続いて、「君が代」が国歌であることについてです。
国歌を歌うのが嫌なのか、「君が代」を歌うのが嫌なのかで、話はかなり違ってきます。

「君が代」の歌詞の意味ですが、簡単に言うと『「君が代」が未来永劫、長く長く繁栄しますように』という意味です。

そして、問題視されているのは、この「君が代」が何を指すかです。

Wikipediaによりますと、本来、この「君が代」はあなた(君)をさす言葉だったそうで、結婚式などで、「その夫婦が、末永く幸せに過ごせますように。」と願いを込めて歌っていたそうです。

しかし、明治時代、「君が代」を国家に指定する際、「君が代」の意味に、天皇を当てるという解釈が生まれたようです。

天皇賛美の考えに通じるために、否定するというのです。

私自身、日本の天皇制には疑問を感じます。今の日本に、天皇は必要ないと思います。天皇に、あれだけの税金を使うのも間違っていると思います。

しかし、日本国憲法には、「天皇を日本の象徴とする」と書かれています。そう書かれている以上、誰が何と言おうと、天皇は日本の象徴なのです。日本の象徴、つまり、日本という形ないものの、存在を明確にするための代替品。言い換えれば、日本そのものという解釈ができるわけです。象徴とはそういうものです。

つまり、「君が代」を「天皇」と解釈した場合、現行の制度では、「君が代」=「日本」なのです。

「日本が末永く、繁栄しますように」という意味になります。なんて素晴らしい国歌でしょう。否定する意味がどこにあるのかがわかりません。

単純に、天皇制否定派が苦し紛れに言った、くだらない戯言のように聞こえてきます。天皇制を否定する方々は、もっときちんとした理論武装をして欲しいものです。

そして、もう1つの否定意見。「君が代」が軍歌であったため、ふさわしくないと言う意見。
確かに、その通りです。こればっかりは、否定できません。しかし、「君が代」を歌うことが、その頃の軍国主義に戻る直接的な原因になるとは思えませんし、「君が代」は、軍歌として登場した歌でもないので、特に大きな問題はないと思います。
ダイナマイトだって、原子力だって、戦争に使われましたが、今は、なくてはならない存在として、立派に平和利用されています。「君が代」も、そういう存在になることができるはずです。

さて、以上を考えると、私は国歌「君が代」を歌わない理由はないのではないのかとは思います。

しかし、私以上にしっかりした意見を持った、「君が代」否定派の方もおられると思います。
その中で、大切なのは、まず、国歌を歌うことに、どのような意味があるのか、そして、「君が代」をどう思うのか。こういった部分を、しっかり考えた上で、歌うのか、歌わないのかを決めるべきなのです。

今の日本では、そういった部分を何も考えずに、「強制するのは良くない」だの、「国歌を歌うことが愛国心に直接つながらない」だのと、結果のみを議論しています。
確かに、その通りです。「強制することは良くない」ですし、「国歌を歌うことが愛国心に直接つながる」とも思えません。
しかし、その歌わなくても良い理由を教育せずに、小学生に、「国歌は、歌いたくなければ、歌わなくても良いよ」と指導するのは、単純に国歌を、もっと言えば、国を愚弄していることになります。小学生には、単純に、「国歌は歌っても、歌わなくても良い、どうでも良い存在なのだ」と聞こえるでしょう。

そんな表面上の教育しかしていないので、教育基本法に「愛国心」なんて、法律用語としては、くだらない言葉が登場するのです。しょうがないですよね。先生が、書かないとわからないのですから。
自分の考えも持たない教師が、世論を盾に、しょうもない指導をするから、教育基本法が、ありえない方向に流れていくのです。

私は、国に国民が守られていることは、事実だと思います。その国に、感謝する気持ちがあっても良いのではないかと思います。

最後に、城崎レイさん、ヴァルハートさんリンクありがとうございます。

コメント

kaj
kaj
2006年5月25日4:27

天皇制度と言うシステムは、皇紀の初期の曖昧な記述を鑑みるに、単なる支配階層の権威付けのためのものでしかないというのが、私の浅見です。
勿論、実権を持っていたのは、祭り上げられた生贄としての後続ではなく、それを支える官僚集団であり、彼らが直接的な労働をすることなく糊口を凌ぐためのシステムであると認識しております。何か、不祥事が起きた際の生贄としての責を追うべきもの、姓を与えないのも戦後おいても「象徴」などという実態の無いままにしておくのも、肥大した官僚集団を維持するためのギミックの一つでしかありません。
それは、それで良いのです。
きちんと機能していたならば...少なくとも1945年に、機能を働かさなかった事は、私にとっては不快な事実です。
(まぁ、やらかしてしまったら国は残っても官僚集団は壊滅したでしょうからねぇ、アメリカ的な民主主義の下では)だから、目立たないために歌いはしますが、できるだけ、そう言う場面に遭遇する事はリアルに避けています。
役に立たないまま朽ちていく一族と、その根拠を待たぬのに祭り上げる事で食ってる連中...私は、あまり面白いとは思えないのですよ(^_^;)
それから、何かをいとおしく思う気持ちは、強制されるべきものだとも思いません。
敬愛すべきものに対しては、放って置いても好きにならずには居られないでしょう?
今が、そうで無いという事は...違ってるという事の表れなのではないでしょうか?
(あ、ちなみに私は、如何なる宗教・団体への帰属も善しとは、しないという立ち位置に居ります)

こころ
こころ
2006年5月25日8:40

面白いコメントありがとうございます。
こういった否定的な意見は、大歓迎です。
天皇制や、日本国憲法、教育基本法などについては、おいおい書いていこうと思っていますので、また、コメントいただければ幸いです。

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