの生物においても言えることですが、自分達の種族は、他の生物に対して特別な種族なのです。
そして、これは、その生物の中での個々の個体にも当てはまります。
しかし、人間の社会という限られた環境の中では、4月27日の「人はなぜ生きていけるのか?」に書いたとおり、その限りではありません。
人は弱者を守ります。必ずしも他者よりも優れていなければ、生きていけないわけではありません。
それが、人だと思います。
(もちろん、他の生物でも、このような傾向は見られるでしょう。従って、なにも、ヒトだけそうであるとは言えないとは思いますが。)
つまり、ヒトという種族が、他の生物よりも優れていると思い込むことは、それは、生物として、正しい行動であり、その結果、他の生物を駆逐していくことも、それは生物として当然の行動なのです。たとえ、それがヒトという種を絶滅に追い込む行動であっても、それは生物の進化の上で、全くもって、生物らしい行動なのです。
しかし、人は、弱者を守ることができる生物です。それは、生物として、一歩前に進めている証拠ではないでしょうか?
そして、その優れている部分が、最近損なわれている気がするのです。
それは、ヒトがヒトでなく、ただの生物になりさっがていっていると言うことではないかと感じているのです。
コメント
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>しかし、ヒトは特別な存在です。
...ちょっとだけ待ってくださいね。
この空白の一行の間に含まれるべき「論拠」が私には見つけられません。
以降のお話は、たぶん、この部分を抜きにしては、語るべきではないと思うのですが(^_^;)
「区別」は、結構なんですが、そこにいきなり「優劣」を持ち込まれても困ります。
確かに「驕り」と「誇り」の言い回しの違いは「欲望」と「希望」が立ち位置によって全く同じモノ・コトに対して印象を変えてしまうのと同じような現象ですね。
「生態系」をある特定の時間枠、例えば現在、目の当たりにしていると感じてしまっている筈のリアルだけに限定してしまうのは、如何なものでしょう?
「種」の生存競争というレベルで捉えるのならば、時間の単位も同様に少なくとも千万年単位程度には伸ばして見ない事には、早計ではないかと思うのですよ...少なくとも私の立ち位置では。
偶々、ここ10年単位の出来事、北半球の人口密集地域を恣意的にサンプリングすると言うのでは、どうにも座りが悪いなぁって感じですかねぇ。だから「こころ」さんが、嘆かれておられる様な状況も、私には、後から見れば、実は変化の一過程に過ぎなかったと言えるのではないかと思ってしまうのですよ♪
たとえ自分自身が、その時間枠内の刹那に存在する(たぶん)同種の生物であるとしてもネ。
...ところで、この話題、続けても宜しかったのでしょうか??
ここの目的は、私も含めて、「へ〜こんな考え方もあるんだぁ」と思うことなので、自分の意見として、責任を持っていただける意見であれば、どんな意見でも大歓迎ですので、気にしないでください。
まず、空白の1行ですが、その1行の内容は、引用文以下全てです。少し、紛らわしい書き方になってしまっていますが、「ヒトがヒトを特別な存在である思うことは、重要です。」くらいに読み替えていただければ、すっきりするのでは?と思います。
さて、kajさんのご意見は、いつも的を得ているので、本当に感心させられます。いつも、全く、その通りだと思いながら読ませていただいています。
今回の話に関して、私が思うには、「種」という意味での競争は、「会社」にも当てはまるように、「個人」でも、当てはまると思うのです。その個人という時間軸で考えると、10年という時間は、とても重要なウェイトを占めると思います。
もちろん、仰られる通り、変化の一過程に過ぎないと思いますが、私個人という単位で考えると、とても大きな変化ではないかと感じます。その上で、kajさんのご意見もひっくるめ、それでも、理論としてではなく、感情として、「寂しいな」「悲しいな」と思うのです。
以上、若干、矛盾していますが感情論ですのでご容赦ください。
ヒトには、様々な面があると言うことです。