私には少し不思議なことがあります。

それは、体罰について。

何年か前、体罰は駄目だとかなり問題になっていました。

先生が、児童、生徒を殴ったとか、蹴ったとか話題になっていました。

知り合いに、新人教師をしておられる方がいるのですが、やはり、今でも、かなり神経質になっているようです。
ドラマのようなPTAの抗議はさすがに無いようですが、それに近いものは、あるそうです。

しかし、私達が実際に学校に行っていた頃は、殴られるなんてことは、日常茶飯事でした。
男女問わず、殴られ、叩かれたものです。

さすがに蹴りはありませんでしたが…

でも、それが悪いことだとか、いけないことだとは思いませんし、私達の両親も先生方の教育方法に文句を言うなんてことも無かったです。

そして、私は今でも、その教育に方法について、疑問は感じませんし、将来、自分の子どもが学校に通ううことになっても、おそらくこの考えは変わらないでしょう。
私の友人達も、皆そう言います。(類は友を呼ぶといいますから、あまり意味のない話かもしれませんが)

私の心に残っているのは、小学校の先生のお言葉で、「叩かれてできるのは、サーカスの動物だ。言われてできるのも、人間としては幼稚だ。言われなくてもできるのが、人間だ。」です。
深い言葉だと思います。
その通りだと思います。サーカスやショーをする動物達は、餌で動いているか、鞭で動いているかです。
「飴と鞭」ですよ。

犬をはじめとする動物達ですら、飴と鞭で言うことを聞くわけです。

それなのに、人間ができないというのは、いかがなものか?
それも、確固たる意思を持って、反抗しているのならまだしも、おそらく、そんなたいそうな事は考えてないでしょう。

しかし、言ってできないものは、しょうがありません。鞭を与えるしかないと言うのも納得です。
できないものをそのままにしておいても、その人のためになりません。

さて、こういう親の考えは、多分、順を追って、グラデーションとしてちょっとづつ変化していくものだと思うわけです。
その中で、私達の親の世代は、げんこつを肯定し、私達の世代も、肯定する。
しかし、その中間の現在の子ども達の親は否定する。

これって、不思議ではありませんか?

グラデーションが成立してないわけです。私には、理解できない部分があります。
それとも、親の考え方が世代とともにグラデーションするという考えが間違いなのでしょうか?

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